四.漢軍招聘 


  南陽郡宛(なんようぐんえん)に何進(かしん)という人物がいた。元々は豚の食肉業者をしていたのだが、妹が天子
 の寵愛を受け皇后となると外戚(がいせき)として出世し大将軍に昇格する。 
  その何進、字は推高(すいこう)のもとに時の天子、霊帝(れいてい)から黄巾討伐の詔勅が下りる。 
  何進は、その詔勅を受け取ると帷幕(いばく)に数多の武人、文人を集め黄巾討伐に向けての戦略を練るのであった。
  その中でも名門、袁家の御曹司袁紹は特別視され、副官として何進の相談相手となっていた。 
  「のう、袁紹。黄巾討伐と一言で言っても敵の数は数十万を超える。容易ならぬ事ではないか?」 
  「いえ、大将軍。戦は数だけにあらず。小をもって大を破るのが兵法というものでしょう。熟練の兵と熟練の将軍
 を用いれば、敵は烏合の衆。瞬く間に鎮圧可能かと。」 
  「ほう、では誰を用いる。」 
  「その人選はすでに終わっております。」 
  袁紹はそう言うとその人名が記されている書簡を何進に渡す。何進は視線を書簡に落としながら、向かいに座る副
 官に続けて質問した。 
  「ふむ。して、この儂はどうすればよい。」 
  「はい、将軍は近衛軍(このえぐん)とともに洛陽を守護し、吉報を待つべきかと。」 
  この言葉に何進は得たとばかりに顔をほころばせる。 
  「なるほど。他人の手柄を我がものとするわけだな。」 
  それには袁紹は答えず、ただ微(かすか)かに笑みを浮かべるだけであった。 
  そして、早速何進のもとに三名の将軍が招聘される。 
  それは車騎将軍・皇甫嵩(こうほすう)、右中郎将・朱儁(しゅしゅん)、北中郎将・廬植であった。 
  皇甫嵩は本来は文官であるが、軍事的な才能もあり車騎将軍に任じられた人物である。一方、朱儁は根っからの武
 人で好漢として部下からも慕われている男である。そして、廬植は学者としての名声が高く、けして武人とはいえな
 いが兵法を諳(そら)んじること衆を抜く傑物であった。 
  三名は何進の帷幕に入るとそれぞれの討伐地を告げられる。 
  皇甫嵩は穎川、朱儁が南陽、廬植が黄巾賊の本拠地となる広宗であった。 
  赴任にあたり、朱儁が何進にある人物を自分の部下に付けるよう願い出た。その人物とは別部司馬の孫堅文台であ
 る。 
  何進は会稽郡での反乱を鎮めた勇者の名前を聞き及んでおり、その人物ならと二つ返事で了解する。 
  すると今度は皇甫嵩も人物を推薦し、自らの部下としたいと願い出る。が、何進はその人物の名を聞くと顔色を変
 え、返事を渋った。 
  「曹操孟徳とは宦官の孫であろう。そのような人物は信用できん。」 
 天子の外戚として権力を振るう何進にとって、常に天子の周りで佞言(ねいげん)を述べる宦官は互いに相容れること
 の出来ない政敵であったのだ。 
  「将軍。孟徳は確かに宦官の孫ですが、その知力、胆力は私を遙かに凌駕するものです。彼を用いぬ手はありませ
 んぞ。」 
  「袁紹、そちは曹操を知っているのか。」 
  「はい、私の無二の親友でございます。ただ今、以前に赴任していた頓丘の令を辞し、郷里に戻っておりますが、
 漢の危機に心痛めていることと思います。」 
  何進はそれでも迷っている様子であったが、暫くしてその重たい口を開く。 
  「そうか。・・・分かった。袁紹がそこまで言うのであれば、曹操を騎都尉として招聘しよう。」 
  「有り難うございます。」 
  袁紹は何進に礼を述べ頭を下げた。そして、返す刀で一人、何も願い出ていない廬植に視線を向け、
  「廬植殿は、広宗攻めにあたり何かございませんか。」と、確認した。 
  「いえ、私は特に。」 
  廬植の中には、孫堅、曹操のように若き力の名が浮かんでいたが、敢えてこの場では出さなかった。それは、目の
 前にいる人物、何進という男が実績や肩書きのない人物を用いるほどの度量がないと判断したためである。 
  それは堂々とした態度で大将軍相手に意見を述べる袁紹にもその傾向が感じ取れた。結局、この場で自分の愛弟子
 であった劉備玄徳を用いることが出来ないのであれば、彼の名を出さず、いずれ、劉備独力で彼の名を知れ渡らせよ
 うとする師の心遣いでもあった。 
  「では、三将軍。漢のために黄巾討伐、くれぐれも頼むぞ。」 
  何進の言葉に三名は、それぞれの任務遂行を誓い帷幕を去る。三名が去ると何進は、侍女に酒を運ばせる。 
  「よし、それでは我らは奴らの成果を都の美酒とともに待つとするか。」 
  「そうですね。」 
  何進と袁紹は声を出さずに不適な笑みを浮かべ、杯を合わせるのであった。 

  *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *
     予州沛国しょう県に中常侍として財をなした曹騰、曹家の屋敷がある。今は既にその曹騰亡く、子の曹嵩(そうすう)  が屋敷の主となっていた。そして、頓丘の令を辞職した曹嵩の子、曹操もこの屋敷の住人となっている。   「孟徳や、お前が頓丘の令を辞して、早一年が経とうとしている。悠々自適の生活も良いだろうが、今の世を騒が  している黄巾賊の蛮行を聞くに及び何とも思わんのかね。」   「父上、何も私は安穏とした生活を求めて郷里に戻ったのではありません。これは内密にしていたのですが、来る  時のために身内の主だった者を集め、日々練兵や兵書を諳んじておりました。」   これには曹嵩は初耳だったので大いに驚いた。しかも、身内の者をかり出しているとは。   「身内とは?」   「はい。夏侯(かこう)家では惇(とん)、淵(えん)。曹家では仁(じん)、洪(こう)でございます。」   「なるほどなぁ。」   曹嵩の脳裏に名前を呼ばれた人物の姿が浮かばれる。確かに年の頃といい体躯といい立派な若者達である。   「ふむ。して、その時とは?」   「それは今朝やって参りました。」   「今朝?」   「はい。」   訳が分からず当惑している曹嵩を面白がるように曹操は微笑を湛える。折しもその時、屋敷中にこだまする声が聞  こえた。   「孟徳!そろそろ出るぞ。」   そして、曹嵩、曹操親子が談話していた部屋に数人の男達が入ってくる。入ってきたのは夏侯惇を先頭に先程名前  を挙げた夏侯淵、曹仁、曹洪の四名であった。   「これは失礼しました。曹嵩殿。」   夏侯惇は部屋に曹操一人と勘違いし、大声を張り上げたことを曹嵩に詫びる。が、そんな事より、一体何が起こっ  たのか分からない曹嵩はますます困惑するのであった。   「嫌々、構わぬが、出るとは一体何のことか?」   「え?孟徳から何も聞いておりませぬか。」   夏侯惇は不審顔をする曹嵩と曹操の顔を見比べて確認した。曹嵩とは対照的に曹操は破顔するのを耐えている様子  で、唇を軽く噛んでいる。   「孟徳!」   「いや、すまん、すまん。話そうと思っていたところにお前達がやって来たんだ。それに父上の表情が可笑しくて  な。」   「孟徳、笑うのは構わんが、とにかく話を続けてくれ。」   曹家の主としては、多少情けない表情であったが、とにかく事の真相を聞きたい曹嵩は、曹操に頼み込んだ。   「申し訳ありませんでした。実は私、何進大将軍より騎都尉に任じられ、黄巾討伐の勅を賜ったのです。その使い  が今朝、屋敷にやって参りました。」   「おお、それで時は今朝と申したのか。」   「そうです。」   やっと納得した曹嵩は、頷くと目の前に立つ五人の表情を伺う。曹操以外は多少興奮気味ではあるが、一点の曇り  のないいい表情をしている。   「それで、今からここを立つのか。」   「はい、まだ、兵とは呼べませんが私に力を貸してくれる若者が数百名揃いまして、表で待機しているようですか  ら。」   「分かった。我が曹家にも憂国の士がいたことを誇りに思う。孟徳のことくれぐれも頼みますぞ。」   最後は他の四人に向けられた言葉であった。四人は思い思いの言葉で力強く返事をするのであった。   「では、これより都に旅立ちます。父上はどうぞお健やかに、私の武勲を待ちわびてください。」   「うむ。」   曹操は深くお辞儀をして部屋を出る。それに倣うように四人も部屋を出た。   屋敷の外には曹操の言葉通り、数百人の若者が整列し立っていた。その者達の前に曹操は立つと、   「これより、我々は黄巾討伐に出るが、生きてこの地に帰ってこれる保証はなく戦地での離脱は士気に影響するゆ  え、一切認めない。この地に残りたいと思う者は今の内に申し出て欲しい。」と、叫んだ。   が、誰一人、ここに残ると言う人間はいない。   「では、この曹操孟徳に皆の命を預けると言うのだな。」   次に出た曹操の言葉に全員が大声、応と答える。   「よし。ならば出立だ!」   曹操、夏侯惇、夏侯淵、曹仁、曹洪が颯爽と馬に跨ると若者達は手にしていた武器を天に突き上げる。   それを屋敷の窓から曹嵩が覗いていた。思わず表情がゆるむ。   「人は孟徳を『乱世の姦雄』という。しかし、あの姿は紛れもない英雄ではないか。・・・いや、英雄でも姦雄で  も構わぬ。生きて再び父にあの笑顔を見せてもらいたいものだ。」   父曹嵩は我が子の後ろ姿にそっと目頭を押さえるのであった。

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