十五.三雄 
  

  渠帥・波才を失った穎川黄巾賊は、人公将軍・張梁の指揮の元、悲壮な思いで官軍に抵抗を続けた。
  後のない黄巾賊は勢いづく官軍によく善戦し、一進一退の攻防となる。そうなると次第に優勢に戦えると高を括っ
 ていた官軍に焦りの色が浮かんでくるのであった。 
  そして、そんな黄巾賊に知将・張曼成と常山黒山賊が合流し、一層士気は高まる。 
  今や穎川地方において、戦局は全くの五分となった。 
  「曹操よ。思ったより、黄巾どもはしぶといのう。」 
  官軍の帷幕の中で皇甫嵩が曹操に問いかけた。苦虫を噛み潰したような何ともいえない渋い表情であった。 
  対照的に曹操は澄ました表情をしている。 
  「波才を討ったときに敵味方問わず、全てを焼き払いました。その事から、降伏は許されないとの判断が敵を頑
 (かたく)なにしているのでしょう。」 
  「う・・む。」 
  皇甫嵩は言葉を詰まらせた。波才を討ったときの作戦は曹操が考え出したものであった。 
  しかし、その作戦では、味方が撤退した後に火計を行い、しかも敵にも一路退路を作っておき伏兵によって捕らえ
 る作戦であったのだ。 
  孫子による、『囲師は周する事なかれ。』の応用であった。 
  それを皇甫嵩の勝手な判断により作戦を変更し、敵味方問わず全てを焼き払う事となったのである。 
  指揮権は皇甫嵩にある。作戦の変更も皇甫嵩の自由であるが、折角、考えだし下準備から行っていた曹操としては、
 少しは困らせてやらないと気持ちがすっきりしないといった所であった。 
  「まあ、多大な戦果を得たのです。過去の事はともかく、目の前の敵をどうするかですね。」 
  「そうじゃ、ようは結果が全てだからのう。」 
  皇甫嵩は何とか取り繕った笑顔を見せた。 
  そんな皇甫嵩をよそに曹操は考え込んだ。それは新しく加入した張曼成という将と黒山賊についてである。 
  それというのも張曼成が陣頭に立ってから、黄巾賊の陣列が整然とし、曹操の目から見ても容易に崩し難いと思え
 るからだ。 
  それと黒山賊を指揮する白い鎧の槍術者も気になる。指揮能力もさることながら、武芸においても相当の使い手な
 事は間違いない。 
  曹操旗下の夏侯惇、夏侯淵で抑えられるかどうかといった所だ。 
  曹操の脳漿(のうしょう)でありとあらゆる場面を想定した展開が繰り広げられるが、どうしても駒不足となる。 
  表面上は冷静を装っていても、皇甫嵩以上に焦燥にかられる曹操であった。 
  「おい、幽州義勇兵のご到着だぜ。」 
  そんな折り、聞いたことのある大声が曹操や皇甫嵩のいる帷幕まで届いた。 
  曹操の顔が輝く。 
  「皇甫嵩将軍、我が謀(はかりごと)成りました。誰か、劉備殿をこちらへお通ししろ。」 
  程なく、従者に伴われ劉備が帷幕の中に入って来た。そして、もう一人・・・ 
  「徐州下ひの孫堅文台でござる。」 
  劉備の横に立っていた巨漢がそう名乗る。周りから、おお、という感嘆の声があがった。 
  戦上手の孫堅の名は、すでに官軍の中でも相当に知れ渡っているのである。 
  「おお、孫堅か。心強いのぅ、曹操。」 
  「はい。お初にお目にかかる。私、曹操孟徳と申す。」 
  孫堅と曹操の視線が絡み合った。その瞬間に全てが分かる。互いに英雄だと。 
  これで曹操の胸の内では勝利という文字が確信に変わった。 
  「おい、おいらもいるんだけど。」 
  劉備が曹操と孫堅の間に入って、そう言った。皇甫嵩を無視してである。 
  皇甫嵩も以前に劉備に与えた仕打ちを気にしてか、又、その後の劉備軍の活躍を聞くに及び貴重な戦力を失いたく
 ないとしてか、劉備の無礼を黙って見過ごす。 
  両者の間に流れる微妙な空気を察して、曹操が取りなした。 
  「いや、劉備殿。貴殿達のような義勇軍の活躍は、我ら官軍の者には心強く感じます。皇甫嵩将軍とともに大変喜
 んでいた所です。」 
  空々しい言葉も曹操の口から発すれば、違った感じで伝わる。不思議なものであった。 
  「そうかい。」、とだけ劉備は答えると孫堅と並んで皇甫嵩に軍礼をする。 
  劉備自身も皇甫嵩と争うつもりで穎川くんだりまで出向いたわけではない。ただ、あのような扱いは二度と御免被
 (ごめんこうむ)りたいので、一言釘を差した。 
  「背後に不安を抱えては、戦になんねぇ。・・頼むぜ。」 
  普段、おどけてばかりいる劉備が気を込めて皇甫嵩に言い及んだ。殺気に近い気配がある。 
  皇甫嵩はその気迫に押されて、ただ、頷くだけとなった。 
  それを見届けると劉備は気を抜き、反転し曹操に向き直った。 
  「そんじゃ、作戦を聞こうか。もう、その頭ん中では勝利は見えてるんだろ。」 
  劉備の言葉に曹操は不適に笑うとこの穎川の地を記した図面を広げた。 
  「戦の天才、孫堅殿の前で講釈するのは気恥ずかしいが。」 
  表情とは逆に殊勝な言葉を前置きして、曹操は今回の戦の展開、作戦を述べ始める。 
  「敵は今、援軍を得て士気は旺盛。しかし、波才を討たれた教訓から、そう深入りはしてこない。」 
  「じゃあ、どうしようもねぇじゃねぇか。」 
  「いや、敵の士気が高い所に目を付けるのさ。」 
  孫堅の言葉に曹操は頷く。劉備は、「どういう事だい。」と、尋ねた。 
  「今、穎川にいる黄巾賊の総大将は張梁だ。しかし、実際に指揮をとっているのは恐らく張曼成。その張曼成が持
 久戦に持ち込むべく慎重に軍を動かしているのは何故だ?」 
  「そいつは・・・」 
  そこまで言って、劉備は孫堅を振り返った。 
  「あと、数カ月経てば季節は秋、冬へと変わっていく。黄巾賊は資金、食糧ともに豊富と聞く。それに引き替え、
 官軍はここ数年の飢饉や災害がたたって国庫は空に近い。遠大なる兵糧攻めだろう。それと・・・」 
  孫堅が言い淀み、皇甫嵩を凝視した。若い三人に出る幕なしと言った形でいた自分に急に注目が集まったので驚く。
  「な、なんじゃ。」 
  「はっきり言ってやれよ。孫堅殿。」 
  「いや、それは曹操殿に任せる。」 
  二人に任された曹操は、一瞬、眉を曇らせたが直ぐに普段の冷静な顔に戻り、皇甫嵩に続きを話した。 
  「はっきりと申しますが官軍が弱いという事です。」 
  「・・何を言い出すのだ。曹操。」 
  「いや、曹操殿の言っている事は本当だよ。今、官軍が勝ったり優勢だったりするのは、おいら達のような義勇兵
 や曹操、孫堅殿のような少数精鋭の部隊があってこそ。」 
  「ふむ。しかし、戦とは妙なもので活躍しているのは俺達でも、少数部隊だけじゃ勝てないのさ。」 
  官軍の侮辱もさることながら、この三人だけに分かる言葉で話している事が無性に腹立たしい。かといって、気概
 (きがい)で勝てないのは先程の劉備で立証済み。 
  皇甫嵩は苛立ちを見せながらも、どうする事も出来ず押し黙った。 
  「いや、御両名が申しているのは、それでも今の官軍は必要という事です。いくら強くても少数では敵は高を括る。
 人は調子に乗ると力以上のものを発揮する事があります。しかし、多数の官軍がいる事によって、慎重にならざる終
 えない。」 
  曹操の言う事は分かる。しかし、それでは官軍は敵の勢いを止める壁の役割でしかないという事か。 
  「そこで、話を戻します。黄巾賊が持久戦を狙っているのは、その多数の官軍の瓦解(がかい)を狙ったものなので
 す。」 
  「そう、人間ってのはたくさん集まりゃ、集まったで色々と問題が出る。人それぞれ色んな考えがあれば意思統一
 なんて大変さ。けど、簡単に広まる感情がある。・・・そ」 
  「そいつは不安だ。」 
  劉備が勿体ぶっていたのを横から孫堅が口を挟んだ。劉備はいい所を持ってかれて、開けかけていた口をぱくぱく
 とさせる。 
  「直ぐ片づくはずの戦が予想外の苦戦、長期化。故郷を遠く離れた兵達には望郷の念が生まれる。そして、今度は
 生きて戻れるのかという不安が強くなる。」 
  「そして、その不安が最大限に膨れ上がった時に、更に煽(あお)るような虚報(きょほう)を流すという訳です。」
  曹操の真顔で言われると皇甫嵩は本当に不安が募る。三人の話をまとめると、今、敵の策略に見事にはまっている
 という事ではないか。 
  そんな皇甫嵩の心の動揺を三人は表情から読みとった。 
  劉備と孫堅は、『怒ったり、心配にしたり忙しいもんだ。』と内心思っていたが、現在配下となっている曹操は、
 そういう訳にもいかず不安を取り除くような助言をした。 
  「と、まあ、ここまでが相手の思惑ですが、我々の思惑は違います。」 
  その言葉を聞いて皇甫嵩の顔が明るくなる。本当に忙しいもんだ。 
  「して、その思惑とは?」 
  「都が落ちたって情報をこちらから流すというのは、どうだ。」 
  孫堅が曹操に話す。曹操は微笑んでから頷いた。 
  「私も孫堅殿同様の策を考えておりました。偽の虚報をこちらから流し、我らはそれに従い退却すると見せるので
 す。」 
  「んで、追っかけて来た馬鹿どもを後ろから叩く。」 
  劉備が台詞に合わせて手の甲を叩いた。 
  「しかし、兵には虚報がどうかの見分けはつくまい。本当に壊走する目に遭わぬか?」 
  「そりゃ、兵卒と同様に大将まで浮き足立っちゃ駄目だぜ。」 
  「劉備殿の申す通り、兵達には本気で逃げてもらいますが、皇甫嵩将軍はこの作戦を御承知ですから、落ち着いた
 指揮をしていただければ壊滅する事はないかと思います。」 
  重ねて曹操に言われ、皇甫嵩はなるほどと納得した。今度は安堵の表情が広がる。 
  「まぁ、この作戦で一番重要なのは皇甫嵩将軍の逃げっぷり。相手は知将、張曼成だ。よろしく頼みますぞ。」
  孫堅の一言に皇甫嵩は、「応。」と、胸を反らせた。 
  その後、三人は皇甫嵩に軍礼を取って皇甫嵩の帷幕を去った。 
  暫く、三人は肩を並べて歩いていたが、その内、劉備が曹操に耳打ちする。 
  「一番大事な事を言わなかったんじゃねぇのか?」 
  「ああ、あの将軍、もう勝った気でいるが張曼成を騙すんだ。下手をすると本当に壊滅する事になるぜ。」 
  劉備と孫堅の言葉は曹操の怜悧(れいり)な表情の上を滑り落ちた。二人は曹操の真意を図りかねる。 
  「将軍に本当の事を言えば、本気で逃げ出してしまうだろう。そうなると全てが水泡と帰す。漢帝国のためには事
 実を告げない方が良いと判断した。」 
  曹操の言葉に孫堅が軽い憤りを覚えた。「では、見捨てると?」 
  それは何より仲間を大事にする孫堅と漢帝国を第一とする曹操の考え方の違いであった。 
  「まあ、いいじゃねぇか。あの将軍、調子に乗せると以外とやるかもしれないぜ。」 
  劉備が両者の肩を抱くようにして飛びついた。険悪な雰囲気になる前に助け船を出したのだ。 
  それに劉備には曹操が最後に声に出さずに口元だけを動かした言葉を読みとっていたのだ。 
  『大丈夫、死なせはせん。』と・・・ 
  劉備に毒気を抜かれ、孫堅は苦笑いをする。大事な一戦の前に些末(さまつ)な事で仲間割れをしている場合ではな
 い。 
  聡(さと)い孫堅は、直ぐに平常に戻る。と、いうよりは劉備の愛嬌(あいきょう)に笑いを誘われた。曹操も同様の
 ようで、三人は肩を抱きながら大笑いをする。 
  それぞれの想いは違うが勝利という二文字を目指すのは一緒である。 
  『今はそれでいいんじゃねぇのか。』 
  劉備は歩きながら、夕焼け空を見上げる。それは明日の快晴が約束されたような夕焼けであった。  




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