八.二虎激闘 州都から僅か三里と離れていない場所で、冀州の存亡をかけた戦いが繰り広げられようとした。攻めるは同じく冀 州は常山の黒山賊と黄巾賊の連合で、護るは幽州からの救援隊である。 連勝の勢いか黒山賊の方が士気が高く、一方、幽州の官兵は噂に聞く強敵を前にやや緊張に包まれた感があった。 それは一軍を率いる鄒靖にも言える。 しかし、その中で一人だけ馬上であぐらをかき、この独特の空気に流されることのない人物がいた。幽州の義勇兵 を率いる劉備玄徳である。 「おい、簡雍。敵さん、凄い勢いで突っ込んでくるぜ。」 「笑い事ではありません。あの勢いにまともに当たってはなりません。前曲は鄒靖将軍に任せて、我らは何とか横 に回り込みましょう。」 簡雍が劉備をそう促すが、劉備は前方をジッと見たまま黙り込んだ。刹那、関羽が劉備の前で青龍偃月刀を払った。 金属音が鳴り、劉備の前に矢が落ちる。 簡雍はそれを見て目を疑った。確かに敵と対峙しているが、劉備達は後曲に位置している。今のような勢いで矢が 届くはずがない。 「どうやら、あっちにも化け物がいるみてぇだな。下手したら、校尉殿も危ねぇか。・・・雲長、益徳。おいら達 も前に出るぜ。」 「はっ。」 「おう。」 劉備の命で劉備軍が一気に幽州軍の前曲まで上がった。鄒靖達、幽州の官兵は既に賊軍と矛を交えており、戦局と しては今のところ五分である。 鄒靖は友軍が前戦に上がってきたのを見ると劉備に近付いて話しかけた。 「劉備、黒山賊も確かに強いが噂ほどではないようだな。」 「いんや。あいつら、まだ、本気じゃねぇよ。」 劉備は黒山賊の後方にいるある人物に視線を合わせたまま、雌雄一対の剣を振るい目の前の賊徒を屠(ほふ)る。鄒 靖も劉備の言葉が気になるのか、槍は敵に向いているが再び劉備に近付こうと模索する。 「本気じゃないとは・・・どういう事だ。」 「あいつだよ。あいつが動いてねぇ。」 「あいつ?」 鄒靖は劉備の視線の先を追う。すると眼の中には一人の白兜に白い鎧を纏(まと)った槍術者が飛び込んできた。そ れは先程、劉備に矢をいかけた人物である。 「何者だ?」 「さあ、化け物、もしくは・・猛虎かな。」 「猛虎・・」 鄒靖は背筋に寒さのようなものを覚えた。劉備の指す人物が何者か分からないし、実力も未知数である。しかし、 そんな事より、普段おどけてばかりで捕らえようのない劉備玄徳がここまで警戒しているという事実が鄒靖の警鐘を 鳴らす。 「お喋りはおしまいだ。来るぜ。・・・来た。」 劉備の大声に驚く。続いて、鄒靖は目の当たりにした光景に驚いた。 あの白い槍術者が動いたのだ。 そして、その進む先々では、何かが爆発したかのように味方の歩兵達がなぎ倒されていく。白い鎧が徐々に朱に染 まっていくのがはっきりと見て取れるのである。 「校尉殿、退かせろ。あいつの相手は義弟達にしかできねぇ。」 「う・・うむ。すまないが頼む。」 鄒靖の命令で前曲の兵達が後退する。変わって、劉備三兄弟に率いられる義勇兵が最前線に出た。 「おい、おめぇ、何者だ。」 劉備が白い戦士に話しかけるが返答はなかった。幽州の官兵達が退いたので、黒山賊との間に空間ができ、一時、 戦いは中断している。 白い戦士は無言のまま、劉備達の実力を値踏みしているのか、賊軍の先頭で愛馬と全軍の進行を制止していた。 「あん?おいらの言葉は分かるよな?・・・いや、人に名を問うときは自分からか。おいらの名前は劉備玄徳。い ずれ、この国の皇帝になる男だ。」 劉備の発言に賊軍から失笑が洩れる。この状況で何を言い出すんだと言った感じであろう。 しかし、白い戦士は律儀にも答えを返してきた。 「礼には礼で答えよう。私の名は趙雲子龍。・・後はこの槍で語るのみ。」 「ふぇー、堅い人だねぇ。ほんじゃ、語ってもらおうか。」 劉備はそう言うと二人の義弟の内、張飛を見る。 「闘(や)りてぇんだろ。」 「ああ、関兄には大興山で譲ったからな。」 「じゃあ、行ってきな。ただ、あいつもただもんじゃねぇぞ。」 「へっ、誰に言ってんだよ。」 張飛は嬉々として趙雲に対した。挨拶代わりに風車のように丈八蛇矛を振り回す。 「趙雲とやら、俺は燕人張飛益徳。楽しませてくれよ。」 「では、いざ。」 趙雲は張飛の初太刀を軽く受け止めると目にも止まらぬ速さで三連突きをみまう。が、張飛もこれを見事にさばい た。 『こいつ。』 お互いがお互いを雄敵と認める。ならばと、今度は渾身の一撃を張飛が相手の頭上に落とす。しかし、常人では受 け止めることの出来ない一撃を趙雲は難なく受け止める。 三十合、五十合。有効打のないまま、時は過ぎた。が、一向に二人の膂力(りょりょく)は衰えることを知らず、か えって動きはより機敏により力強くなっていった。 「ふっ、何を笑う。張飛。」 「へっ、てめぇもだろうが。」 いつ終わるとも知れない闘いの中、二人の表情のはしには笑みがこぼれ始めていた。それは、好敵手を宝物と思え る闘いのみを本懐とした漢(おとこ)にしか分からない感覚であっただろう。 以前、張飛は関羽と闘い呂布と闘った。その時のことが思い浮かばれる。 そして、趙雲はかつてない感覚に酔いしれた。 しかし、この百年戦争になりかねない一騎打ちも意外な形で決着が付けられる。 この長い闘いにしびれを切らしたのか、黄巾賊の将、高昇が弓を取り張飛に照準を合わせたのだ。敵、味方、全て の人間が二人の闘いに見入っている中で矢を放つ。 乾いた音と苦悶の声が飛ぶ。 「・・うっ。」 この半時、血のなかった戦場で久しぶりの血飛沫が舞い、一人の男が馬上から落ちた。 それは高昇であった。 高昇の右肩には劉備が放った矢が刺さっており、高昇の矢は関羽が射った矢によって途中で方向を変えられていた のだ。 高昇の異変に気付いた劉備が関羽に諭し、関羽はその神業的な腕前で張飛の命を救ったのだ。 「おい、そこの大将。めったに見れねぇもんに水を差すんじゃねぇよ。」 劉備の怒りの大声で、闘い途中の二人にも今の出来事に気付いた。男が意地と誇りをかけて闘う一騎打ちを汚され たのである。 本人達の心は怒りで満たされた。ただ、一つの違いはその怒りが敵に向けられたのと味方に向けられたことである。 趙雲は武人として、怒りとともにそんな男と共闘している自分を恥じた。その僅かな心の乱れが、太刀筋にも反映 される。 張飛の怒濤の攻勢に反撃できず、防戦一方になったのである。 そして、ついに趙雲の槍が丈八蛇矛によって弾かれた。 「しまっ・・。」 趙雲は観念し、張飛の一撃を待つ。視線を弾かれ、大地に突き刺さったままの愛槍に向けて。 が、趙雲に突き刺さったのは、丈八蛇矛ではなく張飛の言葉であった。 「へん。こんな決着の付き方じゃ納得できねぇ。後日、改めて続きをしようぜ。」 そう言うと張飛は背を向けて趙雲の前から去って行った。 「な、何故だ?」 「おめぇも益徳の気持ちが分かんねぇわけねぇだろ。」 「いや、敢えて分からぬ振りをしているのかな。」 劉備、関羽の言葉に趙雲は二の句が告げず、唇を噛んだ。 「んな事、どうでもいい。いつでも来い。相手になってやるからよ。」 劉備達の元に戻った張飛が振り返るでもなくそう言うと、趙雲は何故か愛槍を大地から引ったくるようにして取り 全軍を撤退させる。 いや、全軍というより単騎で逃げ出したといった表現が正しいだろう。 趙雲は早くこの場から去りたかったのである。 自分の理想と現状。その中で葛藤する自分がいる。自分の後を追って馬を駆る仲間ですら煩わしいと思うほどに・ ・・ 趙雲は手綱を引く手の上に熱いものが落ちるのを感じて、それが自分の涙だと気付く。それを見て、趙雲は自嘲気 味に声を押し殺しながら笑うのであった。 黒山賊、黄巾賊が去った後には幽州軍の鬨(とき)の声がこだました。 が、劉備達はそれに加わるでもなく、駆け出した趙雲の背中を見つめる。 「なかなかの武人でしたな。」 「ああ、今は迷ってる。・・・乱世はたくさんの漂流者を生むようだ。いずれ、正しい道が開かれたとき、あいつ はもっと強くなるぜ。」 「へん、楽しみじゃねぇかよ。」 「いや、今度は私が相手をする。」 「関兄、そりゃないぜ。」 張飛が関羽に情けない顔で詰め寄る。まるで、大事にしていた物を取り上げられた子供のようである。 「趙雲子龍。敵にするにはちょっと勿体ねぇが、それもまた一興か。」 劉備はそう呟くと関羽と張飛の肩を叩く。 「よし、ほんじゃ、韓馥の所に行って飯にしようぜ。たっぷり、おごらせなきゃな。」 「いや、長兄。そんな事より、関兄に言ってやってくれよ。」 「ああ、いいじゃねぇか。おめぇの好きな酒が待ってるんだぜ。酒が。」 劉備に言いくるめられつつも何か言いたげな張飛であったが、無駄であると諦めたのか、酒という言葉がそうさせ るのか、先頭を駆る劉備に黙ってついて行くことにした。 時折、振り返るのは趙雲が直ぐにでも再戦を申し込んでこないかという期待であったが、それも無駄であると知る と飲食に専念することを誓うのであった。