十二.何進の死 温徳殿に十数名の共を引き連れ登城する大官の人物を見て、丁度、同じく温徳殿に向かう目的で傍らを歩いていた 男が驚いた。 思わず、声が出そうになるのをどうにか堪えると、直ぐさま身を隠せる場所へと移動する。 一端、自分の身を建物の陰に完全に隠すと、改めて見つめ直すのであった。が、自分の目がおかしくなった訳では ないと分かると、疑念のために表情を曇らすのであった。 「何故、何進が温徳殿に?勅は取り消したはずだが・・・」 物陰から蹇碩は状況の分析を始めた。この見極めが最大の分岐点になる。長年、謀略の中に身を置いていた経験が、 そう告げていた。 「何進のあの表情を見るに陛下が崩御なされた事を知らぬのか・・・いや、それ以前に我が謀(はかりごと)の中と 思うているのか?」 何進が僅かな共を連れて登城するという事は、やはり、何か正式な催しがあるのだろう。しかし、陛下がおられぬ 以上、勅など発する事はできない。 今、起こっている現実と照らし合わせると、誰かが勝手に勅を使って何進を呼び出したという事になる。 『では、誰が?』 そう考え込んでいる途中でも、蹇碩は近づく足音に敏感に反応する。そっと覗き見ると十常侍の面々が次々と温徳 殿に足を運んでいるのだ。 その様子に蹇碩は、はたとある事に気付いた。 十常侍の殆どを呼び出し偽の勅を操る。そんな事が出来る人物は、一人しかいない。 何進をおびき出しているのは、十常侍筆頭の張譲なのだ。しかも今日の事は、同じ十常侍である自分には何も知ら されていない。 全てを合わせて鑑みると何進との間にあった策が張譲に洩れているという事になる。 温徳殿に入っていった何進の命はないだろう。最も今の蹇碩は人の身を心配している状況ではない。 何進の次に張譲の標的になるのは、自分自身なのだから。 蹇碩は表情を蒼白にしながら、誰にも気付かれないようにその場を離れるのであった。 温徳殿に通された何進は元より、その共の腰の佩刀(はいとう)は預けられている。しかし、胸元にはしっかりと短 刀が仕舞われているのであった。 力のない宦官相手には十分すぎる。何進は、そう高(たか)を括(くく)っていた。 しかし、この油断が後に仇となる。何進の命運は静かだが、確実に尽きる方向へと進んでいくのであった。 「何進将軍、この度はおめでとうございます。」 玉座の傍らに張譲が立ち、何進に祝辞を述べる。 何進は主のない玉座に困惑するが、高慢な自尊心が慌てた姿を張譲に見せる事を許さず、声に抑揚を付けて謝辞を 返すのであった。 そのまま内心とは裏腹に和やかな雰囲気で張譲と談話を続けるのだが、暫くしても陛下が現れる様子をみせないの に対して、何進は不安感を募らせる。 そして、遂に堪えきれなくなり、張譲に問いかけるのであった。 「ところで陛下は、いつ頃、こちらへ参られるのか?」 が、張譲はなかなか答えようとしない。 流石にただならぬ雰囲気を感じ取った何進が、共の者に相談しようとした矢先、ようやく張譲は口を開いたのであ った。 「将軍、どうしても陛下にお会いしたいですか?」 「何を馬鹿な事を言っている。決まっているではないか。」 「そうですか。・・・それが望みとあらば。」 張譲の合図とともに垂れ幕の陰から、数十人の宦官が現れた。手にはそれぞれ武器を持っている。 「何の真似だ。張譲!」 「陛下の元へお連れして差し上げるのですよ。」 何進に向けられている白刃は、大きな和となり何進を囲む。そして、徐々に小さくなっていく。 十常侍の数名を討つ事を前提に、計画を立てていた何進達の目論見は、見事に御破算となったのだ。 そんな異常事態の中では、まともに張譲の言を理解する余裕など何進にはなかった。 「くそ、張譲め。」 「ほっほっほ。何進、まだ分からないのですか?陛下は既に崩御なされているのよ。」 「な、何。」 「あの世でお会いしなさい。」 張譲のその言葉を待っていたかのように、宦官達は一斉に何進へと襲いかかる。 何進を含め共の者全員が、懐中から短剣を取出し構えるが、数で押しきる人海戦術に対してはいかんともしがたい ものがあった。 しかも手にしているのは短剣である。致命傷を与えるためには、斬るのではなく深く突き刺さなければならない。 つまり、普通の斬撃よりも相手に近づかなければならないし、仮に短剣をうまく喰らわしたとしても、今度はその 腕を掴まれる可能性が高くなる。 一対一ならば何も問題はないのだが、こう周りを囲まれていては、迂闊に相手を倒す事も出来ないのだ。 何進には、じり貧のまま後退するしかできなかった。共の兵達は無抵抗に近い状態で、次々に倒されていく。 目の前で繰り広げられる惨状、何進の恐怖心が最高潮に達した時、張譲が一言、言い放った。 「黄泉への旅路、お気をつけて。何進相国。」 張譲はわざと恭しく、組んだ掌を額に近づけ、敬意を払う姿勢を作る。 「おのれ、張譲!」 その挑発に何進が自らの短剣を振り上げた。と、同時に、胸部から腹部にかけて数本の剣が突き刺さる。 痛みよりも驚きが先だったようで、何進は口を大きく開いたまま、目を左右に動かした。 その後、傷口を押さえた手に伝わる生暖かい感触に、顔を歪めるのであった。 そして、その場に崩れ落ちていく。 「泡沫(うたかた)の夢でしたな。」 張譲は他の十常侍を伴って、温徳殿から出ていった。 大将軍として、外戚として、栄華の頂点を極めようとした何進の人生が、こうして幕を閉じたのであった。 何進の命の灯火が尽きた頃、皇居の周りには意気盛んな男達がひしめき合っていた。 その中心には、二人の人物がいる。 中軍校尉の袁紹と従弟の袁術であった。 「よいか、皆の者。今、世が荒んでいる元凶は、全て宦官にある。」 「その宦官を討つべく、何進将軍が単身、乗り込まれた。我らも加勢し、この世の正義を知らしめる。」 大将二人の演説に袁紹、袁術の子飼いの兵達の士気は高まった。 その様子を遠くから、冷めた目で見つめる二つの人影があった。 「本初の野心を読みとれなかった、私が大将軍を殺した事になるのかな。楽進。」 「いえ、曹操様。どのみち、あの大将軍では、この乱世は生き残れなかったでしょう。」 「乱世か・・・どうしても・・・」 「何か?」 一瞬、曹操の表情に影が落ちたように楽進には見えたのであった。が、今、目の前にいる人物は、紛れもなく自身 に満ちあふれたいつもの曹操である。 楽進は目の錯覚を軽く覚えるのであった。 そんな楽進を余所に曹操は、闊達に指示を与える。 「これから皇居及び温徳殿には地獄絵図が繰り広げられるだろう。・・・が、肝心なのは皇太子殿下の身柄だ。乱 戦の中、万が一という事も考えられる。楽進、皇子二人の確保を頼む。」 楽進は曹操が言い終わるや否や、その姿を消している。この素早さが彼の真骨頂であった。 その頼もしさに曹操は笑みをこぼすと、後ろに控えていた屈強な男達に視線を移す。 その中でも飛び抜けた四人が、一歩、曹操の前に出た。 「惇、淵、仁、洪。我らも皇居へ向かう。」 四人は呼吸揃えて、「応。」と答えるのであった。 曹操は外套(がいとう)を翻すと硬い表情で、四人に戒告を述べる。 「いいか。敵は皇居の中だけではない。・・・いや、むしろ外にいる飢えた狼の方が厄介だ。・・・ふっ、私が言 うまでもないようだな」 四人の内なる闘志を感じ、曹操は逆に軽口となったかと口を閉じる。 曹操が歩き出すと同時に遠くで歓声が上がった。皇居の門を袁紹・袁術軍が撃ち破ったのであろう。 怒濤の勢いで攻め寄せる両軍の様子が容易に想像できる。 沸き上がる鬨の声とは対照的に、曹操達はゆっくりとした足取りで、意志ある行軍を続けるのであった。