十一.露見 暗い一室から、十数人の人間がゾロゾロと退出して行く。 最初に部屋から出た男は、次々と退出する人間に目を向け、最後に出た唯一の女性に礼をすると部屋に残った男に 声を掛けた。 「郭勝殿、私が貴方を呼んだ理由は分かっていますね。」 郭勝は十常侍筆頭・張譲を前にして固まってしまった。張譲の言わんとしている事は分かっている。 恐らく、蹇碩と結託して劉協を皇帝にしようとした事を言っているのだろう。 しかし、断じてその事を認めるわけにはいかない。 そもそも自分がその件に係わっていた証拠などどこにもないはずだ。 「いえ、何かございましたか。」 郭勝は何とかごまかそうと惚けた返事を返すが、張譲は溜息を一つ吐いた後、鋭い眼光を郭勝に投げつけた。 「陛下の霊前でそのような嘘をおっしゃるのですか?」 言葉尻は優しいのだが、その鋭い視線は緩む事はなかった。郭勝は段々とその視線に耐えられなくなってくる。 が、言葉を出そうにも恐ろしくで出せないのだった。 「分かっています。漢の将来を憂いでの行動だったのでしょう。」 郭勝の様子を見るに完全に我が手中にあると感じた張譲は、一転、懐柔へと方向転換する。 鋭い詰問が急に緩まった事、そして、早くこの場を立ち去りたい気持ちが、郭勝に正直に答えてもいいかという心 境の変化を生じさせた。 「何、貴方は利用されていたのですよ。」 「そうです。私は蹇碩に利用されたんです。」 と、声に出してしまってから、郭勝は青ざめるが、もう言ってしまったものは後戻りできない。 後は自分が有利になるように正直に話そうと覚悟を決めるのであった。 意を決した郭勝の弁舌は流れるようで、劉協奉戴までの状況を全て話し、ときには蹇碩に責任を押しつけるように 誇張して話すのであった。 話し終わった後、張譲は目を閉じて天を仰いでいる。 郭勝は恐る恐るその挙動を伺った。 「分かりました。全ては蹇碩が悪いのですね。」 その言葉を聞いてホッとする。 しかし、続く言葉に愕然とするのであった。 「ですが、乗ってしまった貴方も悪い。今は新皇帝の下、十常侍、一丸とならなければならない時期。貴方には暫 く大人しくしていただきますよ。」 郭勝は、「はい。」と、ただ頷くしかなかった。 「何、私は今回の件で蹇碩を除こうと思います。蹇碩さえいなくなれば、貴方の罪も消えてなくなりますよ。少し の我慢です。」 「蹇碩さえいなくなれば?」 「そうです。」 張譲はにっこり微笑んで郭勝の肩を叩く。 絶望の淵にいると思っていた郭勝は、何故かその微笑みで救われたような気がした。 「蹇碩さえ、蹇碩さえ・・・」 張譲が去った後でも呪文のようにその言葉を繰返す。 「蹇碩さえ。」 最後の一言を絞り出した郭勝の目は、狂気に帯びているようであった。 「いったん出された勅が、何者かによって取り消されていると?」 「そうです。」 張譲の元に同じく十常侍の趙忠が現れて、そう告げたのであった。 「して、その取り消されたという勅の内容は?」 「それが大将軍何進の昇進という事でした。」 「何進の昇進?これ以上昇進しようがないでしょうに。」 張譲は趙忠の話に訝しむのであった。それは趙忠も一緒であったが、次の言葉によって張譲は謎が解けるのであっ た。 「その勅を取り仕切っていたのが蹇碩殿という事なのですが、後で彼に聞いてみましょうか?」 「なるほど。そういう事ですか。」 張譲の表情がパッと明るくなった。趙忠にはその意味が全く分からなかったが、十常侍一の実力者の機嫌が良くな ったのだから、いいのだろうと単純に考える。 が、疑問は疑問、「どういう事ですか?」と、尋ねるのであった。 「いえ、ただ墓穴を掘ったという事ですよ。」 質問の答えがこれでは、趙忠も意味不明である。更に尋ねていいものだろうかと悩んでいると、張譲が先に口を開 くのであった。 「趙忠殿、貴方にお願いがあります。」 不意ではあったが、張譲の頼みとあっては断るわけにもいかない。 難題でなければよいと思いながら、愛想笑いを浮かべる趙忠であった。 「何でございましょうか。」 「その蹇碩が取り仕切っていたという勅を、貴方が進めていただけないでしょうか。」 「分かりましたが・・・どのような職を与えればよろしいのでしょうか。」 つい先程、これ以上昇進のしようがないと言ったばかりである。流石の張譲にも適当な役職は直ぐに浮かばなかっ た。 「そうですね。それでは相国(しょうこく)という事にしましょう。」 「相国ですか?」 相国とは前漢、後漢を合わせて空位となっていた役職である。それを復活させるというのか。 疑問は尽きない趙忠であった。が、それ程、難しい問題ではなかったので、ホッとした面もあった。 「直ぐにまた、空位になりますよ。」 そんな趙忠に張譲は不思議な笑みを残して立ち去る。 残された趙忠は、多少、呆けていたが、直ぐに正気に戻り、張譲の依頼事を叶えるために動き出すのであった。 「大将軍何進を相国に任ず。」 何進の元に詔勅が下りたのは、趙忠の手筈で天子崩御から二日後の事であった。 詔勅を持って宮中に参内する事は、前もって蹇碩と打ち合わせていた通りなので、何進は疑う様子などなく準備を 始める。 この日のために精鋭の部下を選りすぐっていたのだ。 『しかし、蹇碩の奴も相国とは思い切った事をする。権力を手中にしたならばいっそ、本当に任官してしまおうか。』 何進は参内前から、もう、心躍らせている。 そこに袁紹も現れて、讃辞を述べ、何進の有頂天はますます盛り上がるのであった。 「では、行ってくるぞ。」 「はっ。吉報をお待ちしております。」 袁紹の見送りのもと、何進は温徳殿に向かうのであった。 何進が共を連れて出発すると袁紹も、直ぐに動き出す。 「よし。では、後は万が一に備えて、我らも準備するぞ。」 袁紹は身近な側近に、そう告げると兵を動かすための準備を始めるのであった。 「おい、本初。大事な話がある。」 そんな折り、兵の招集を指示している所に、袁紹の幼なじみでもある曹操がやって来た。 「どうした孟徳。悪いが今は国家の一大事、相手はしていられんぞ。」 「いや、悪いが相手をしてもらう。」 曹操は理不尽に無茶を言う男ではない。その事を熟知している袁紹は、「何かあったのか。」と、曹操に聞き返す のであった。 「何かあった所じゃない。参内に向かわれた将軍を今すぐお止めしろ。」 「何を馬鹿な事を言い出すんだ。十常侍を殲滅する機会を見過ごせというのか。」 「そうじゃない。これは罠だ。」 「罠?」 思いもしない曹操の発言に、その後の言葉が続かなかった。 『罠』とはどういう事だ。自分達の策で十常侍をはめているはずだ。それが逆に罠にかけられているだと? そんな事は、あり得ないと袁紹は首を振るのであった。 「何を言い出す。その根拠は何だ。」 「根拠?それは既に陛下が崩御なされている事だ。それで勅が出されるのは、誰の目にも不自然だろう。ましてや、 その場に張譲が現れるはずなどない。」 「ほ、崩御?」 自分の知らぬ事を次々に言われて、袁紹は目を白黒させている。 「そ、それは確か?」 「ああ、間違いない。本初、この男に見覚えがあるだろう。」 曹操がそう言うと音も立てずにその場に現れた人物がいる。その男を見るなり、袁紹は思わず声を上げるのであっ た。 「お、お前は。」 「この男は、私が十常侍を監視するために蹇碩の元に潜り込ませた男だ。名を楽進という。」 蹇碩の使者として対面したとき、ただ者ではないと思っていたが、曹操の間者とは・・・ 「楽進の話だと、既に策は露見しているそうだ。蹇碩も張譲の監視下となっている。」 「そ、そんな馬鹿な。」 袁紹はその場に屈して膝をつきたい気分であったが、何とか踏み止まる。 「分かっただろ。将軍は私の言葉には耳を貸そうとはしない。だから、本初、君から話し欲しいんだ。」 「そうだ。今なら、まだ、間に合うかもしれん。」 気持ちを取り戻した袁紹は、曹操と約束する。何進は、つい先程、出発したばかりなのだから、十分間に合うだろ う。 「任せたぞ。」 袁紹の返事に曹操は気をよくし、全てを託して袁紹の前から去って行くのであった。 袁紹はその後ろ姿を無言で見送る。 「と、いう事だ。直ぐに将軍を追うぞ。」 袁紹は側近にそう告げると急いで歩き出すのであった。 しかし、向かう先が全く違う。 側近は袁紹が勘違いをしているのだろうと、指摘するのだが、袁紹は一言、「いいんだ。」と、言うのみであった。 暫くして、袁紹が行き着いた先は何と従弟である袁術の元であった。 「これより、袁家の力を世に知らしめる。手を貸してくれ。」 袁紹は言葉では頼んでいるのが、目はまるで恫喝しているようだった。 袁術もその勢いにわけも分からず、頷くのである。 『何進将軍には悪いが、踏み台になって貰う。これからは、袁家の時代だ。』 心の中で誓いを立てる袁紹の手には、黄巾に与した張譲らの名前が記載してある書簡が握られていた。 大将軍の暗殺とこの書簡。 大義は自分にある。 胸を張り、威風堂々とした袁紹はゆっくりと兵を引き連れ、温徳殿に向かうのであった。