七.援軍到着 冀州は州都、ぎょうは黄巾賊と黒山賊の連携による攻撃を受け、危機恐々としていた。 その三日前には州都を護る砦尽(ことご)く抜かれ、今は最後の砦に冀州の全軍を集め、必至の防戦をしているとこ ろである。 しかし、戦況ははかばかしくない。 城主であり州牧である韓馥(かんふく)の耳には、自分に仕える歴戦の将達の訃報が届くばかりで、吉報など何一つ なかった。 あまりの状況に韓馥は耳をふさぎたくなるのを気概で何とか堪える。が、かといって、これといって良い策など浮 かびようもなく、その場で右往左往するだけであった。 ここら辺が韓馥という人物の限界なのであろうか、ぎょうの民衆は遅蒔きにもこの城主を見限り、次々と荷車を抱 えて逃げ出すのである。 又、それを押さえる術も韓馥にはなかった。 州牧の狼狽、体たらくに見かねた参謀の荀ェ(じゅんしん)は前に歩を進め献策する。 「韓馥様、間もなく幽州からの援軍も参りましょう。そうすればこの形勢も大きく我らに傾きます。今、暫くの辛 抱です。」 「荀ェ殿の申すとおり、援軍が参ればこの場を打開できましょう。しかし、その前に我らの威光も示しておきませ んと。殿、一軍を率いて賊徒どもに一泡吹かせてやりましょう。」 荀ェにつられるように辛評(しんひょう)も献策するが、韓馥の耳には届いていなかった。初めの援軍という言葉に 魅惑され小躍りしているのである。 辛評が舌打ちしたくなる気持ちを押し殺していると砦の守護将の関純(かんじゅん)が血だるまになり抱えられるよ うにして、韓馥の前に現れた。 ついにかとその場にいた一同に戦慄が走る。韓馥も浮かれていた気分など一気に吹っ飛んで蒼白となった。 「殿、・・申し訳ありません。砦・落ち、黄・・巾賊どもはここから・・三里の地・まで進行中で・ご・ざい・ま す。」 関純はそれだけ話すと言葉を途絶えさせる。周りは事切れたかと思ったが、どうやら気絶しただけのようである。 敗戦の将とはいえ、重傷の身をおしてここまでやって来たのだ。悲壮ながらもその思いは群臣に伝わり、涙を誘う に十分であった。 「何たることか、何たることか。」 しかし、韓馥には伝わらなかったようで、又、思案に暮れその場で右往左往するだけであった。 荀ェは居たたまれなくなり、周りの者へ関純を医者に見せるよう命じた。 「おい、あんた。その傷でよくここまで来れたな。その気力は州牧のためじゃなぇ、まだ州都に住まう民衆のため だろう。それは、おいらが引き継ぐよ。」 関純が下げられる途中で、一人の飄然とした男がその手を取り労(ねぎら)った。冀州に仕える人間ではない。官吏 の者ではないだろう。平然と州牧を扱き下ろす発言をするのだから。 群臣の間に一体何者かという疑問が飛び交う。 その男は周囲の声など意に介さず、「早く、連れて行ってやんな。」と、言うとそのまま韓馥の前まで歩いていっ た。 「州牧のあんたに一つ聞きてぇ。あんたが仕えているのは漢朝かい?それとも民かい?」 「な、何を言っておる。誰がこの無礼者を引っ捕らえよ。」 韓馥はこの見慣れぬ人物に蒼白にしていた顔を真っ赤に激昂させて周囲の者に命じた。 「捕らえる?援軍の劉備玄徳様をかい。」 「何!」 劉備と名乗る男の言葉に周囲が驚く中、守護将の耿武(こうぶ)と幽州援軍の鄒靖(すうせい)がやってきた。 「こら、劉備。一人で先走るではない。・・まさか、韓馥殿に無礼を?」 「いや、おいらは知りたいことを聞いただけさ。」 劉備の前で顔を真っ赤にしている韓馥を見て、不安になり、鄒靖はそう問いかけたのだったが、どうやら、遅かっ たことに気がついた。 「全く、お前という奴は。韓馥殿、友軍の劉備が失礼をした様子、申し訳ござらん。この男が私の部下であれば、 お詫びに即刻首を刎ねるのですが、残念ながら・・・又、そうしようとすればその前に後ろの関羽、張飛に私が討た れてしまいます。どうか寛大な措置でお願いします。」 韓馥は続けて何か言おうとしていたが、援軍大将の鄒靖に頭を下げられては、何も言うことが出来なかった。 「いや、鄒靖殿。貴州の大義、この韓馥感激に言葉はない。・・多少の無礼など・・気にするものではないぞ。」 最後の言葉は劉備を全く見ず、何とか気持ちを抑えて言い放った。その仕草に劉備は笑みをこぼす。 「ま、いいや。そんじゃあ校尉殿、おいら達はおいら達の仕事をしに行こうじゃねぇか。」 「おお、そうであった。それでは韓馥殿、挨拶もそこそこで申し訳ないが、我らはこれより黄巾討伐に出ようと思 います。どうぞ、吉報をお待ちしていてください。」 「うむ。すまないがよろしく頼む。耿武、そちも一軍を率いて、鄒靖殿を援護せよ。」 「はっ。」 耿武は韓馥に礼を取ってから、先を歩く劉備達を追った。劉備は陽気に耿武を迎える。 「そんじゃ、よろしく頼むぜ。」 劉備は耿武の肩を二回叩くと鼻歌交じりに先頭を歩きだした。その後を影のように関羽と張飛が追う。 「長兄、何をそんなにお怒りですか?」 「ああ、州牧は州民を護るために存在する。その役をこなせないのなら、いない方がましなのさ。自分の保身しか 考えてねぇ奴のもとにいる民は大変だぜ。」 「確かにな。」 「おいらは天子になる。だが、仕えるのは天にじゃねぇ。おいらは民に仕える天子になりてぇ。へっ、二人ともそ の時までおいらのこと頼むぜ。」 「はっ。」 「当然だぜ。」 劉備三兄弟はぎょう城の廊下を歩きながら豪快に笑い出した。後ろで聞いていた耿武などは、今の話に理解できず 首を傾げるばかりである。 それを隣の鄒靖が含み笑いで諭す。 「あの三兄弟と我らでは住む世界が違うようだよ。」 「しかし、天子になるとは、あまりにも・・・」 「まあ、いずれ分かるんだろう。ただの大風呂敷か、それとも・・・はっはっはっ、長生きしたらいいものが見れ そうだぞ。」 鄒靖も劉備に毒されたのか、芝居がかった口調で笑い出した。耿武は内心、この人も分からないと思うのであった。* * * * * * * * * * * *「趙雲殿、いよいよ、本城を残すのみですな。」 馬を進めながら、黄巾賊の将、高昇(こうしょう)は隣の趙雲に話しかけた。 「高昇殿、くどく申し上げるが城内での略奪は認めませんぞ。」 「それは、分かっております。我ら黄巾は私腹のために戦っているのではござらん。」 高昇は即答でそう言い返すが趙雲の顔は浮かないままであった。今まで、黄巾賊とともに五つの砦を攻略してきた が、その戦い方には納得いかない部分があったのだ。 趙雲としては無用な殺戮は好むところではなかったが、黄巾賊は違う。自分達に敵対した人間は全て殺さなければ 気が済まない。 それが例え、傷つき戦闘能力を失った人間であってもだ。 趙雲は考える。このような輩を民衆の多い州都の中に入れていいものかと。 しかし、一度結んだ約束を反故するのは趙雲の信条が許さない。だから出来ることならば無血開城を願った。 そう、傷を負い見逃してやった将、確か名を関純といったか。あの者が無事に辿り着き、我らの強さを報告してく れれば、韓馥という人物を考えると可能なのではないか。 そこに僅かながら期待を込めたが、斥候が戻ってくるとその期待も崩れ去る。 その報告によると幽州からの援軍が到着したそうである。援軍が到着したばかりでいきなり降伏というのはあり得 ない。 また、無用な殺戮が始まるのかと憂鬱になった。 趙雲は自分の強さに誇りを持っていた。戦場では自分の目の前に立って生きながらえた人物など一人もいない。そ れだけに相手の抵抗が歯がゆいのである。 「詮なきことか。」 趙雲は、そう独り言を呟くと脇に携える愛槍を見つめた。これから、この槍は幾人の血を吸うことになるのかと。 「前方に土煙発見。」 物見の言葉で、ハッとすると趙雲は全軍に告げる。 「弓箭隊、弓を構えたまま前進するぞ。」 趙雲の号令で、黒山賊は信じられない速さで進軍する。それは迷いという亡霊に追われる趙雲自身が振り払うがた めの行進のようである。 時代はこの男に、未だ本当の戦場を与えようとはしないのであった。