十五.因果応報 
  

  劉弁を追っていた曹軍に騎馬が一騎、合流する。 
  その馬上には小柄ながらも、その身軽さ敏捷性は随一と評される楽進が乗っていた。 
  「曹操様、劉弁皇子ですが、董卓の手に落ちたようにございます。」 
  「来たのか、予想より早いが・・・流石は涼州騎馬兵といったところか。」 
  袁紹が何進を唆(そそのか)し、招聘した将は四人。 
  河内(かだい)の王匡(おうきょう)。えん州の橋瑁(きょうぼう)。へい州の丁原(ていげん)。涼州の董卓であったが、
 その中で一番の僻地、一番都から遠い涼州の董卓が一番乗りするあたり、流石と認めざるを得ない。 
  「では、残りの十常侍、張譲と蹇碩はどうした?」 
  「はい。張譲は董卓にその首刎ねられ、蹇碩は弁皇子を運ぶ御者となっているようです。」 
  「張譲・・・、あの暴虐もその上をいく暴虐の前では、呆気ないものだな。」 
  曹操の言い様は、苦みを込めたものであった。できれば、張譲のとどめは自分でと思っていたのだろう。 
  その機を狙っていた曹操は、終(つい)ぞその機会を失った事になる。 
  そして、その曹操が手を拱(こまね)いていた張譲を手にかけた董卓は、やはり、警戒に値する人物といえる。 
  「しかし、・・・あの蹇碩が御者とは・・・。」 
  厳しい顔がふと緩んだのは、自尊心の塊といえる蹇碩の御者姿を思い浮かべてであった。 
  曹操自身も一目見てみたいという騒動に駆られるが、この顛末(てんまつ)に至っては、弁皇子を追う必要はなくな
 ったのだ。 
  保護している協皇子の身を護りつつ、都に帰るのが得策である。 
  「これ以上は無駄という事だ。斥候に出ていた者を戻せ。洛陽へ戻るぞ。」 
  「おい、いいのか?董卓に弁皇子を任せて。」 
  曹操の命にいち早く疑問を投げかけたのは、夏侯惇であった。 
  「いいも何も、同じ官軍だろう。それにその官軍から皇子を奪おうとすれば、たちまち我が逆賊だぞ。」 
  「そうだが・・・」 
  夏侯惇の危惧している点は、曹操も十分承知している。恐らく、董卓は弁皇子を立て、その傀儡(かいらい)とする
 つもりであろう。 
  ようは、漢帝国は人が変わっただけで、中身はこれまでと変わらない事になる。 
  確かにそれは曹操が望む状況ではないかもしれない。しかし、涼州の強兵を相手にまともにぶつかるだけの戦力は、
 曹操にはないのだ。 
  今は冷静に機を見極める時、いずれは、弁皇子を董卓の手から切り離せる時が来る。 
  その時をジッと待つしかない。そのための大儀を曹操は手中にしているのだ。 
  曹操は合流した典韋が警護する馬車を見つめるのであった。 
  
  
  
  「止まれ。」 
  洛陽に入る寸前で、曹操達の前に一軍が現れ、不躾(ぶしつけ)なもの言いで行く手を遮られるのであった。 
  その一軍とは董卓率いる涼州兵である。 
  「止まれというのならば止まるが、この馬車には協皇子が乗っておられるのだぞ。」 
  「そんな事は知っておるわい。」 
  傲岸な台詞で登場したのは、腰回りが豊かで体躯も見事な男であった。 
  「お前では話にならん。曹操を出せ。」 
  その男の相手をしていたのは夏侯惇であった。そう言われて、「分かりました。」と、簡単に答える男ではない。
  「我が主に会いたいというのであれば、まず、名前を名乗られい。」 
  「おい、あの馬鹿を黙らせろ。」 
  配下の薙刀を持つ大男は命じられたまま、夏侯惇に近づいていった。夏侯惇の方でも臨戦態勢をとる。 
  互いに強敵と察した二人の間に緊張感が走った。 
  「おい。剣を収めろ。」 
  その緊張感を笑顔で打ち消したのは、曹操孟徳であった。 
  「董卓将軍、私が曹操だ。何故、我らの行く手を阻むのか。」 
  曹操の言葉で、夏侯惇は改めでその太った男を見つめる。 
  『この男が董卓仲頴か。』 
  人狼と言われる狡猾さ、残忍さ、確かに人となりから滲み出ている。 
  「貴様が曹操か。早く現れんから、危うく貴様の部下を一人、殺すところだったぞ。」 
  「それは逆の話ですよ。」 
  「ふん、達者な口だ。」 
  董卓は怒りを顕わするでもなく、興醒めした表情で本題に入るのであった。 
  「貴様、協皇子を保護しているだろう。」 
  「如何にも。」 
  「差し出せ。」 
  不敵な董卓には、勝者を自負する笑みが浮かんでいる。 
  「馬鹿な事を言うな。」 
  間髪入れず、夏侯惇が反応するが、曹操が制止した。 
  「断るといったら?」 
  「儂の元に、今、弁皇子がおる。分かるか。」 
  「漢の血脈を途絶えさせると?」 
  「貴様の出方次第という事だ。」 
  いつの間にか曹操達は董卓の軍勢に取り囲まれている。 
  いかに曹操の率いる精鋭でも、皇子を護りながらこの多勢を相手には出来ない。 
  流石の曹操もこの局面を打開する策が見当たらなかった。 
  しかし、協皇子を引き渡せば、董卓の事、傀儡の邪魔として、殺害するのは目に見えている。 
  曹操の脳漿(のうしょう)が、これまでにない程の早さで策を絞り出している最中、馬車の中から協皇子が現れれる
 のであった。その姿を認めて、呟く。 
  『やはり、それしかないか。・・・しかし、皇子は・・・』 
  突然、皇子が馬車を降りられたので、近くにいた夏侯淵は慌てて、押し留めようとした。 
  「危険です。お下がりください。」 
  「危険なものか。両軍とも、余を守る軍勢であろう。」 
  「・・・そうですが。」 
  夏侯淵の制止を振り切って、劉協は曹操に視線をくれてから前へと進み出る。 
  董卓は、我が事得たりと一層、笑いが止まらない様子であった。 
  しかし、一瞬にしてその笑いが凍りつく。 
  「董卓、差し出せとは、余はそちの持ち物か!余の首に縄でも縛りつけるつもりか!」 
  劉協の一喝が、その場に厳粛な静けさをもたらす。 
  こんな年端もいかない子供に、喝を受けるとは思ってもいなかった董卓は、その場で返答に窮するのであった。
  「いや、・・・皇子をお守りするための言葉で・・・」 
  何とか答えるものの、歯切れが悪くなった。 
  一方、劉協は落ち着いたもので、「そうか。」と、頷くと董卓軍の方にある馬車に向かって歩き出すのであった。
  その間際、曹操に耳打ちする。 
  「これで、良かったのであろう。あの時、そなたと目が合い、何となく考えている事が分かった。」 
  「はい、ご立派でした。その威厳があれば、董卓も簡単には、皇子に手を出す事はないでしょう。」 
  「曹操に褒められるのは、心地よいな。」
  董卓に見せた威厳とは別の表情、子供に戻った笑顔が、今、曹操の前にある。 
  胸が熱くなるのを感じながら、黙って、劉協の後ろ姿を見送る。また、それしかできない自分に対して、強い憤り
 を感じるのであった。 
  「皇子、この曹操が必ず、お救い申し上げます。」 
  曹操は揺るぎない誓いを、その小さな後ろ姿に立てるのであった。 
  
  
  
  その翌日、宮廷において、劉弁が即位し第十二代皇帝が誕生する。 
  劉協は、曹操の読み通り、董卓の凶刃にかかるのを免れ、陳留王(ちんりゅうおう)に封じられた。 
  しかし、その即位を取り仕切っているのは、董卓であり、その専横まで防ぐ事はできない。 
  ここに来て、袁紹も自分が招いた失態に気付き歯噛みするが、怒りをぶつける矛先が見付からなかった。 
  「落ち着け、本初。いずれ、あの壇からは、私たちで引きづり下ろしてやればいい。」 
  「おお、孟徳か。・・・言われなくても、そのつもりだ。名門袁家の名に賭けてな。」 
  袁紹は拳を強く握りしめて力説する。 
  『その名門意識がこの結果を招いたともいえるのだが・・・。』と、曹操は思うのだが、口には出さない。 
  後日、その名門の名前を有効に使う日が来ると予見しているからだ。 
  曹操と袁紹の遣り取りの間に、壇上に異変が起ころうとしていた。 
  それにいち早く気付いた曹操は、袁紹に尋ねた。 
  「因果応報って言葉を知っているか。」 
  「おい、馬鹿にするのか。報いは必ず訪れるという事だろう。」 
  「そうだ。董卓にもその言葉の意味を知らしめてやろう。」 
  「・・も・とは?」 
  その時、壇上から大きな悲鳴が聞こえる。 
  見やれば、二人の男がもつれるようにして倒れていた。 
  一人は壇上で侍立していた蹇碩で、もう一人は・・・ 
  「あれは、 郭勝(かくしょう)か?」 
  あの宮中争乱の際に、唯一、姿が見えなかった十常侍である。 
  衛兵によって引き離された郭勝の手には、血塗られた短剣が握りしめられていた。そして、床に倒れたままである
 蹇碩の腹部からは、遠目からでもはっきりと分かる程の出血があった。 
  あの傷では、恐らく助かるまい。 
  衛兵に押さえつけられながらも、起きあがってこない蹇碩を見るに、郭勝は高らかな笑い声を上げる。気狂いの笑
 い声だ。 
  常軌を逸したその姿は、見るに耐えない姿であった。 
  何が彼を狂わせたのかは、分からないが、これも十常侍としての報いなのかもしれない。 
  因果応報。 
  果たして、董卓にはどんな報いが待っているのだろうか。 
  袁紹は、曹操がどちらの男の結末を董卓に重ねたのか気になり、声をかける。 
  「おい、孟徳。・・・ん?」 
  しかし、見渡せど袁紹の周りには、もう曹操の姿はなかった。 
  そして、壇上では狂気に走った郭勝の首が董卓の命によって刎ねられた。 
  「ふっ、どちらにせよ同じ事か。」 
  その言葉を残して、袁紹も宮中を後にするのであった。 
  壇上には二つの死体があるという凄惨な光景にも関わらず、にこやかな笑顔の董卓がいる。 
  もう、天下を手中にしたつもりなのであろう。 
  「笑っていられるのも今のうちだ。」 
  江南の熱い視線が董卓を射抜く。物陰で、式典を見ていた孫堅は、腕組みをしながらそう呟くのであった。 
  打倒董卓を誓う者、強気者に巻かれる者、様々な人間が入り交じり、混迷の色はますます濃くなる。 
  新たな暴君の誕生で、漢の衰退は加速するのであった。 
  乱世の終焉は、まだ、誰の目にも見えてこない。 
  
  
  
  「世話になったね。鄭玄(ていげん)先生。」 
  「北平はすぐそこです。あまり、無理をするのではありませんよ。」 
  「分かってますよ。短い間だったけど、先生の教えはためになった。無駄にしないよう、がんばるさ。」 
  簡雍と縁のあった学者、鄭玄の屋敷を後にした劉備は、兄弟子に当たる公孫さんのいる北平に向けて旅立とうとし
 ているのだった。 
  「まあ、あなたたちには、いらぬ心配かもしれませんが、乱世の影響か賊が出没する場所もあります。十分に気を
 付けるのですよ。」 
  「賊なら、大丈夫だよ。だって、おいら達が乱世を終わらせるんだから。」 
  屈託のない青年の笑顔に、中華でも指折りの経学者も、ついつられて笑うのであった。 
  「んじゃ、先生も体に気を付けるんだよ。」 
  「分かりました。それでは劉備殿が築く太平の世を拝むまで、長生きさせてもらいますよ。」 
  「はは、そうこなきゃね。」 
  劉備一行は朝日を背にして、旅立っていく。 
  振り向くと、まだ、鄭玄が立って見送ってくれていた。嬉しくなった劉備は、大きく手を振ると危なく馬から落ち
 そうになる。 
  関羽が慌てて支え、事なきを得ると、劉備の目には笑っている笑顔の鄭玄が映った。 
  「うん。人の笑顔はいいもんだ。・・・今日もお天道様はまぶしいねぇ。」 
  見上げた太陽は、暖かく劉備達の進む道をを照らしてくれた。 

  

戻る       次ページへ       TOPへ