十三.友情 戦塵(せんじん)と血飛沫(ちしぶき)が舞う、南陽の戦場にて『孫』の旗が所狭しと駆け回る。孫堅の指揮する右翼 は、圧倒的な強さで黄巾賊を討ち滅ぼした。 孫堅は散開していた自軍をまとめると中央に展開している本軍の様子を見て、太い眉をひそめる。 「む、旗色が悪いな。」 孫堅は腰に帯びていた古錠刀(こていとう)を振りかざし、自軍を鼓舞する。即座に馬首を返して、張宝の本軍に突 撃した。 「殿、思ったより敵の数が多いですぜ。」 祖茂が左右の敵を切り伏せながら、孫堅の後ろを補佐する。その他の四天王、黄蓋、程普、韓当は、それぞれ兵を 率いながら孫堅に付き従っていた。 孫堅は祖茂の言葉に頷きながら、袁術に任された左翼が崩れさったのではと危惧した。 見た所、戦が始まる前より、黄巾賊の本軍が膨れ上がっているのだ。これは援軍があったか、もしくはどこかの軍 が合流したかだ。 黄巾賊に援軍が来たとの情報は、孫堅の耳に届いていない。情報力には自信のある孫堅だ。これは、まず間違いは ない。 そして、孫堅が対した敵はことごとく撃ち破った。そうなると残るのは袁術と相対した黄巾賊が合流したと考える しかない。 左翼には袁術だけではなく、あの劉備玄徳率いる義勇兵もいたはずだが・・・ 「公覆、徳謀。無駄に兵を開くな。錐行(すいこう)の陣を布く。」 赤い頭巾をなびかせる大将を先頭に孫堅軍は、楔(くさび)を打つように黄巾賊本隊の側面を衝いた。その勢いたる や凄まじく、敵軍の中を無人の野を行くがごとく突き進む。 折しもその時に、同じく疾風のような勢いで黄巾賊の中を駆け抜ける一隊と出会う。 先頭に立つ将は二対の剣を巧みに操り、その両脇を固める将達が得物を奮うとその度に黄巾賊の首が十は飛ぶ。 孫堅が思わずみとれてしまう程の闘いぶりであった。 「おお、これは劉備殿、無事だったか。」 「ああ、面目ない。」 先頭に立つ者同士、視線が合うと馬を近づけ、挨拶を交わす。尚もその間、二人の剣は休む事なく黄巾賊を斬り付 けていた。 「不覚だよな、厳政を取り逃がしちまった。」 「はっはっはっ。無事であれば何より、それにあの陣形はあんた方には不利だった。不覚なのは袁術を前曲に用い た朱儁将軍にある。」 辛辣(しんらつ)な意見を述べると、孫堅は劉備達と別れ見事な陣形で進軍を開始した。 劉備軍は今まで隊列や陣形など気にせず、勢いで敵陣に攻め込んでいたが、孫堅の見事な用兵を見ると戦とはただ 単に強いだけではなく、極めれば美しさというのも備わるものだと感じた。 「よし、おいら達も負けていられないぜ。」 いつもでも孫堅の後塵に見とれている訳にはいかない。劉備軍は軍を反転し、初めに突入した方角に再び進軍を始 めた。 来た時同様に劉備の両脇を飾る、関羽、張飛の働きは鬼神を思わせる程で、斬って、斬って斬りまくるとは、まさ しくこの事であった。 この両軍の活躍により、黄巾賊後方は撹乱され、その影響が本軍全体に現れる。そして、押されていた朱儁軍も徐 々に体勢を立て直しつつあった。 一方、この展開に苛立ちを募らせる人物がいる。黄巾賊、南陽駐屯地で指揮を取る地公将軍・張宝であった。 「何をしている。兵の数では勝っている。後方など気にせず、前の朱儁を討てば片がつく。」 張宝の指摘はその通りであるが、軍がその通り動く事とは別問題である。寄せ集めの黄巾賊には、孫堅軍や劉備軍 のような阿吽(あうん)の呼吸などなく、指示、命令が行き届くに相当の時間を要する。 しかし、今回は指示が届かないという最悪の状態であった。張宝の苛々はますます募るというものである。 「ええい、よい。儂、自ら行くわ。」 不安と苛立ちが交錯し業を煮やした張宝は、自ら剣を取って自陣から飛び出した。その意図は精神的には士気を高 めようとするのであり、実質的には本気で兵数で押し切ろうというものであった。 この戦法は被害は大きいがこの戦局では間違いではない。同じ戦場に立つ孫堅は、そう思った。 しかし・・・ 『ただ、惜しむらくは、少し行動に出るのが遅かったのと戦っている相手にこの孫堅文台がいた事だな。』 黄巾賊大将が号令をかける総攻撃には中途半端な戦力では歯が立たず、立て直しつつあった朱儁軍もあわや壊滅状 態まで追いつめられた。 ここで慌てて援軍に向かうのが普通の将だが、孫堅は違う。じっくり、戦局を見極めて、ここぞという大局の極み をつく。 孫堅ならではの感覚であろう。 「よし、今だ。突き進め。」 黄巾賊の歩兵が朱儁の本陣に迫ろうかというこの時に孫堅は、自軍を鼓舞し張宝に襲いかかった。 「一気に張宝の首を取るんだ。ここで逃すと勝機はないぞ。」 好機が訪れたとき、人は油断し戦が雑になるものである。また、勝利を確信した瞬間に敗北を味わうと二度と立ち 上がれない。 この二つの要素から、孫堅は今が勝機と踏んだのだ。 が、その孫堅をして読み違えたことが一つあった。この戦の達人、孫堅と同じ事を考えていた人物がいた事だ。 それは幽州義勇兵の頭目、劉備玄徳だ。 「はっはっはっ。やはり、俺の見込んだ通りだな。良く見極めた。」 「いや、ただ、何となくさ。」 劉備、孫堅の怒濤の攻めは黄巾賊の虚をつく。張宝軍を切り裂き、アッという間に中枢まで攻め上がることが出来 た。 「前にばっかり、気を取られ過ぎなんだよ。それじゃ、戦は勝てないよ。」 「いいや、あんたが悪いんじゃねぇ。おいら達が強すぎるのさ。」 「はっはっはっ。それはそうだ。」 孫堅と劉備は張宝と対峙すると好き放題言い出す。張宝はこんな侮辱を受けた事はない。歯軋りをしながら二人を 睨み付けた。 しかし、侮辱は侮辱としてもどうすることも出来なかった。完全に兵達は気に飲まれている。絶対的な勝利が実は そうでないと気付いたときの動揺であった。 「さて、どうするんだい。今なら、まだ、そっちの方が兵力は多いぞ。」 「このまま、乱戦にするか、それとも一騎打ちで決着をつけるか。」 張宝の頭中で様々な計算が音をたてずに行われてる。そして、劉備が一騎打ちと言った後、そこに並ぶ二人の偉丈 夫を見て答えは出た。 それは孫堅、劉備の思いもよらない、いや、考えてはいたが一番の下策を取った。三十六計の一つ、逃げを選択し たのだ。 「うそ。」 考えてはいたが、ないと判断していたのはその逃げ場がないはずだったからだ。 しかし、実際には劉備達の前方、張宝から見れば今まで攻めていた方向に大きく道が開けていたのだ。 「何だよ、もう少し粘れよ。」 劉備が文句を言ったのは、朱儁の本軍のことであった。朱儁は黄巾賊の猛攻に堪らんとばかりに大きく後退をして いたのだった。 そこに黄巾賊の退路が生まれた。 「ちっ、追うぞ。徳謀、公覆、義公、大栄。」 孫堅は四天王に呼び掛け、すぐ追いかけた。一方、劉備達も嫌気をさせながら追いかける。 漢の将軍には傲岸(ごうがん)な人間が弱腰な人間しかいないのかといった感じである。それはある意味、孫堅や曹 操、劉備も含める若い力の台頭を予感させるものなのだが・・・ 追いかけるも張宝の姿が段々と小さくなって行く。上手の手から水が漏れるとはこの事か。 劉備も孫堅も大失態が頭をよぎった時、もの凄い弓勢で通常の倍はある大きさの矢が飛んできた。 しかもそれが見事に張宝の背から胸にかけて貫いたのだ。 劉備は、またかと思ったがあの時の矢と違う事は一目瞭然であった。 劉備、孫堅が振り返ると少し小高い丘の上に一人の男が馬上にいる。その男、五十間近に見えるが壮年真っ盛りと いった感じで、蓄えている見事な鬚には白いものがポツポツと混じり始めていた。 「今のはあの男か?」 問うまでもなく、その男の左手には先程の矢、同様に通常のそれとは比較にならない大きさの弓があった。 「我が故郷、南陽にて好き勝手はさせんぞ。黄賊。」 その男が再び弓を構え、矢を放つとその矢には四、五人の首が貫かれる。 劉備は今までこんな強弓を見たことがない。思わず感嘆の声を述べた。 「凄いな、凄すぎる。雲長や益徳でもあんな強弓扱えないんじゃねぇか。」 この言葉に関羽は素直に頷き、張飛は鼻を鳴らして答える。が、はっきりと否定しないのは認めた証拠である。 「おい、このままじゃ、あのおっさんに黄巾賊全部討たれちまうぜ。」 今までこの美技に見とれるように、あたかも呆けていた劉備軍を叱咤し、追撃を再認識させた。 古今東西、どのような戦においても大将の失った軍ほど脆いものはない。黄巾賊は劉備、孫堅の手によって瞬く間 に併呑(へいどん)された。 戦も終わり、兵達が勝利の凱歌をおさめている頃、劉備はその強弓の主に近付いて行った。 「やるじゃない。その強弓見せてくれよ。」 「ふん、若僧が。」 この男はそう言うが、威勢のいい人間は嫌いではないといった口調であった。弓もあっさり、劉備に手渡す。 「重てぇ。ほら、雲長、益徳。全然引けねぇぞ。」 劉備は顔を真っ赤にして弓を引くが、少ししならせる事が出来ても、すぐに反発力で戻されてしまうのであった。 「はっはっはっ。いやぁ、見事な腕前。」 そこに孫堅とその四天王が加わる。孫堅も劉備の手にした弓を引いてみるが流石に最後まで引くことは出来なかっ た。 「これだぜ。五、六人を吹っ飛ばすわけだよ。」 「ああ。」 劉備と孫堅は二人で納得し、弓を持ち主に返した。 「ふん、これを引くには年季がいるのよ。」 男は軽々と弓を引く。劉備は手を叩いて喜んだ。 「お主らこそ、若いながら巧みな用兵をする。名は?」 「おいらは、幽州義勇兵の劉備玄徳。」 「おれは別部司馬、孫堅文台。」 そして、この男は二人を交互に見た後、頷いて、自らの名を名乗った。 「人に名を聞いておいて、こちらも名乗らなければ失礼だろう。儂の名は黄忠漢升。中央の政治に嫌気をさして、 故郷に戻ってきた所よ。」 この男の名は黄忠というらしい。余程血気盛んなのだろう。久方振りの故郷にて、黄巾賊が大きな顔でのさばって いるのに憤りを感じたようだ。 「へぇー。それで、これからどうすんだい?」 「うむ。今日の戦でここら辺一帯の黄巾賊は撤退を余儀なくされるだろうが、賊は奴らだけではない。暫く、この 地に留まろうと思う。」 「そうかい。」 「そう言う、劉備殿はこれからどうするつもりだ。」 「ん、おいらかい?そうだなぁ。」 劉備は視線を上げて思索した。黄忠の言う通り、もう、南陽の地では黄巾賊の姿はなくなるであろう。残りの戦場 といえば、穎川か広宗になるのだが、皇甫嵩にせよ董卓にせよ、二度と会いたい人物ではない。 「おれは穎川に行こうと思うが、どうだ。一緒に。」 「皇甫嵩か?」 劉備はあからさまに嫌な顔をする。その事情を知っている孫堅は笑い出した。 「はっはっはっ。そんな顔をするな。君のおかげで皇甫嵩将軍は手柄を得たんだ。あんな待遇には二度とならない と思うぞ。・・それにおれは、曹操という人物に会ってみたいんだ。」 「曹操孟徳ね。・・・ま、いいか。何かあんたとは気が合いそうだ。こうなったら、黄巾賊、壊滅まで付き合って もいいぜ。」 「はっはっは。そう来なくてはな。」 孫堅は劉備の肩を思い切り叩いて喜んだ。劉備は咳き込みながら、黄忠に別れを告げる。 「そんじゃあ、また会おうぜ。義のために戦い続けるならその機会もあんだろう。」 「うむ。両名とも達者でな。」 劉備、孫堅ともに馬上の人となり、自分達を待つ部下の元へと馬を進めた。振り返ると黄忠が強弓を左右に振って 挨拶をする。 「ふっ、何か生きのいい爺さんになりそうだな。」 「はっはっはっ、百歳まで戦場にいそうだ。」 「ああ、あながちない話でもなさそうだぜ。」 劉備、孫堅の友情、出会いがこの後の乱世に大きな影響を及ぼす。今は闊達に笑いあう二人だが、運命の糸は紡が れていくのであった。