一.街頭高札 

  
  幽州(ゆうしゅう)の片田舎、たく郡は楼桑村(ろうそうそん)の街中に1本の高札が立てられた。 
  そこは、侘(わ)びしいながらも小さな市が開かれるなど人の賑わいが村一番の通りで、この珍しい掲示には人垣が
 できるほどであった。 
  その内容は、募兵の高札である。 
  ときは光和7年、甲子の歳、頭に黄色い布を着けた農民の武装集団、黄巾賊(こうきんぞく)が中国大陸各地で一斉
 蜂起を起こした。 
  太平道を極めた張角(ちょうかく)を狂信的指導者として仰ぎ、その指導能力と神秘的な力をもって、次々と勢力を
 伸ばしていく。その勢いは凄まじく全国十三州の内八州が戦禍にさらされた。しかも、旗色は官軍の方が悪い。 
  そして、中央の兵だけで対応がとれなくなった漢帝国は、今まで大きな兵力を与えていなかった州の長官である刺
 史(しし)を牧(ぼく)と名前を改め、合わせてその地方の軍権も与えた。 
  局地戦に持ち込みようやく戦果を五分に引き戻した漢中央政府は、安心したのか今度は各州への援軍、補給が滞
 (とどこお)りがちになる。 
  そもそも黄巾賊なる農民の大一揆が勃発したのは、今の中央政府を牛耳っている十常侍(じゅうじょうじ)の政治に
 問題があり、自分達の栄達や保身にしか顧みないありように、一番虐げられてきた農民達の怒りが爆発したのである。
  各地を任された州牧達は、黄巾賊の経緯(いきさつ)、そして、今回の中央の対応に完全に失望した。かといって、
 黄巾賊達の凶刃を許すこともできず、又は、自分自身の野心のために私兵を雇うようになり、このような高札がこん
 な片田舎にも立てられるようになったのである。 
  そんな高札を人垣に混じって見つめる一人の青年がいた。 
  その名は劉備玄徳(りゅうびげんとく)であった。身の丈、七尺五寸に大きな耳が特徴である青年は、内容を一瞥し
 て鼻を鳴らす。 
  「いよいよかな。」 
  そう独り言を呟き、その後も大きな耳に手を当てながら何事かぶつぶつと呟いている。そんな劉備に隣の男が声を
 かけてきた。 
  「なぁ、そこの兄ちゃん。何て書いてるんだい?」 
  ただ人溜まりに誘われてやって来たのであろう、劉備の隣りに立つ男は文字が読めないらしい。劉備はその男に向
 かって、内容を説明してやる。 
  「最近、黄巾賊って奴らが暴れまくってるだろう。それで困った州牧さんが義勇兵を集めてるのさ。」 
  「へぇー、そいつは大変だな。どうなっちまうんだい、世の中は?」 
  「ん?へへっ、変えるのさ。おいら達がね。」 
  いつの間にか劉備の後ろには、二人の大男が立っていた。両者とも一目で分かる偉丈夫で、一人は朱顔長ぜん、一
 人は黒顔虎髭であった。 
  名をそれぞれ関羽雲長(かんううんちょう)、張飛益徳(ちょうひえきとく)といいともに劉備の義弟(おとうと)であ
 る。 
  「ほんじゃ、行くよ。二人とも。」 
  劉備は二人の豪傑を顧みることなくその場を離れていった。 
  隣りに立っていた男は、劉備の去り際、じろりと虎髭の男に睨まれ腰を抜かしそうになるが、寸前で踏みとどまり、
 改めて劉備の姿を眺めた。 
  はじめは話しかけやすい雰囲気を持っていたので、何気なく、高札のことを質問したのだが、二人の豪傑を従えて
 いる今の姿を見ると思わず平伏してしまいそうになる覇気を漂わせている。 
  「あんた達、一体?」 
  「ん?こっちが関羽で、こっちが張飛。そしておいらが劉備玄徳。いずれ、皇帝になる男さ。」 
  劉備は白昼、堂々とそんな大言を吐き、悠然と人垣から離れていった。周りの連中はただその姿を見送るばかりで
 ある。 
  が、一人、馬上の男が劉備を押し止める。 
  「待てぇい。今の言葉、聞き捨てならんぞ。」 
  その男、見やれば甲冑こそ着ていないが、ひとかどの武将のようであった。 
  馬上の男の挑戦的な姿勢に、反射的に張飛が自慢の丈八蛇矛(じょうはちだぼう)を強く握りしめたが劉備がそれを
 制す。 
  「何だい。あんた?」 
  「私は幽州牧、劉焉(りゅうえん)様の下で校尉の職に就いている鄒靖(すうせい)という者だ。」 
  「へぇー、校尉ね。で、鄒靖さん、おいらの何が気に入らないって。」 
  「貴様、先程皇帝になるとか申していたな。それは漢帝国への反逆の意味か?貴様のようなチンピラ風情の戯言
 (たわごと)とはいえ、見過ごすことなどこの鄒靖、断じてできんぞ。」 
  「なんだ。そんな事かい。あばよ。」 
  劉備は鄒靖の言葉にまるで興味なさそうにし、関羽、張飛を伴ってまた歩き出した。 
  「待て、貴様。この私を愚弄(ぐろう)するのか。」 
  「何がチンピラ風情だよ。農民達にいいようにやられてるくせに。下層部の人間の力をなめんじゃねぇよ。」 
  「クッ。」 
  これには思わず鄒靖も詰まらせた。確かに現状を鑑(かんが)みれば、劉備の言う通りである。 
  しかし、事の発端である皇帝云々にはまだ話が触れていない。鄒靖は素早く話を切り替えた。 
  「確かにそれは認めよう。そして、貴様をチンピラ風情と罵ったのも謝罪しよう。しかし、皇帝になるとはどうい
 うことだ。」 
  「なるもんはしょうがねぇだろう。」 
  「つまり、漢帝国に弓ひくということだな。」 
  「はん、頭の固い人だねぇ。」 
  劉備は本気で呆れ顔を鄒靖に見せた。 
  「じゃあ何か、新しい時代の皇帝はみんな反逆者と呼ばれるのかい。高祖劉邦は?光武帝劉秀は?みんな反逆者か
 よ。」 
  「な、その言いよう。不遜(ふそん)だぞ。」 
  「ようは、天下を取ってから何を成したが重要なのさ。反逆者どうのうこうを決めるのはあんたじゃねぇ。統治下
 にある民草が決めることなのさ。」 
  『むむっ・・・、確かに理にはかなっているかもしれんが、漢帝国にとっては仇をなす人物・・・。』 
  鄒靖は心の中でそう呟くと目の前の男を見つめた。 
  「では、今の天子様を討とうというのか貴様は。」 
  「いや、世が乱れてるのは十常侍のせいだろ。まず、十常侍を討つさ。」 
  「まず?・・その後は・・・・天子様を」 
  「ふっ、それは会ってから決めるさ。」 
  「会ってから?」 
  「ああ、会って、天子様がこの国に相応しい人物で、民衆に幸福を与えてくれるなら・・・。」 
  劉備はそこまで言って言葉を詰まらせた。深く深く考えを巡らせているようだ。 
  「そん時は、おいらに合った国を探すさ。」 
  劉備は屈託のない笑顔を鄒靖に向ける。鄒靖は何か大きな力に包まれる錯覚を覚える。 
  「そんな事を本気で考えているのか?」 
  「ああ。おいらはいつでも本気だよ。本気で冗談も言えば、本気で嘘も付く。だがな、皇帝になるって言葉に偽り
 はないぜ。」 
  ごく普通にあっけらかんと話す劉備に鄒靖は、まざまざと人間の違いを見せつけられる思いだった。 
  「ふふふ、本気か。その自信は一体どこから来るのか。」 
  「自信?おいらなら出来る。いや、おいらだから出来る。ただそれだけの事さ。」 
  「いや、分かった。確かめさせてもらうぞ。」 
  鄒靖は、そう言うや腰の剣を抜き、その戦刃を劉備の頭上で光らせた。が、劉備は微動だにしない。 
  人垣の中から、「危ない。」との叫びの後、乾いた金属音が響き渡った。 
  「なぜ、よけない。」 
  鄒靖のその問いに、劉備はにやっと笑うだけであった。 
  そして、劉備の頭上には青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう)と丈八蛇矛が交差し鄒靖の剣を受け止めている。
  劉備の窮地となれば、絶えず両脇にいる関羽、張飛がその災厄を取り除くために全力を尽くす。 
  その事をよく知っている劉備は、身の危険など微塵も感じていなかった。ましてや、自分がこんな覇業も何も踏み
 出していない段階で、命を落とすようなそんな小さな器とも思っていない。 
  劉備は交差する刃に軽く拳を当て、目配せを送り、頭上から偃月刀と蛇矛を退かせる。 
  「よける?おいらの前には皇帝への道しか開けてねえ。よけるなんて遠回りできねぇだろ。」 
  「フフ、なるほどな。よく分かった。」 
  鄒靖は剣を鞘に収めるともう一度、劉備をまじまじと見つめた。 
  「その胆力、両脇にある武の力。そして、なにより貴公の大きな器には感服した。貴公ほどの人物であれば、また、
 いずれ天下のどこかで会う事になろう。それと貴公とは二度と刃を交わらす事はしたくない。天子様が貴公の眼にか
 なう事を望む。」 
  「ああ、そうだね。」 
  劉備は改めて関羽、張飛を伴って鄒靖と別れ、歩き出した。その後ろ姿を見て、鄒靖はどっと疲れがこみ上げ軽い
 目眩を覚える。 
  劉備と話し合ったのは僅かな時間であるがまるで丸一日対峙していたような気がする。それ程心身共に疲れていた
 のだ。 
  こんな事は鄒靖の生涯で初めてのことだった。世の中の広さを改めて知らされた。 
  鄒靖は気を取りなし、手綱を扱くと劉備達とは正反対の方向に馬を進めようとした。 
  その時、鄒靖の名を大声で呼ぶ声が聞こえる。振り返ってい見るとその相手は先程まで話し合っていた劉備玄徳で
 あった。 
  「鄒靖さん。そう言えば、州牧さんのとこで働いてるって言ったよね。」 
  「ああ、そうだ。」 
  「じゃあ、伝えといてくんないかな。今度、賊の首、一つか二つ手土産に挨拶に行くって。じゃあね。」 
  劉備は近所へのお使いのように軽く言うと鄒靖の返事を聞かずに、手を振って、元の道を歩きだした。 
  一方、鄒靖はただ呆然とし、完全に気力を失うのであった。 
  「乱世は英雄を呼ぶと言うが、あの男もその一人か。」 
  その後、鄒靖は自分とは全く違う世界と割り切って、何とか幽州の劉焉が待つ居城まで駒を進めたのであった。 




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