六.風雲児                         
  

  幽州に大興山の黄巾賊一万が尽(ことご)く討たれたとの報が届いてから、五日の時間が経過した。 
  州牧の劉焉(りゅうえん)はその吉報に膝を叩いて喜んだが、肝心の黄巾賊を討ったという謎の集団については消
 息が分からず、遂にその正体を知ることが出来なかった。 
  劉焉としては、何としてもその集団を見付け出し、大功に報いたいと考えるがいかんともしがたく、今日
 (こんにち)に至ったのである。 
  その劉焉のもとに従者の一人が駆け込んでくる。 
  「劉焉様、楼桑村の劉備という者が面会を求めておりますが?」 
  「はて、劉備?聞かぬ名だが、何者か?」 
  劉焉は碁を打っていた手を止めて聞き返した。つい先日までは、大興山の黄巾賊に頭を悩ませていたのだが、その
 壊滅により、日々恐々としていた毎日から幾ばくか開放され、久方ぶりの碁に興じていたのであった。 
  「楼桑村にて義勇兵の頭目をしているそうです。」 
  「義勇兵か。では、後で軍に編入するゆえ、追って沙汰を送ると伝えよ。」 
  「はい、私もそう伝えたのですが、どうしても会わせろとしつこいものでして・・・」 
  「何だ。儂は忙しいと伝えよ。」 
  「それが・・・あまりにも無礼だったので、追い払おうとしたのですが、付き従う二人の従者に衛兵ども十数名が
 軽くあしらわれてしまいまして・・・」 
  「たった二人にか?」 
  劉焉は、その報告に顔をしかめた。最近の世の中の荒廃ぶりから、衛兵には選りすぐりの人間を任命している。そ
 れが二人の男に軽くあしらわれるとは、官兵の惰弱(だじゃく)ぶりが伺(うかが)い知れる。 
  「全く何をしておるんじゃ。」 
  「劉焉様、しばしお待ちを、・・先程、楼桑村の劉備と言ったか?」 
  「いかがした?鄒靖(すうせい)。」 
  碁盤の対局に座る校尉が先程から考え込んでいるのを劉焉も気にはしていたが、てっきり碁の戦局について考えて
 いるものと思っていた。しかし、どうやら様子が違うようだ。 
  「劉備という人物、ひょっとして・・・」 
  鄒靖の言葉は途中で途切れた。掻き消すように劉備の大声が響いたのだ。それに続くように従者が呼び止める悲痛
 な声も聞こえてくる。 
  「お待ち下さい。お待ち・・うわー。」 
  劉備の袖を掴み必死に止めようとする従者は、あっさり振りほどかれて地に伏す。 
  劉備の双眸は、はっきりと劉焉を捉え、ゆっくりと大股で近付いていった。 
  「おいおい。州牧の仕事ってのは碁を打つことかい。」 
  「こら、劉備。ひかえぬか。」 
  自分の行く手を遮る人物を見つめ、劉備は満面の笑みを浮かべる。一方、相手の男は劉備の言行に苦笑いを浮かべ
 た。 
  「おお、これは校尉殿。約束通り、賊の首を二つばかり持ってきたよ。」 
  劉備は、そう言うと後ろに仕えている関羽に目配せを送る。関羽は一礼して、一歩、前に出ると麻袋を二つ差し出
 す。 
  「これは?」 
  「何ていったけかな。名前忘れちまったけど、大興山の黄巾賊の首だよ。」 
  「何と!」 
  これまで、劉備と鄒靖のやり取りを黙って聞いていた劉焉であったが、大興山の黄巾賊と言われて思わず大声を出
 した。 
  「雲長、見せてやんな。」 
  「はっ。」 
  関羽は劉備に指示されて、麻袋の中味を取り出した。床の上には物言わなくなった首二つが無造作に転がる。 
  州牧を前にいささか不調法であるが、気にした様子はなく、鄒靖がその首に近付く。 
  「これは、程遠志(ていえんし)とケ茂(とうも)。間違いありません。劉焉様。」 
  鄒靖は顧み主君を見上げた。劉焉もその首に近付き見聞する。鄒靖と同じく、賊将二名の御首(みしるし)であると
 確認するとこの劉備と名乗る青年のもとに歩み寄る。 
  「おお、では、謎の集団とはそなた達のことであったか。」 
  「・・のようだね。」 
  劉焉は近くの従者を呼び、恩賞を与えるよう命じる。劉備はそれをありがたくちょうだいした。劉備は別にそれ程
 金品に執着はないが、一緒に戦った仲間に報いてやりたいと思ったからである。 
  「そうだ。御身の仲間にも与えようではないか。部下の数はいかほど?」 
  劉備は恩賞の件は、これ以上はいらないと断ってから劉焉の問いかけに答える。 
  「五百人くらいかな。それと部下じゃなく仲間だけどね。」 
  「五百?たった五百人で一万の賊と戦ったというのか?」 
  「いんや、あん時は五十人にも満たねぇよ。」 
  「何と剛胆な。」 
  劉焉は掠れたような声を出し、劉備を見つめ直した。 
  改めて見ると目の前にいる青年の雰囲気、風格。そして、付き従う二人の偉丈夫の体躯、風貌。劉焉は、今、明ら
 かに自分とは違う、別の次元の人間に出会ったことを知らされる。 
  目眩にも似た感覚にとらわれながら、劉焉は重い足取りで自分の席に戻った。 
  自分が初めて劉備に会ったときと同じ心情に主君があると察した鄒靖は、それを助けようと手を差し伸べる。 
  ようやく自分の席に戻り、一息吐いた劉焉に変わり鄒靖が劉備に声をかけた。 
  「まさか、本当に賊を討ってくるとはな。」 
  「へっ、ただの大ボラ吹きかと思ったかい。」 
  「・・いや、正直言うとこのようにして目の前に現れる予感、期待があった。」 
  「そうかい。」 
  劉備の気のない返事に、ますます、この人物の底を図りかねる。劉焉は堪りかねて、 
  「劉備とやら。それで、その方はこれからどうするつもりじゃ?」と、問う。 
  「さあて、何やら中央が慌ただしくなった様子。おいらはそこに身を預けようと思う。」 
  「うむ。そうか。」 
  劉焉はこの人物を何とか自分のもとに止まらせようと思案するが、それを鄒靖が眼で合図する。無理であると。
  それを承知しつつも、劉焉には未練が残った。 
  そんな折り、劉備達の前に急使が劉焉の嫡男劉璋(りゅうしょう)とともに駆け込んできた。 
  「いかがした。」 
  州牧に代わり、鄒靖がその急使に問いかける。背に矢が刺さったままの急使は、州牧の前で型通り軍礼を取ると膝
 をついて、言上を述べた。 
  「はい。冀州刺史韓馥(かんふく)様からの急使です。州都が賊軍に襲われまして、今にも陥落寸前でございます。
 幽州牧の劉焉様、何卒、援軍をお願いします。」 
  使者は劉焉の前で悲壮に叫んだ。その言葉を聞くや否や鄒靖が劉焉に軍礼を取る。 
  「うむ。校尉殿。早速、一軍を率いて救援に向かってくれ。」 
  「はっ。」 
  鄒靖が踵(きびす)を返して、その場を去ろうとする。視線が合った劉備は苦笑いをした。明らかに誘っているのだ。
 しかし、劉備は敢えてその誘いに乗った。 
  「ちょい、待ち。官兵だけで勝てるかい。相手は黒山賊だよ。」 
  「何と!」 
  劉備からの予期せぬ言葉に鄒靖は勿論のこと劉焉も驚いた。 
  「使者のその背に刺さってるのは、黒山賊が好んで使う矢だ。はっきり言って、あいつらは強いぜ。」 
  「本当か、使者殿?」 
  「いや、黒山賊かどうか分かりませんが確かに黄巾賊とは別の剽悍な騎馬隊がいたのは事実です。」 
  「では、それが。」 
  劉焉達は愕然とした。常山の黒山賊については噂でしか聞いたことがないが、その強さ勇名はここ幽州まで鳴り響
 いている。 
  いかに鄒靖が率いる精鋭といえどもそう容易く撃ち破れる相手ではない。 
  沈黙とともに深刻な場となった。 
  「何しけた面してんだよ。その黒山賊はおいら達が引き受ける。早く行かねぇと陥落(お)ちるぜ。」   
  それをうち払うように劉備が一言述べる。確かに急がねば取り返しのつかないことになるかも知れない。 
  「そうであった。劉備、済まぬが助勢願う。」 
  鄒靖は気を取り直すと再び劉焉に礼をし、早速、救援の準備に取りかかるのであった。 
  後に続くように劉備もその場を去ろうとする。 
  「州牧さん。そんな心配しなくでも大丈夫だ。おいらの軍は見かけは五百騎だが中味は四万の大軍だ。」 
  「四万とは?」 
  「ふっ、そいつは結果で分かるよ。・・それと碁盤の右辺、それ以上粘っても意味ないぜ。」 
  「うん?」 
  劉焉が碁盤に視線を落とすと確かに右辺は自分に形成不利な状況な棋譜であった。不謹慎だが、劉焉は思わず笑っ
 てしまう。 
  「では、後日、鄒靖に代わってこの続きを打ってくれ。」 
  「ああ、でもその続きじゃおいらの勝ちは目に見えてるぜ。」 
  劉備は高笑いとともに劉焉の前から姿を消した。 
  「ふふ、あいつめ。この州牧に悪態をつきおって。」 
  劉焉は先程の表情とは変わり、口元に笑みを浮かべている自分にはたと気付いた。 
  「あのような男を配下に・・・いや、逆に州を任せた方が良いのか。のう、季玉(きぎょく)」 
  「さあ。どうでしょうか。」 
  父親の質問に劉璋は返答に窮した。それは回答を引き出すほど劉備とは接していなかったのだが、自信満々に立ち
 去る劉備の後ろと父の言葉が何故か心に残るのであった。 




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