二十.決着 

  
  黄色の群舞(ぐんぶ)が乱舞へと変わった。しかし、それは舞踏のような華やかさとは大分かけ離れたもので、黄巾
 賊の阿鼻叫喚(あびきょうかん)の世界であった。 
  圧倒的勝者が敗者へと転落したのは、ほんの一瞬の出来事であった。 
  攻め立てる黄巾賊の本陣から白い煙が立つのを見計らうようにして官軍は、これまでの退却から攻転。 
  折しも周りからは、本陣陥落の声が聞こえ出し、高揚としていた黄巾賊の士気は地の底まで沈む。 
  黄巾賊の有利は物量にあったのだが、その兵数も勝手に動き出しては落ちぶれたとはいえ練兵を受けている官軍の
 敵ではなくなった。 
  「よし、一気に攻め立てるのだ。」 
  この官軍の総指揮官、皇甫嵩は満面の笑みで自軍を鼓舞する。曹操の謀(はかりごと)通り進んでいる事が満足なよ
 うだ。 
  確かに官軍にとってはこれ以上ない程に苦しい戦いであった。 
 敵に背を見せながらの戦いは想像以上に官兵達の体力、精神力を奪っており、あと半刻、反撃に転じるのが遅かった
 ら、このような場面はなかったかもしれない。 
  それは劉備軍も同様で、気力を振り絞っての戦いから開放される瞬間を間近に控え、その勢いは加速した。 
  劉備の雌雄一対の剣、関羽の青龍偃月刀は休む事なく、左右を斬りつけ、黄巾の賊徒を屠(ほふ)る。 
  そして、張飛の丈八蛇矛は雄敵、趙雲子龍に向けられていた。 
  両者の闘いは、前半は趙雲が、後半は張飛が主導権を握っていたが、未だ決着はついていない。 
  戦況としては張飛の優勢は揺るぎないが、趙雲とて簡単に倒される男ではない。 
  「おい、趙雲。そろそろ、俺達も決着をつけねぇか?」 
  「どうやって?まさか、その首(しるし)を差し出してくれるというのか。」 
  「いや、そいつは勘弁だ。小便ちびりそうな一撃なら、いくらでもくれてやるがな。」 
  互いに必殺の一撃を繰り出しながら。不適な会話を続ける。 
  張飛は後一押しという手応えを掴みながら、なかなか倒せないことに苛立ちを覚え、趙雲は周りの仲間が次々に倒
 れていく事に焦燥感を募らせていた。 
  「おーい、二人とも。これじゃあ、拉致がねぇよ。次に渾身の一撃を打ち合って終わりにしな。」 
  熱闘を続ける二人に劉備が声を掛けた。劉備の目から見ても、この二人の闘いはいつ終わりを告げるか予想だに出
 来ない。 
  そして、決着がつくとするならば、互いに防御の事など考えずに膂力(りょりょく)の限りを得物に託し、一撃必殺
 の業(わざ)を繰り出したときだと考える。 
  無論、その時は、どちらかの生命に暗幕が降りるときであるが。 
  「ちっ、長兄。可愛い義弟(おとうと)を追い込むんじぇなぇよ。」 
  「馬鹿野郎、その方が力が入るだろう。火事場の何とかってな。」 
  「ふん。そんな物に頼んなくても十分強ぇんだよ。」 
  「そうかい。・・・んで、趙雲子龍さんよ。あんたはどうする?義弟はやる気だぜ。」 
  劉備はそう問いかけるが、答えはもう分かっている。このまま闘っても趙雲にとってはじり貧だ。そして、戦(いくさ)
 自体の劣勢を跳ね返すにはこの類い希な豪傑を倒すしかないと考えているだろう。 
  「受けた。」 
  「よしきた。そんじゃ、おめえら。一撃こっきりだからな。気合い入れろよ。」 
  張飛と趙雲の視線が合った。尊敬できる雄敵と認めたからこそ、一騎打ちの最中というのに笑い合える。 
  「うぉぉぉぉぉぉ。」 
  「むぅぅぅぅぅぅ。」 
  二人の氣が充実しながら膨れ上がる。触れれば弾き飛ばされそうな、武威に熱風すら感じる。 
  勝負は一瞬、二の太刀はない。 
  そして、その瞬間が訪れた。 
  張飛の丈八蛇矛は炎を纏(まと)いながら振り下ろされ、趙雲の槍は音の壁を突き抜け光と化す。 
  凄まじい衝撃が大地を震わせると次に訪れたのは静寂の世界であった。 
  不覚にも劉備はこの一騎打ちを目の当たりにする事は出来ず、その視界に飛び込んできたのは空白の世界であった。
  何が起きたのか理解する前に現実の世界がゆっくりと姿を現す。 
  まず、朧気(おぼろげ)ながら知覚できたのは二騎の騎馬であった。続いて、鞍上の二人の勇者。そして、最後に無
 惨に砕け散った趙雲の愛槍であった。 
  張飛の丈八蛇矛は間違いなく、趙雲の生命を捕らえた。しかし、趙雲の槍も同じく張飛を必殺の淵へと誘(いざな)
 った。 
  その一撃の目指す目的地は互いの接点となり、両者の得物は空中で激しくぶつかったのである。 
  しかし、結果は?二人の、いや、少なくとも張飛の命は繋ぎ止められているのか。 
  劉備はゆっくりと二騎の騎影に近付いていった。 
  「・・討・て。」 
  不意に二人から言葉が発せられた。果たして、それはどちらから。 
  「おい、益徳。」 
  「・・・へん。・・そんな力、・残ってねぇよ。」 
  この言葉は間違いなく張飛からだ。劉備はほっと胸を撫で下ろした。が、それもつかの間、張飛の手から丈八蛇矛
 がするりと滑り落ち、大地に突き刺さった。 
  「益徳!」 
  叫んだ劉備は張飛に駆け寄った。ほんの僅かな距離がとてつもなく長く感じられる。 
  そして、近付き張飛の肩に手をのせようとしたとき、その手は更に伸びて張飛の頭にぶつけられた。 
  「お前、何、笑ってるんだよ。心配させやがって。」 
  「・・痛てぇな。・・生きちゃいるが、・・・ぎりぎりなんだぜ。」 
  「うるせぇよ。」 
  激闘を生き残った張飛と劉備は互いに笑いあった。「・・おい、私を・・討て。」 
  二人の会話を割るように向かいの趙雲は力を振り絞って、そう言った。 
  自らの得物の姿が物語るように自分の負けを認めたのだろう。 
  「討てって言ってもな。益徳は丈八蛇矛を持ってないぜ。」 
  「・・ならば、劉備玄徳。・・貴方が、・討てばいい。」 
  「冗談言うなよ。一騎打ちを第三者の手で終わらせるわけにはいかねぇだろ。」 
  劉備はそう言うと振り返った。そこには刃を立てて近付こうとする黄巾賊の将、高昇がいた。 
  「くそ。」 
  寝首を掻(か)くように背後から、張飛を斬りつけようとでもしたのだろう。見付かった事に慌ててたが、意を決し
 て飛びかかってきた。 
  しかし、「二度目は許さん。」と、関羽の怒りの青龍偃月刀で敢えなく討ち取られる。 
  趙雲はこれでまで黒山賊が黄巾と手を組んで以来、ずっとともに戦ってきた戦友の死に関して、何の感銘も受けな
 かった。 
  むしろ、正直、ほっとした気持ちになったのは不思議であった。 
  「張飛が生き残ったのは、おいらとともにある天命だ。しかし、趙雲。あんたが生き残ったのは、天佑だ。こんな
 くだらない連中と一緒にいて、輝く武を曇らせるんじゃねぇよ。そこんとこ、よーく、考えな。」 
  劉備は張飛の馬の手綱と自分の駒と一緒にひいて、その場を離れていく。 
  「この戦場はもう、官軍の勝ちだ。早く、この場を離れろ。いや、離れてくれ。おいらが認めた男がこんな所でく
 たばるのなんて耐えられねぇ。」 
  趙雲は劉備の言葉に驚いた。敵である自分を見逃すだけではなく、生き延びろと声を掛けるとは・・・ 
  「次は貴方の命を狙うかもしれませんよ。」 
  「構わねぇよ。但し、おいらは益徳より手強いぜ。」 
  劉備の悠然とした後ろ姿が眩しく映った。「確かに。私では敵わぬな。」 
  自軍に指示を送る劉備は、後ろを振り返り、微笑んだ。そこには既に趙雲子龍の姿がなくなっていたからだ。 
  「よし、おめぇら、深追いはするな。武器を捨て降伏した奴には手を出すなよ。」 
  この戦をもって穎川一帯は漢帝国の勢力圏となる。 
  黄巾賊の残兵は宛城(えんじょう)に立て籠もり、抵抗をみせる。しかし、それも風前の灯火だろう。 
  いよいよ官軍は、黄巾賊の本拠地。鉅鹿を攻める事に本腰を入れるのであった。



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