五.黒山賊動く 「ほう、今の乱れは全て漢朝が悪いと?」 「はい。」 薄暗い部屋、数十人の男達に囲まれる中、中心に端座する男が正面の男の目を見つめながら頷いた。 「十常侍を討つだけじゃ、駄目なのか?」 正面の男は台座に身を投げ出すように横たわりながら、盃を口元に当てる。 「腐った大木は根から枯らさねばなりません。確かに元凶は十常侍です。・・が、漢は既にその土台から腐り人心 も離れております。新王朝樹立が今の世に必要なのです。」 「ふん。で、次の世ってのが黄巾の世ってわけかい。張曼成(ちょうまんせい)とやら。」 「はい。それが民のためには一番かと存じます。」 黄巾党渠帥、張曼成の迷い一つない双眸の先には、この来客を図りかねている黒山賊の首領、張燕(ちょうえん)が いた。張燕は空になった盃を近くの者に渡し、立ち並ぶ部下の一人を捜した。 「おい、子龍(しりゅう)。いるか?」 「はい。」 張燕に名を呼ばれたのは、身の丈、八尺の偉丈夫で、端正な風貌とともに身のこなしに一分の隙もない、まるで古 の勇者を模した絵からそのまま現れたような男であった。 名を趙雲(ちょううん)子龍という。黒山賊の中でも名うての槍の名手で、首領張燕からも一目置かれた存在であっ た。 「子龍。この話、どう思う。」 「私は義に反する戦いに身を投じたくはありません。果たして、この度はどうでしょう。」 「おお、貴方が趙雲殿ですか。」 「いかにも。」 張曼成が黒山賊を落とすのに、まず、第一は首領張燕よりこの人と思っていたのがこの趙雲子龍であった。常山一 と言われるその武者ぶりに張曼成も思わず見とれそうになる。 が、自分の任務の大きさが現実の世界に踏み止まらせた。 「しかし、趙雲殿もお噂ほどの人物ではないようですね。」 「ほう。」 これに趙雲より張燕が反応した。張曼成は敢えて趙雲を見ず、張燕に向かって話を続ける。 「自分の中の小さな義にこだわられている。もっと大きな視点をお持ちかと思っておりましたが・・・」 「小さな義とは?」 「あなた方はこの狭い常山にて、近隣の悪官を討ち世を正しているおつもりのようですが、世間はもっと広いので す。ご自分達の自己満足で終わる正義など正義ではありません。」 「何だと!」 張曼成の無礼な言葉に黒山賊の男達が色めきだつ。危うく鞘から剣を抜き出すところであったが、張燕が制す。 そんな黒山賊達を無視するかのようにその声の主は平然と言葉を続けた。 「いや、失言でした。・・・しかし、真実です。今の世はあなた方が思われている以上に乱れており、また、時は 一刻を争うのです。国に仇為すのを義に反すると申されますが、それはただの感傷。先程も申し上げましたが、この 混迷の時代は次代の王を必要としているのです。」 「ただの感傷か。どうだ子龍。」 張燕が張曼成の熱弁の後、嘆息し趙雲に問う。 「いえ、私は論客ではございませんので彼に対する弁はありません。」 「うむ。全ては槍で語るのみか。」 「・・しかし、一言申し上げるならば、国が窮している現状を捨てておくことは出来ないと言うことです。」 「では。」 張曼成の顔が期待に上気した。張燕も趙雲の言葉を固唾を飲んで待った。 趙雲はゆっくりと思案し慎重に言葉を選ぶ。 「黄巾の世が民を救うのかは分かりませんが、今の漢帝国が民を窮しているのは間違いようございません。仮に黄 巾の世で再び民を苦しめるようなことがあるならば、その時はこの槍で倒すのみです。」 「それでは。」 「いや、これはあくまで私個人の意見。黒山賊の意向を示すものではございません。」 「ふん。子龍がそう決めたのなら、それは黒山賊の意見に等しい。張曼成とやら、手を貸そうじゃねぇか。」 張燕が台座から降り、胸を反らすように宣言する。 「いいか。これから黄巾とは暫く手を組むことにする。だが、俺達は俺達だ。今までの理念、精神だけは忘れるな。」 張燕の部下達は大声で応える。その返事に満足げな張燕は、張曼成に視線を落として呟いた。 「張曼成よ、これから俺達は盟友となる。しかし、個々の戦闘は俺達の流儀でやらせてもらうからな。お前達は戦 略の大局だけ示せ。」 「はい。それで十分でございます。」 張曼成は今まで硬い表情を崩すことがなかったが、ここに来てやっと満面の笑みを湛える。 今までの緊張感が心地よい疲れとなって、全身を襲い、それは安堵の溜息という形になって表れた。 ふと気付くと目の前には立ち上がるのを助けようと手が差し伸べられている。それは趙雲子龍の手であった。 張曼成はその手に掴まり、引き寄せられるように趙雲の前で立ち上がった。 そんな張曼成に趙雲が耳打ちをする。 「その懐の短剣。いかがするおつもりか。」 「これは・・・。」 張曼成は気恥ずかしそうに懐中の物を衣服の上から押さえた。趙雲の言うとおりそれは確かに短剣であり、事為ら なかった暁に自害して果てようと用意した物であった。 趙雲はその短剣を人に見られないように受け取る。 「貴方の決意は分かりました。黄巾が我らの義に反することがない限り、朋友として手を組むことを誓いましょう。」 「有り難うございます。」 小さく目礼をする張曼成は目の前の偉丈夫を改めて間近にすると、内に秘めたる闘争心とは裏腹に爽やかな笑顔を する好漢であることを知った。 それは趙雲にとっても同じ事で、奇妙な空気が二人の間を流れる。 「貴方ほどの人物をそれ程の決意にまで駆り立てる張角とは、どのような人物ですか?」 「一言で申し上げるならば、私の夢でございます。」 「夢?」 小首を傾げる趙雲に張曼成は大きく頷いて、台詞を足す。 「はい。私は貧しい農家に生まれました。時には自分達の食糧を削り、来年の種籾(たねもみ)にしなければ生活の 出来ないような暮らしです。中央では才能のない人間が金や権力で世に出れるというのに・・・この不遇を私は呪い ました。」 「しかし、考廉(こうれん)というものがあるでしょう。」 「いえ、私のような身分の低い人間は門前払いです。ましてや考廉を受けるにも金子が必要。我が家には到底そん な余裕などありません。そんな折り、私は張角様に出会いました。張角様は私に示されたのです。太平道の元全ての 人間は平等であると。それは言葉だけでなく実演されました。事実、私を渠帥に抜擢下さいました。」 張曼成は何か遠くを見つめるような眼で語り続ける。それは遠い昔の思い出に浸るというにはあまりにも真剣な眼 差しで、まるで試練に立ち向かうような面差しであった。 「その張角様がその思想を全国に広げようというのです。漢王朝の古く悪徳が横行する世を正して。これが私と張 角様が共有している夢です。」 「なるほど。」 趙雲は張曼成の言葉にただ頷くだけであった。と同時にこの人物の危うさを感じ取る。 しかし、一つだけ共感できる点があった。それは心底忠義を尽くすことの出来る主がいるという点であった。 今の張燕と趙雲の関係は、主従というには遠慮がありすぎる。 一人高まる趙雲の名声に張燕は遠慮し、その気遣いに趙雲も張燕を建てようと気を配る。ただ一つの救いは、二人 の関係に暗い部分がないということであった。 それは趙雲の真摯な姿勢と張燕の豪放磊落(ごうほうらいらく)な性格のおかげであったのだが・・・ いつからか趙雲はまだ見ぬ自分が仕えるべき主に夢見るようになった。それが張角の可能性もある。 「では、この次はどこかの戦場でお会いいたしましょう。」 「ええ。よろしくお願いいたします。」 張曼成と別れた趙雲は、戦前に高ぶる仲間達を後目に別の次元で、一人、滾(たぎ)る思いをそっと忍ばせるのであ った。