九.人狼 
  

  徐州(じょしゅう)下ひから南陽(なんよう)に向かう二千騎の騎影があった。それは、下ひの丞(じょう)、孫堅文台
 (そんけんぶんだい)が率いる騎馬隊である。 
  孫堅は大将軍・何進(かしん)の招聘に応じ、右中郎将・朱儁(しゅしゅん)の援軍に向かう途上であった。 
  朱儁は南陽の地で大賢良師・張角(ちょうかく)の弟、地公将軍・張宝(ちょうほう)と矛を交えている。戦局はやや
 官軍が押され気味と孫堅の耳に入っている。 
  が、殊更、急ぐでもなく、悠然と孫堅は騎馬を進めていった。 
  「孫堅様、もう少し急がれた方がよろしいのでは・・・。」 
  この行軍に多少心配になった孫堅旗下四天王の韓当(かんとう)が孫堅に声をかけた。 
  「ん?いや、俺もそう思うのだがなぁ。」 
  孫堅はそう言うと進軍する道と平行に走る小高い丘を見上げた。 
  つられるように韓当も見上げるとそこには黄巾賊と思しき騎馬隊がいた。その数は三騎から四騎程度であるので、
 恐らく斥候部隊であろう。 
  「いつの間に・・・」 
  韓当の動きに気付いた黄蓋(こうがい)と程普(ていふ)も孫堅の元に近付いてくる。 
  「どうします。」 
  「まずは、放っとこうと思う。・・・そして、考える。」 
  「何をですか?」 
  「敵の真意をだよ。・・おい、大栄(たいえい)。」 
  孫堅は黄蓋に答えた後、直ぐに祖茂を呼ぶ。そして、何やら耳打ちをした。 
  「何をさせるのですか?」 
  「まあ、見てなって。」 
  祖茂は丘の方に近付くと弓と矢を取出し引き絞る。気合いのもと放たれた矢は、黄巾賊達の僅か手前の大地に突き
 刺さる。 
  これは威嚇であり、祖茂は孫堅の命令でわざと外したのである。 
  しかし、黄巾賊はこの矢に対して何の動きもなかった。 
  「な、ただの斥候じゃねぇだろ。」 
  孫堅の示す通り、黄巾賊は逃げるでもなく、仕掛けるでもない。一定の距離を保ちながら、ずっと孫堅軍について
 くるだけなのだ。 
  斥候という役割とは少し違うようだ。 
  「なるほど、確かに不可解ですな。」 
  「気味が悪いので追っ払いましょう。」 
  韓当が孫堅にそう提案するが、即座に却下した。 
  「いや、分からないことを分からないままにしておく方が気味が悪い。」 
  「うーむ。・・我々を見張っているのでしょうか?」 
  「何のために?」 
  程普と黄蓋は孫堅と同様に考え込む。一方、韓当と祖茂は、そんなの面倒くさいとばかりに、丘の上の黄巾賊を睨
 み付けるのであった。 
  「駄目だ。分からん。・・ちょと、聞いてくるわ。」 
  不意に孫堅は馬首を返すと一気に丘を駆け上る。黄蓋、程普、韓当、祖茂は一瞬呆気に取られるが、慌てて孫堅の
 後を追う。 
  又、慌てたのは四天王だけではなかった。それは黄巾賊達も同様である。 
  単騎で迫り来る巨漢の迫力に態勢を崩し、自らの騎馬を落ち着かせる作業に手間取った。そして、孫堅の接近を簡
 単に許してしまう。 
  黄巾賊は反射的に刀を振りかざすが、それも孫堅に軽く弾かれた。 
  「なぁ、あんたらの目的は何だ?」 
  「いや、待て。」 
  尚も刃を突き立てようとする者を黄巾賊の中の一人、一番の年長者らしき人物が制した。 
  「我らは別に貴軍に危害を加えようとする者ではない。」 
  「へっ、黄巾賊が何を言ってやがる。」 
  孫堅に追いついた祖茂が毒づいた。すると、先程も最後まで抗おうとした一人が色めきだった。 
  が、直ぐに同じく窘(たしな)められる。 
  よく見るとこの者が一番若く、その他の者はいずれも老年にさしかかろうかという年齢であった。又、面立ちから
 想像するにこの若者を窘めた年長者とは血縁関係にあるようだ。 
  「・・んで、危害を加える気がないなら、何で俺達の事を監視しているんだい?」 
  「そんな事、貴様らに教える必要などない。」 
  「こら、よさぬか。・・・失礼した。貴方には本当のことをお話ししても良いような気がする。」 
  年長者が孫堅の目をジッと見ながら、そう言った。孫堅も目を逸らさずに見つめ返した。 
  「試しに言ってみな。」 
  「・・実は、これより南東に我らが村がある。」 
  「父上!」 
  若者が非難の声をあげるが、それを無視するように話を続けた。 
  「その村には・・・。」 
  年長者の話は、こうであった。 
  今から一年前、これから漢帝国との一大決戦が始まるとして、大賢良師からの通達があり、村の若者のほとんどが
 かり出されたそうである。 
  黄巾賊とは元々、農民達の反乱であったから、事起きるとこれまで手掛けていた農地を家族に任せて戦に出掛けな
 ければならない。 
  しかし、残されたのは女、子供。一応、男手はあることはあるが、働き盛りを過ぎた者ばかりであり、労働力には
 限りがあった。 
  そして、一年という年月は少しずつ農地を風化させ、今では細々とした土地で暮らしているという。 
  孫堅軍を監視していたのは、暫くこの地を通る官軍はなく戦闘能力のない村としては安心していたのだが、突然、
 孫堅軍が現れたので、その進軍の意図を確かめるべく。又、村から出来るだけ引き離そうと孫堅達の前に姿を現した
 そうである。 
  孫堅は話を聞き終えると一気に興ざめしたという表情を見せた。その真意を掴めず、黄巾賊達は、一様に戸惑った。
  「ふーん。つまり、その村を襲わないで欲しいと。・・・自分達、黄巾賊は罪のない村を襲っているっていうのに。」
  「・・・まあ、身勝手といわれるかも知れないが・・・そう言うことです。」 
  黄巾の若者は反論したいようであったが、自分達の無力も認識しているので下唇を噛み締めるに終わった。 
  「・・・しゃーねぇな。分かったよ。村は襲わねぇ。おい、徳謀(とくぼう)。」 
  孫堅は頭を掻きむしるような仕草をすると程普を呼びつける。 
  「兵糧を少し分けてやんな。」 
  「な、情けをかけられたうえ、施しまで受け・・・。」 
  若者は顔を真っ赤にして怒鳴る。が、孫堅の鋭い眼光に出会い、口をつぐんだ。 
  「おい、お前が食いたくなけれゃ食わなきゃいい。自尊心や見栄で腹はふくれねぇんだぜ。村に残っている人間の
 ことを考えろ。」 
  「・・・。」 
  返す言葉もなく、項垂(うなだ)れる若者に父親は優しく肩を抱いた。若者は自分自身の悔しさのためか大粒の涙を
 こぼす。 
  それを見ると孫堅は笑みを一つこぼし踵(きびす)を返した。 
  「行くぜ。」 
  四天王にそう声をかけると一人、丘を降りようとする。その時であった。黄蓋が急に大声を上げたのだ。 
  「殿、煙が。」 
  「煙?」 
  黄蓋が指さす方向には確かに濛々と立ち上る煙があった。それを見上げた黄巾賊達の顔色が変わる。 
  そう、その煙は先程言っていた南東の方角から立ち上がっていたのだ。 
  黄巾賊達は素早く騎馬を操り、その煙の元へと走り出した。 
  「黄巾賊達の村でしょうか?」 
  「さあな。俺達も行くぞ。」 
  孫堅は黄巾賊に続いて、馬を駆った。仕方なく、黄蓋達も兵をまとめながら孫堅を追う。 
  そうして、半時ほど馬を走らせると見窄らしい小さな村が見えてきた。煙の元はやはり、この村である。 
  村に着くと孫堅は先に着いたであろう黄巾賊達を探したが見当たらない。炎と煙の間を目を凝らして探すと村の奥
 に人影が見えた。 
  馬で炎を見事に飛び越えると孫堅は、人影の方向へ向かう。 
  「父上!」 
  その孫堅の耳に飛び込んできたのは、先程の若者の叫びであった。 
  「おい、大丈夫か。」 
  馬上から降り、地に座り込む若者に声をかけた。「近寄るな!。」 
  若者は近付く孫堅を睨み付ける。その腕には、血まみれになっている父親の姿があった。 
  「村を襲わないって言ったじゃないか。」 
  「・・官軍か?」 
  どうやら、この村を襲ったのは官軍らしい。相手が黄巾賊とはいえ、女、子供しかいない村に対する仕打ちとは思
 えない。 
  「おい、お前ら。黄巾の残党か?」 
  孫堅がいえもしない苛立ちに見回れていると後ろから大声が響いた。振り返ると身の丈九尺の大男が薙刀を構えて
 立っている。 
  「手前のお前は官軍だな。奥の若造、お前は?」 
  「ちくしょう。」 
  「よせ。」 
  孫堅の制止を振り切って、黄巾の若者が薙刀を持つ男に斬りかかる。 
  「ふん。その程度の腕で儂を倒せると思うたか。」 
  薙刀の男は軽くあしらい、一刀のもとに若者を切り伏せる。無惨にも若者は大地に崩れ落ちた。 
  「・・ち・く・・しょう・・」 
  「何だ。貴様、何か言いたげだな。」 
  孫堅はその薙刀の男を睨み付けながら、若者に近付く。首筋にそっと手を当ててみると、既に事切れていることが
 分かった。 
  「何だ。貴様も官軍のくせに文句があるのか。」 
  「どうした。華雄(かゆう)。」 
  孫堅と華雄が睨み合いをしている中、でっぷりとした体躯の男を先頭に官軍達が現れる。旗には『董』の文字が記
 されている。 
  『まさか、こいつは』 
  孫堅の耳にも届いている。河東(かとう)の太守を歴任し今は中郎将の職に就いている。名は確か・・・ 
  「董卓(とうたく)様。いや、この男が・・・」 
  そう、董卓仲頴(ちゅうえい)。狡知に長け、その野心を隠そうともしない男。中央政府では押さえられず、西涼
 (せいりょう)へ追いやられたと聞いていたのだが・・・ 
  「何者だ。貴様。」 
  冷たい視線で見下ろすのを孫堅は熱い意志で跳ね返し答えた。 
  「別部司馬、下ひの丞。孫堅文台でござる。」 
  「ほう。貴様が孫堅か。名は聞いておる。その孫堅がここで何をしている。」 
  「董卓様、この男、先程、黄巾賊と何やら相談をしていたように見受けられますが。」 
  華雄の進言に董卓は鞘から剣を抜き、剣先を孫堅に向ける。 
  「貴様、漢を裏切るつもりか?」 
  「ふっ、はっはっはっ。漢を裏切る?鏡に映った自分に問いかけでしょうか?中郎将殿。」 
  「な、無礼であるぞ。」 
  孫堅の言葉に董卓の近臣どもが声を荒げる。 
  「胆力は大したものだな。この剣で貴様の命を絶つことも可能なのだぞ。」 
  「どうぞ。ご随意に。」 
  孫堅は不適に笑い、董卓に背を向けて歩き出す。そこに兵をまとめるのに手間取った四天王が駆けつけてきた。
  何やら不穏な空気が流れているのに気付き、程普が話しかける。 
  「いかがしました。孫堅様。」 
  「いや、別に。それでは、失礼しますぞ。」 
  孫堅は董卓にそう告げると口元に笑みを残したまま、自分の馬に跨った。 
  「よろしいのですか、このまま帰して。」 
  「よかろう。・・孫堅よ。次に出会うのは、いずこかの戦場だな。」 
  孫堅は無言で肯定する。そして、心の中で呟いた。 
  『味方とは限らんがね。』 
  孫堅軍が完全に黄巾の村を離れると黄蓋が孫堅に話しかけてきた。 
  「何者だったのですか。政府の高官のようですが。」 
  「ふっ、人狼さ。」 
  「人狼・・ですか。」 
  「ああ。とんでもなぇ奴が中央に戻ったもんだぜ。」 
  孫堅は涼しげな顔と裏腹に自分が相当、動揺していることに気付く。次に出会うのが戦場であるならば、その時は
 どちらかが死ぬときかもしれない。 
  孫堅はそんな予感にとらわれるのであった。  




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