二十二.終わりの果てに 
  

  黄巾賊の最後の砦、宛城(えんじょう)を死守するのは知将、張曼成であった。 
  その他、渠帥ではないが主だった者は孫仲、趙弘、韓忠と僅か、兵数も一万を切り、いよいよその隆盛に終止符が
 うたれる日が近付いた。 
  城内の張曼成は逆転の策を練るが、官軍が鉅鹿に侵攻したとの報を聞くとその望みも絶たれた事を痛感する。 
  いずれ、張角の死が全土に知れ渡る。そうなればどのような神算鬼謀もその役を担えない。 
  こうなれば討ち死に覚悟で撃って出るか。 
  張曼成に普段では考えられない程、短絡的且つ直情的な愚策が過(よ)ぎる。 
  思案の途中ではたと気付き、自制と戒心を固く誓った。 
  『しかし、どうすればよいのか。張角様が生きておられたら、必ず良き道へと導いて下さるのであろうが・・・』
  張曼成が愚鈍であれば、僅かな事にでも望みを託し希望という甘美な言葉に縋(すが)る事が出来たのだが。今はそ
 の見えすぎる知性が疎ましかった。 
  自室で一人、孤独という言葉と向き合う。しかし、敢えなくうち打ち沈むのであった。 
  『・・・張角様。』 
  
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    朱儁が大軍を率いて宛城を取り囲み、三日と経った頃、その陣中に朗報が届く。   黄巾賊の総大将、張角が皇甫嵩によって討ち取られたそうだ。噂では、すでに病死していたという説もあるが、ど  ちらにせよ、もうこの世にいない事には違いない。   官軍は意気揚々とし、宛城の中は水を打ったように意気消沈とした。   戦の優劣はこれで完全に着いたのである。   そして、更に七日の時が流れた。   「まずいな。こりゃ。」   「ああ。」   劉備の意見に孫堅が頷く。二人は陣幕の中で酒を片手に寝転びながら語り合っていた。   何がまずいのかというとこのだらけきった官軍の雰囲気の事を言っていた。生真面目な簡雍はその姿では説得力が  ないのではと思ったが、流石にそれを口にする事は出来ない。   同じく孫堅陣営の程普も同様に考えており、二人は互いに目が合ったときに苦笑いを交わすのであった。   とはいうものの確かに官軍の中に浸透する厭戦(えんせん)気分は問題となりつつあった。   それが証拠に大軍で宛城を取り囲むものの落とす事が出来ず、それ以前に戦を仕掛ける事すらなかった。   人は戦の先が見えた中で、今度は生き残る事に執念を燃やす。   今更、無理に攻め込んで命を落とす事はない。上は将校、下は歩兵に至るまで全員の思いは一致していた。   確かに囲んでいるだけでも敵兵は減っていく。張角の死、四面楚歌の恐怖、そして、恐らく兵糧も乏しくなってい  るだろう。それらは黄巾賊の戦意を削ぐに十分足りる。   しかし、目の前の敵は張曼成である。   黒山賊を動かしたような奇策があるかもしれない。張角の遺児などをでっち上げれば面白いと孫堅は考えた事もあ  った。   とにかく、相手に隙を与える事は戦においての禁忌(きんき)なのだ。   「どうする。」   「やるしかないだろう。」   「やっぱりか。」   劉備、孫堅は手に持つ杯を一気に空けると互いに大笑いをする。それを見て心配になった簡雍が主君に尋ねた。   「何をなさるのですか?」   「あん。」   劉備が面倒臭そうに状態を起こし、答えようとしたところ、代わって関羽がその問いに答えた。   「我が軍と孫堅殿の軍で宛城を落とすという事よ。」   「おお、やっと出番か。」   張飛が意気込む。対照的に簡雍が不安顔に変わった。   「それは無茶です。減ったとはいえ、城内にはまだ五千の兵はいるはずです。どうやって攻めるというのですか。」   「いや、城攻めする必要はねぇんだ。」   「そういう事だな。」   主君二人が得意げに意味不明な発言をするのに、簡雍の不安は混乱に変わった。   孫堅四天王も黙っておれず、次々に質問、諫言(かんげん)を繰り返す。   孫堅に四天王が詰め寄るのを劉備はにやけながら眺めた。どうやら、説明は完全に孫堅に任せたようだ。   孫堅は仕方なく立上がり、四人の杯に次々に酒を振る舞いながら、真意を明かした。   「いいか。俺も無理に攻めようとは思わない。ようは城の中に侵入して、張曼成の首を取れば片がつくって事だ。」   「では、どうやって城内に侵入するというのですか。」   最後に杯を次がれた程普がその杯をひとまず床に置いて尋ねた。簡雍も同様の言葉が出かかったが、僭越と思い孫  堅陣営に任せる。   「何、簡単な事だ。敵さん、連日のように脱走兵を出しているんだろう。つまり、表で張ってりゃ、勝手に入口が  開いてくれんのさ。」   孫堅の言葉に一同納得した。それならば、確かに少ない被害で城内に侵入できそうだ。   四天王は軽い武者震いを覚える。   「但し、脱走する奴らは、時勢で黄巾側についた無頼漢ってところだが、城内に残っている奴らは生粋の黄巾賊だ。  手強い連中だぜ。」   最後に劉備がそう締める。決行は今夜と決まったのであった。   
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    「おい、見つかるなよ。」   「分かっている。しかし、金目の物もありやしやがらねぇんだからよ。」   「そう言うな。命があ・・・・。」   不意に男の言葉が詰まった。夜陰に乗じて、城から脱出しようとしていた二人組であったが、目の前に突然大男が  現れるのに言葉を失ったのである。   大男は炬眼(きょがん)を光らせ、二人組に迫った。その虎髭が面(おもて)近くに近付くと二人は恐怖のあまり気絶  する。   「ふん、失礼な奴だな。」   「おい、益徳。しょうがねぇよ。慣れたおいらでもお前の顔で迫られりゃ、小便ちびるぜ。」   「いや、変に騒がれるよりはましでしたでしょう。」   「そうだな、益徳。お前の強面も役に立つって事だ。」   兄貴分二人に軽口を叩かれ、張飛はむっとしたが無視をし、二人組が降りてきた縄を確認のために引っ張った。   張飛の膂力に耐えられるところをみると、侵入の道具として十分に使えそうだ。   「おい、簡雍。孫堅殿に知らせてきな。」   簡雍は劉備の指示通り、待機している孫堅の元に走った。こうして、劉備達は宛城への侵入を試みるのであった。  
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    「反乱だ!裏切り者が出たぞ。」   宛城城内に同じ台詞が繰り返された。城内にいるはずのない敵が現れたのである。誰もが内部の造反と思ったのだ。   丁度、夜半であり孫仲、趙弘、韓忠の三将は寝台の上にいたのだが、この騒ぎに驚きともかく身ごしらえもそこそ  こに武器を取って、騒ぎの元へと集結した。   「貴様か!どうやって、城内に入った。」   関羽、張飛の働きで黄巾賊の屍の間に道ができ、劉備の姿を正面に捉えた孫仲がそう叫んだのだ。孫仲は大興山  (たいこうざん)の戦いで劉備に一敗地にまみれ、尚かつ命を見逃された屈辱的な経験がある。   その復讐を誓っていたのだが、ついぞその機会を得る事なく今日に至った。   そして、その相手が相も変わらずしたり顔でこちらを見下している。血が完全に頭に上り、無謀にも劉備に刃を立  てて突っ込んでいった。   「雲長、益徳。おいらがやる。」   劉備は義弟二人を制し、雌雄一対(しゆういっつい)の剣を掴んだ。左手で孫仲の刃先を躱(かわ)すと右手で渾身の  袈裟斬りを喰らわす。   一目で孫仲が息絶えた事が分かった。   「情けをかけたおいらが悪かったのか。」   劉備は横たわる屍の上で感慨に耽(ふけ)る。手に残った感触を振り払うように剣を鞘に収めた。   「いや、気にする事ではありません。長兄はこの者に再考の機会を与えたのです。この者が黄巾の誤った道を正す  力となっておれば、このような結末はなかったでしょう。」   「雲長。」   関羽の言葉は劉備を慰めているようであり、一方では別の何かに言い聞かせているようであった。   「おい、そこの者達。張曼成の部屋に案内せよ。」   関羽は残った趙弘、韓忠に言い放った。両将軍は、一刀のもとに倒された孫仲、そして、さらに手強そうな関羽、  張飛を見るに戦意というのを失い力無く頷くのであった。   「殿、やはり劉備三兄弟の力は侮れませんな。」   孫堅の傍らで黄蓋が耳打ちした。これまで、何度が同じ戦場に立った事があったが、関羽、張飛の戦いをこれほど  までに間近で見た事がなかった。   思わず警戒して出た言葉であった。   「はっはっはっ。公覆、お前も徳謀に毒されたか。劉備殿と俺は生涯の朋友、戦をする事などないぞ。」   しかし、天下は一つ。もし孫堅がそれを望み、劉備も望んだときはどうされるのか。   黄蓋と比して名前を出された程普は、口にこそ出さなかったがそんな考えを巡らせる。   「おいおい。俺達は漢朝のために戦っているんだぞ。そんな先々を見通して、今のお前らを見ているとまるで、我  が長男の親友を見ているようだぞ。」   程普達の思いを機敏に察した孫堅は今年、九つになる息子の孫策(そんさく)、そして、その遊び仲間である周喩  (しゅうゆ)の事を持ち出し、冗談交じりに釘を差すのであった。   「ほら、公覆、徳謀、義公、大栄。劉備殿に続け。」   黄蓋、程普、韓当、祖茂の四天王にそう命ずると劉備の後を追った。が、その足取りは先程と比べると微妙に相違  があった。   孫堅も戦の天才と謳われる程の戦略家である。将来の事を考えなくもない。   しかし、その考えは四天王の更に上をいっている。   もし、天下を望んだとき、覇を競い合う相手は劉備一人ではないのだ。曹操孟徳、この男の事を忘れてはいけない。   曹操と一対一で戦ったとき、恐らく共倒れとなるであろう。では、劉備と組んで二対一ならば・・・・   『しかし、俺では駄目だな。』   勝者二人になった後の決着をつける事は出来ないだろう。それ程までに孫堅は劉備の器に惹かれてしまっていたの  だ。   苦笑いの後、つまらない思いと振り切るように孫堅は駆け抜けた。  
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    宛城内は一時期と比べて、大分落ち着いてきた。それはほとんどの者が降伏をしたためであった。   自室で騒ぎの始終を聞いていた張曼成は、寝台の上に端座したまま身動き一つとらなかった。その顔には表情はな  く、何かを超越した風貌が伺える。   そこは暗室であったのだが、来訪者の訪れとともに光が立ちこめる。   「よく、来られました。」   まず、張曼成が発した言葉は、古い友人を招いたような暖かい言葉であった。   部屋に現れたのは、劉備、関羽、張飛、孫堅の四名である。四天王は部屋の外で待機していた。   四人は戸惑いながらも、徐々に間合いを詰める。   「あんた、張曼成だよな。」   劉備が確認のためにそう尋ねるが、相手からは返答がない。短気な張飛は丈八蛇矛で飛びかかろうとするが、寸前  で関羽に止められた。   「知将、張曼成にしてはここの守りはお粗末だった。が、・・・・。」   孫堅が城内にあっさり侵入できた点を指摘し訝(いぶか)しむが、このような部屋を与えられる上将は、もう、張曼  成しか残っていない。   「張曼成。あの者は良くやってくれました。」   厳かに開かれた張曼成の口からは、ゆっくりとであったが張曼成自身の名を否定する言葉が聞きとれた。   気でもふれたのであろうか。張曼成を知る者であれば、そう思ったであろう。   しかし、残念ながら、この四人は張曼成の名は知っていても姿を見た事がない。素直に別人なのかと考えはじめた。   「では、貴公は何者か。」   これまで反応の薄い張曼成が関羽の問いに初めて、表情を見せる。といっても微かに眉をつり上げただけであった  が・・・   「あなたが南華老仙に私を託された御仁ですね。」   何を言っているのか。関羽以外の三人には、全く分からない。そして、関羽はこの偉丈夫にしては珍しく、わなわ  なと抑えられない震えに襲われた。   『言っている事を正しく理解すれば、この男は・・・・』   「張角か!」   「何!」   関羽の突拍子もない発言に誰もが驚く。張角は鉅鹿の本殿から一歩も外に出ていないはず、ましてや、もうこの世  にいない人間なのだ。   しかし、劉備は長い付き合いから、関羽がこんな冗談を言う人間ではない事を知っている。   「本当なのか。雲長。」   関羽自信も半信半疑であった。が、南華老仙と関羽の事を知っている人間は本人達だけである。もし、他にいると  すれば南華老仙の一番弟子である張角であろう。   一同の視線は関羽から、再び、張曼成に向けられる。   「はい。私は張角。いえ、正確にはその精神とでもいうのでしょうか。この体は皆さんのご推察通り、張曼成のも  のですが、彼は義憤と心労で五日前に倒れてしまいましたので・・・」   そんな事があるのであろうか。容易には信じがたいが、関羽には間違いなく真実と受け取れた。   「では、張角殿。何故、ここに。」   「あなたに討たれるためですよ。・・・私は師の教えを違えました。ならば、最後は師の望むままに。」   張曼成はそう言うと、じっと目を閉じた。その目蓋の端からは一筋の涙がこぼれる。   「雲長。」   「関兄。」   関羽は劉備、張飛に促され、青龍偃月刀を力強く握りしめる。そして、ゆっくりと張曼成に近付いていった。   「関羽殿、最後に・・あなたが望むものは?」   「貴公と同じく、天下万民の笑顔。・・・御免。」   関羽の青龍偃月刀が青白い光を帯び、張角の額を割った。と、同時に無数の光が張曼成から飛び出た。   その光が空中で一塊りとなって、本来の張角の姿を現す。それは聖体と呼ぶに相応しく、黄巾賊の間で神と崇めら  れていた人物そのものであった。   更に昇天する間際に一人の老人、南華老仙が現れた。張角は南華老仙の前で、深々とお辞儀をすると初めて、人ら  しい表情を関羽達に向けた。   それはこの上ない笑顔であった。   そして、その光は徐々に失われていく。   「ありがとう。」   この言葉を最後に光は完全に消える。   残された者達の胸の中は複雑な思いで充満した。何と言ってよいのか分からない。   「正しい道も急いては損じる。そういう事だな。」   劉備が洩らした一言に誰もが頷く。   その時、関羽は思った。   張角が病死したという噂。   ひょっとしたら、張角はその類い希な能力で自分の死期を悟ったのでないか。だからこそ、自分の夢を叶えるため  に黄巾の乱という早急な策に出たのではないか。   これは故人を思う感傷かもしれない。   その答えは永久に誰も知る由もないが、関羽は一人、そう思うのであった。     こうして、中華史上最大の農民達の一大発起、黄巾の乱は静かに幕を閉じるのであった。

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