一.それぞれの始まり 
  

  黄巾の乱の終焉から一月の歳月が流れた。論功行賞(ろんこうこうしょう)の殆どが終わり、黄巾賊と戦った勇将・
 群雄達は賜った爵位と報償を手土産に次々と自らの帰る場所へと去って行く。 
  洛陽の街は長い戦乱からの立ち直りの兆しをみせ、露店や商人が路上を賑わした。 
  しかし、洛陽から一歩でも外に出ると傷痕残る荒野が広がる。 
  そびえ立つ城壁の内と外ではまさに対照的な風景となっているのである。 
  その風景の中に数十個の陣幕が存在控えめに建ち並んでいた。その陣幕は砂塵にまみれ、荒野と同化しつつあり、
 いかに視力の良い人間でも遠目では目を凝らしても判別つかない程であった。 
  この一隊は正規の官軍ではなかったために恩賞を授かるのを後回しとされ、この場所にて待機を命じられたのであ
 った。 
  陣幕の体たらくからも察するように、その命を受けてから流れた歳月は実に長く、二十の夜と二十の昼を重ねてい
 た。 
  そして、同じく二十回目の朝日を迎えた今、この一隊の一翼を担う勇将にして中華でも希な猛将の不満が爆発した。
  将の名は張飛益徳、一隊は劉備玄徳率いる幽州義勇兵であった。 
  「長兄!いつまで俺達は待ちゃいいんだよ。」 
  「益徳、そう怒鳴るな。」 
  そう窘(たしな)めたのは、張飛を劉備の左手とするならば右手(ききて)となる存在、関羽雲長であった。 
  この二人が揃えば黄巾賊はたちどころに戦意喪失し逃げ出す。先の大乱でそれ程までの武力を示した二人が見つめ
 る陣幕から、両名の義兄にて主君たる劉備玄徳が欠伸を噛み殺しながら現れた。 
  「朝っぱらから何だよ。」 
  すかさず簡雍が水の入った桶を劉備に差し出す。劉備はあまりにも冷たい水に一瞬手を引くが、意を決して顔を洗
 った。 
  さっぱりし桶から顔を上げた途端、不意に張飛の髭面が目に飛び込んでくる。 
  「いつまで待つんだ。」 
  「わぁ。」 
  驚いた劉備が簡雍の持つ桶を跳ね飛ばし、その桶は見事に・・・・ 
  「しかし、長兄。益徳の言う事ももっともですぞ。」 
  「ああ、そいつは分かっちゃいるが。・・・妙な噂を聞いちまってね。」 
  劉備が真剣な表情で洛陽の門を見つめる。いくら目を細めてもその門は開きはしない。 
  「おい、その前に何か言う事があるんじゃねぇか。」 
  劉備と関羽は敢えてそちらを見ないようにしていたのだが、そこには桶を頭から被り体を震わせる張飛がいたので
 あった。 
  
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    「・・・左軍校尉・淳干瓊(じゅんうけい)、中軍校尉・袁紹、典軍校尉・曹操、以上八名を新たに校尉に任命する。」   復興を目指す洛陽の守備のために霊帝(れいてい)の元に新たな役職、西園八校尉がここに設けられた。   立ち並ぶ八名の中には大抜擢の人物などもいて、高揚した面持(おもも)ちが二、三見られる。   その中で一人、鋭い視線を曹操に浴びせる人間がいた。   それはこの八校尉を統括する立場の上軍校尉であり、唯一の武官でない人物。宦官の蹇碩(けんせき)であった。   曹操と蹇碩の間には深い確執があり、それは北門の禁令を破ったかどで叔父・蹇朔(けんさく)が曹操に殺された事  に始まった。   以来、何かにつけて曹操の首を狙う蹇碩が、幾度度なく罠にはめようと試みるが、いずれも曹操の知謀の前にする  りと出し抜かれてしまう。   そして、今度こそはと考え出した策略がこの曹操を自らの部下として置く事であった。そうすればいか様にも難癖  を付ける事が出来る。   場合によっては、待望の首を見る日も近いだろうと内心ほくそ笑んだ。   そんな経緯を知っている袁紹は隣りの曹操に耳打ちする。   「おい、孟徳。お前はこの任官は辞退した方が良かったんじゃないか。」   「いや、それこそ蹇碩の思うつぼさ。任官拒否とやらで即刻、牢獄にぶち込み、その日の内にこの首はなくなって  いる。」   曹操は悪戯っぽく、自分の首に手を当てると親友を安心させるために微笑む。   「大丈夫だ。先の大乱で私は世の広い事、また、人物と呼べる人間の多い事を知った。彼らに比べると蹇碩はかな  りの小者。後れをとる気は全くない。」   「人物ね。・・・・まさか、洛陽の城外で見せしめにされている男の事じゃないよな。」   「何の事だ。」   袁紹の話は、こうであった。   洛陽の南門城外に論功行賞を待たされている義勇兵の一隊がいる。が、実際にはこの一隊には何の恩賞も与えられ  ないのだという。何故なら、この大乱にて戦功第一の皇甫嵩将軍に睨まれたからであった。   この隊は確かに戦功は目覚ましかったのだが、それを束ねる人物の態度が皇甫嵩には気にくわなかったという。   よって、皇甫嵩の口利きにより、恩賞を与える素振りだけみせ、永久に洛陽の城外に待たされるというのであった。   その一隊とは幽州義勇兵。   「何を馬鹿な事を。」   曹操孟徳、この男にしては珍しく語気を粗げる。自分が認めた人物がそんな事で埋没していくのは許せない。   曹操は任官の式典が終わるや否や即座に退室するのであった。  
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    劉備、曹操。そして、もう一人の英雄、孫堅文台は洛陽から遠く離れた西北の地・涼州で起きた反乱討伐に帯同し  ていた。   この乱は涼州の豪族である辺章(へんしょう)と韓遂(かんすい)が異民族の羌族(きょうぞく)を促して起こしたもの  である。   規模としては黄巾の乱程ではないにせよ、地方の州牧には手に余るようで中央から、皇甫嵩を総大将とした討伐軍  が編成されたのであった。   その中に孫堅が組み込まれたのである。   本来であれば、孫堅文台も曹操、袁紹と同様に西園八校尉に任命されてもおかしくなかったのだが、江南の気質が  混じるのを嫌った中央官吏によってその話は御破算となった。   しかし、孫堅はそれで良かったと思っている。   自分には宮仕えは似合わない。戦場に身を置く、今が一番落ち着く。   相手との駆け引き、戦略や戦術の磨き合い。どれもこれもが孫堅文台に彩りを与える素材、それが戦場にはあるの  だ。   戦の天才と言われる所以(ゆえん)でもある。   そんな孫堅にも今回に限っては一つだけ不安点があった。   それはこの討伐軍に孫堅の他にもう一軍、帯同していたからだ。その一軍とは中郎将から前将軍に昇進した董卓仲  頴(とうたくちゅうえい)、その一軍であった。   董卓とは黄巾討伐で一度、面識がある。   その時に受けた印象、感じた人となりは、これから共闘を図る人物として不安の一言に尽きる。   官位は自分より、遙かに上の存在なので、自分は慎み深く意見は尊重しようと考えているが、間違っている事を正  しいとは絶対に言えない性分なので、何かしらの衝突は避ける事は出来ないだろう。   何より、董卓の粗暴な性格、味方にまでみせる凶暴性が気になる。   孫堅はこの戦があらぬ方向に導かれねばよいがと思い始めるのであった。   
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    洛陽城外にて待つ義勇兵に初めて朗報が届いたのは、三十回目の昼食を食べている時であった。   その内容は朗報と呼べるほどの事ではなかったが、何にせよ忘れられていなかった事が分かっただけでも収穫であ  ったのだ。   「幽州義勇兵頭目、劉備玄徳。そなたを安喜県(あんきけん)の尉に任ずる。早急にご準備され、任地において精励  恪勤(せいれいかっきん)されたし。」   「へい。」と、劉備は使者の張鈞(ちょうきん)から竹簡を受け取る。   「ほら、準備だ。」   劉備は早速、義弟の二人に出立の準備をさせようと促すが、その一人の張飛が黙ったまま動こうとしない。   「どうした?益徳。」   「どうしたもこうしたもあるかよ。」   その顔には不満の表情がありありと出ているのだ。   張飛は張鈞を睨み付けると、「おい、散々、待たせた挙げ句にそんなちっぽけな役職か?うちの長兄を馬鹿にする  んじゃねぇぞ。」と、相手に掴みかかろうとする。   関羽の制止が間に合い、事なきを得たが、もしあのままであったら張鈞は軽く五間は吹っ飛ばされていただろう。   しかし、使者の張鈞の胆力も大したもので張飛の髭面を眼前にしても、その涼しげな表情は変わる事がなかった。   「曹操殿の計らいかい?」   「そうです。」   横合いから受けた劉備の質問に一言で答えた張鈞は、更に言葉を続けた。   「実はあなた方は車騎将軍の皇甫嵩殿に睨まれておりまして、このまま何の音沙汰も無しで洛陽の城外に放置して  おく事になっておりました。」   「ああ、そんな噂をちらっと聞いたよ。」   「しかし、それを聞かれた曹操殿が何進(かしん)大将軍に掛け合い、何とかその役職を賜ったのです。今は皇甫嵩  将軍の事もあるので大きな役職は無理ですが、ひとまずは・・・・。」   「分かっているよ。そういう事だ、益徳、雲長。」   話の内容は到底納得できるものではなかったが、ここは曹操の顔も立てなければならない。   劉備を残して二人は準備に取り掛かるのであった。   「どうして曹操殿からと分かりました。」   「ん?ああ、あんたの態度がさ。・・・益徳の顔があんな近くに迫って顔色一つ変えないってのは、どう考えても  おかしいぜ。おいらでも不意だと驚くのにさ。」   「さぁ、それが何か?」   劉備の言いようでは全く分からない。それだけで曹操孟徳の名が導き出されるのだろうか。   「っていう事は、あんたは予め益徳の反応を知っていたんじゃねぇのかい?」   「あ。」   すかさず張鈞が口に手をあて驚きをみせる。一方、劉備はそんな様子に破顔した。   「そして、雲長が必ず止めに入る事も知っていた。だから、あんたは安心して顔色変えずにすんだのさ。・・そん  な事まで予見できる人物は、おいらは二人しか知らない。そして、今、洛陽にいるのは一人だけ、曹操孟徳って事に  なる。」   「なるほど。流石は、流石は曹操殿が見込まれた人物ですな。」   張鈞は頻りに感心をした。   そして丁度、準備が終了したのだろうか、張飛が丈八蛇矛を振って劉備を呼ぶ。   「おお、今、行く。いや、流石なのはそんなおいらを見抜いた曹操殿さ。そんじゃ。」   その場に残された張鈞は劉備の後ろ姿を見送り、張鈞だけに耳打ちした曹操の言葉を思い出していた。   『まあ、すぐに自分の力で別の大職につくがね。』   その言葉に偽りはない。いずれ、あの男はもっと大きな役職でこの都の門をくぐる日が来ると確信したのであった。   

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