十三.都落ち 
  

  袁紹・袁術軍が皇居の門を破壊すると、その騒ぎに驚いて、近衛兵が集まり出す。 
  この時、近衛兵を指揮していたのは、袁紹と同じ西園八校尉の淳干瓊(じゅんうけい)であったが、淳干瓊は憤慨し
 て、袁紹に詰め寄った。 
  「袁紹殿、乱心されたか?皇居の門を打ち破るとは、どういうつもりだ。」 
  「乱心などではない。何進大将軍が宦官の罠にはまり、温徳殿に捕らわれているという知らせがあった。我らは大
 将軍を救いに参ったのだ。」 
  「何進大将軍が?・・・いや、しかし、これだけの兵を入れるわけには・・・。」 
  「この一大事に何を言っている。」 
  袁紹の勢いに淳干瓊は、押しきられる形で進軍を許した。かといって、何もせずとあっては、役目の義務を怠ると
 して、袁紹軍に従軍するのであった。 
  淳干瓊率いる近衛兵を加えると、袁紹・袁術率いる軍は、一万へと膨れ上がる。その軍勢は足並み揃えて、温徳殿
 へと侵入した。 
  そして、温徳殿に広がる光景に一同愕然とするのである。 
  目の前には武官の頂点に君臨していた、何進の無惨に変わり果てた姿があったからだ。 
  宦官達の姿はなく、その何進の死体が広い温徳殿に取り残されている様子が際だつ。 
  その何進に袁紹が近づき、脈を取ってみる。そうする必要などなく、見るからに息が途絶えている事は明らかであ
 ったが、袁紹はわざと芝居じみた行動をとったのだ。 
  袁紹は、何進がこうなる事を知っていて見捨てた。自分が成り上がるために・・・ 
  これは、その最後の仕上げなのであった。 
  「見よ、全て宦官の仕業だ。自分達の保身のために大将軍を騙し討ちしたのであろう。・・・よいか、全ての、全
 ての宦官を討つぞ。」 
  袁紹の呼び掛けに、烈火の息吹が伝わる。 
  鬨の声、興奮が最高潮に達し、袁紹を中心として団結する。袁紹は完全に部下の心、いや、袁術や淳干瓊の部下ま
 でを掌握するのであった。 
  その袁紹は、皇居にいる全ての宦官を捜し出せと指示を出す。その命を受けて、袁紹・袁術軍は散開し、皇居の至
 る所で宦官を見付けては惨殺を繰返すのであった。 
  「な、何が起きたのじゃ?」 
  張譲が一大事に叫ぶ。何進を討ち、ホッとしていたのも束の間、この武官の襲来には、宦官どもは完全に虚をつか
 れた格好となった。 
  宮廷内にいる宦官、尽く。中には髭を生やしていない文官までもが巻き添えとなって、餌食となる。 
  十常侍の中で、真っ先に殺されたのは、程曠(ていこう)と夏ツ(かうん)であった。この二人は、袁紹が誇る二枚看
 板の顔良(がんりょう)と文醜(ぶんしゅう)にそれぞれ、一合の元に討ち取れる。 
  この騒ぎは、一人、十常侍達とは別行動をとっていた蹇碩の耳にも届く。蹇碩は、生前の何進と内通していた事を
 利用し、自分だけ助かる手だてを考えていた。 
  が、遠くからでも聞こえる袁紹の呼び声に、そんな考えなど吹き飛ぶ事になる。 
  「残る十常侍は八名だ。特に張譲、蹇碩は逃がすではないぞ。」 
  こんな話し声を聞かされては、袁紹との和解は不可能と誰でも悟る事が出来る。 
  かくなる上は、どんな手段を使っても逃げ延びるしかない。 
  そう判断した蹇碩は、素早く一計を案じ、二人の皇子の元へと向かうのであった。 
  皇子と一緒であれば、流石に袁紹といえども手出しは出来ない。それに自分は、黄巾賊と内通していた十常侍の一
 人、封しょの秘密を握っている。 
  これをうまく利用さえすれば、自分が生き延びる目も出てこよう。 
  蹇碩は、その望みに賭けてひたすら走り続けるのであった。 
  この時、他の十常侍も皇子の元へと向かっていた。皇子を利用しようと考えるのは誰しも一緒なのだ。 
  しかし、袁紹達も皇子の身柄については案じており、近くに宦官達の気配がなくなると、皇子を捜せという号令が
 発せられる。 
  こうして、皇居内はさながら皇子を巡る争奪戦へと変貌していくのであった。 
  
  
  
  「皇子、皇子はこちらか。」 
  蹇碩が慌てて皇子の部屋に飛び込むと、そこには弁皇子の姿など全くなく、逆に今一番会いたくない人物達が顔を
 寄せ合い相談している場面に出会すのであった。 
  それは張譲をはじめとした十常侍の面々で、他には曹節(そうせつ)、段珪(だんけい)、侯覧(こうらん)、封しょが
 いた。 
  「これは、蹇碩。今まで何をしていたのです。」 
  蹇碩が自分を裏切った政敵と知りつつも、張譲は十常侍筆頭の威厳を持って、話しかける。 
  蹇碩はそこに、不安な表情は見せまいという張譲の強がりを感じ取ったが、事態が事態だけに協力こそ最上の道と
 考えるのであった。 
  「張譲殿、ここに集まっていても埒(らち)は明きますまい。いずれ、袁紹の手勢が現れますぞ。」 
  「確かに、そうなのだが・・・」 
  蹇碩の言葉に張譲は歯切れの悪い返事を返してきた。これは張譲らしからぬ事である。 
  この訝しい様子に聡い蹇碩は悟るのであった。張譲や他の十常侍が、集まったはいいが次の手を打てない訳を・・・
  本来であれば、蹇碩が弁皇子を捜していたように、皇子を手元に置き次の行動へ移るべきなのである。しかし、張
 譲達にはそれが出来ない。 
  弁皇子の元へ行くという事は、そこには必ず何太后がいるのである。張譲はその何太后の兄である何進を殺してい
 るのだ。どの面を下げて行く事が出来よう。 
  蹇碩は、このまま彼らと運命を共にするのに、大変な危険感を感じるのであった。 
  どうするべきか、それ程時間を与えられているわけではない。 
  弁皇子を楯にして、一人で袁紹に立ち向かうべきか。 
  初めはそうしようとしていたのだ。・・・が・・。 
  暫く悩んでいたが、ふと自分の懐中に宝刀を隠し持っている事を思い出した。これを使えば・・・、悪魔の思考が
 浮かぶ。 
  「封しょ殿、お騒がれるな。」 
  蹇碩はそう叫ぶと、封しょの後ろ首を掴み床に押さえつけたのだ。騒がれるなと言われても、突然、こんな事をさ
 れて大人しくしている者などいなく、封しょは手足を激しく動かして抵抗をするのであった。 
  そんな封しょに蹇碩はあの密書を見せつける。 
  初めは理解できなかった封しょも、その書が何かを識別すると途端に動きを止めるのであった。紅潮していた顔も
 水を引いたように青ざめる。 
  その変わり様に、事態を飲み込めずに状況把握に苦しんでいた張譲が声をかけた。 
  「蹇碩、その書は何か。」 
  「この書ですか。・・・この書は・・・。」 
  蹇碩は勿体つけるように、ゆっくりとした語調で話し出す。封しょは完全に観念したのか、俯いたまま動こうとは
 しなくなった。 
  蹇碩は、じっくりと十常侍を見渡す。彼らに、はっきりと自分の力を、どちらが上かを知らしめる機会が、今なの
 だ。
  「この書は、先の大乱の折り、この封しょが黄巾と通じていた証。・・・つまり、この男は、大恩ある漢を裏切っ
 ていたのです。」 
  「それは、誠か?」 
  蹇碩の発言の後、十常侍の視線は一斉に封しょに向けられた。 
  弁明する気も失せたのか、封?は一言も発さずに青ざめた顔を小刻みに震わせている。 
  誰もが蹇碩の話が真実だと知るのであった。 
  「蹇碩、確かにそれは大事な話だが、私達は、今、もっと大事な場面に出会している。人の暴露をしている状況で
 はないのではないか。」 
  「そうですね。しかし、この封しょを利用して、この危機を打開する策が、この蹇碩にはあるのですよ。」 
  蹇碩は不敵な笑みをこぼす。その氷のような表情に、張譲ですら寒気を覚えるのであった。 
  十常侍達は、置物のように動けなくなる。完全に蹇碩に気圧されているのだ。 
  この時点で蹇碩は十常侍の中で、精神的な面で上位に立ったのであった。 
  
  
  
  漢帝国にあって、権力を欲しいままにしてきた十常侍の張譲、蹇碩、曹節、段珪、侯覧の五名が、立った一人の女
 性の前で平伏し命乞いの台詞まで吐くのであった。 
  その女性は端正の眉をつり上げて、下を向く五人の頭を睨み付ける。 
  そして、その女性と十常侍の間には、物言わなくなった封?の青白い顔が置かれていた。 
  「私の兄を討ったのは、その封しょの独断と申すのですか?張譲。」 
  「その通りでございます。私どもが気付いたときには既に・・・」 
  「して、何太后様のお手を患わせる事もなく、私どもで成敗した次第です。」 
  首となった人間を相手では、真実を知る術などない。 
  それに何太后は、正直、実兄の事をあまりよく思ってはいなかった。大将軍となれたのは天子の皇后となった自分
 のおかげであるのに、その恩を感じているようには見えなかったからだ。 
  何太后には、それ以上の追及をする気はおきなく、そんな事よりも、よっぽど外の騒ぎの方が気になるのであった。
  「分かりました。よく敵(かたき)を討ってくれました。・・・そういう事にしておきましょう。ところで、先程か
 ら気になっているのですが、外の騒ぎは何ですか?」 
  「はい。それは封しょが何進大将軍を騙し討ちしたために、その部下の袁紹が怒りまして、兵を皇居の中へ入れた
 のです。」 
  「兵を皇居に!何と野蛮な・・早速この首を袁紹に見せて兵を引かせるのです。」 
  何太后の言う通り、首謀者を封しょに仕立てて袁紹と話し合う事は可能だ。しかし、宦官だけでは話に応じようと
 しないだろう。どうしても強い後ろ盾が必要なのだ。 
  「ですが、何太后様。」 
  打ち合わせ通り、蹇碩が何太后にその説明をする。これは蹇碩の筋書き通りであるし、十常侍の中で主導権を握っ
 ているのは自分だという誇示のためでもある。 
  それを苦々しく張譲は見つめていたが、今、自分達が助かるには蹇碩の策に乗るしかないのである。 
  「では、蹇碩。妾にどうしろと言うのですか?」 
  「はい。ここは一端、皇居から離れまして、兵達の心が静まるのを待ち、新帝の勅を持って収めるのが一番かと。」
  「何ですと、この都を離れろと申すのか。」 
  「そうです。今兵達は異様な興奮の中にいます。そんな中、弁皇子にもしもの事がありましたら、それこそ漢帝国
 の滅亡を招きます。」 
  気の強い何太后も、事、弁皇子の話を出されると弱い。「では、よきに計らえ。」と、仕方なく言うのであった。
  「分かりました。では、早速、馬車の用意を致します。それと、誰か協皇子もここへ。」 
  「何、協も連れて行くのですか。」 
  「ええ、もし長い旅となったときに弁皇子の話し相手も出来ましょうし、幼子一人を置き去りにするのも忍びない
 でしょう。」 
  蹇碩は殊勝に情を絡めて、何太后を丸め込んだが真意は別の所にあった。協皇子がもし、袁紹の手に渉り、勝手に
 皇帝へと立てられたら、自分達は反逆者となってしまう。 
  それだけは防がなければならない。 
  程なく、馬車の用意が出来た。流石に八人を一度に乗せる事は不可能なので、二台に別れる事になった。 
  一台目には何太后と弁皇子、張譲、蹇碩が乗り、二台目には協皇子、曹節、侯覧、段珪がそれぞれ乗った。 
  二台の馬車は、再起を図るために一端、都を離れる旅に出る。 
  袁紹の追っ手を振りきれるかは、運次第だが皇子を手中にしておけば、どうにかなる。 
  蹇碩の胸算用では、我が謀為ったようで、新政権での自分の姿を想像し、悦にはいるのであった。 
  しかし、張譲としてもこのまま引き下がる気はなかった。乾涸らびるには、まだまだ早すぎる。 
  別の馬車に乗る者の中には、ここにいる協皇子を立ててと考える者もいた。 
  こうして、様々な野望を乗せ二台の馬車は、暗闇の中を疾駆するのであった。  
 


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