七.人の力 
  

  「母上、ただ今、戻りました。」 
  質素なあばら屋の中に劉備の声がこだました。が、返事はない。 
  劉備は、それ程広くない我が家と認識している。自分の声が聞こえないはずもないので、母親の身に何か起きたの
 かと不安になったが、裏庭を覗くとそこにわらを織る姿が見えたのでホッとした。 
  劉備は幼い頃に父親を亡くしており、母一人子一人の生活を送っていたのだ。 
  「おや、玄徳かい?都すれした言葉を使うんで分からなかったよ。」 
  劉備は母親の言葉に、まいったと頭を掻いた。流石の劉備も自分の母親には頭が上がらないのだ。 
  「たった一年じゃ、そんなに変わらないと思うけどなぁ。」 
  「そうかい。私は疲れたんで、後は頼むよ。」
  そう言うと劉備の母は、あばら屋へと入って行った。 
  劉備は、自分の母の様子が一年前と変わっていないのに安心し、母がやっていた作業の後を引き受けた。 
  劉備は、糜家の姉妹を送り届けた後、帰路に戻り、この家に着いたのが昨日の夜半のことであった。 
  そして、今はわらで編んだむしろや草鞋(わらじ)を売りに行き、町から帰って来たところである。久しぶりの故郷
 は、確かに洛陽と比べると華やかさでは数段見劣りするが、その活気という点では負けないものがあった。いや、逆
 に人が住んでいる実感は、明らかに楼桑村の方が勝っていた。 
  一年ぶりに地元の懐かしい面々と顔を合わせると嫌でもそう感じざるを得ない。 
  劉備は、むしろを編み終えると父親の墓前に挨拶していないことを思い出し、早速、村外れの墓地へと向かった。
 その間にも何人もの人が劉備に声をかける。それは都から帰ってきた人間に対する羨望も混じっていたが、それ以外
 に劉備に対する郷土の人々の期待のようなものが込められているのを強く感じた。 
  劉備が父親の劉弘(りゅうこう)が眠る墓地に着いたとき、ふと人影を見付け足を止める。 
  劉弘の墓の前に、先程まで家にいた母親が手を合わせて座っているのだ。母親は何か小声で墓石に向かって話しか
 けているようであったが、ここからは聞き取ることができない。 
  別に、劉備には盗み聞きの趣味がある分けでも、隠れる意味もないので母親の元へ歩み寄ろうとしたとき、風向き
 が変わったせいか、かすかであるが母親の言葉が劉備の耳に飛び込んできた。 
  「貴方、玄徳が昨日、廬植先生のところから戻ってきました。まあ、あの子のことですから、真面目に勉学に励ん
 でいたとは思いませんが・・・」 
  思わず、劉備は噴き出しそうになるのを何とか堪えたが、それが逆に声を掛けづらくしてしまった。 
  仕方なく、その場に立ち止まり母と父の対話が終わるのを待った。 
  「でも、昨日会ったときはとても良い表情をしていました。何か心に期するものがあるのかも知れません。」 
  劉備の母は、そう言うとそばに置いてあった花を墓に添え、又、手を合わせる。 
  「落ちぶれたとはいえ、元は皇族の身。しかし、私達はあの子に何の手助けもして上げられないのが非常に残念で
 す。」 
  「そんな事はねぇよ。」 
  母の目頭をそっと押さえる後ろ姿を見て、居たたまれなくなり、劉備は思わず声を掛けた。 
  「おいらの体に流れる皇族の血と両親から授かった劉の姓、これだけで十分天下に名を馳せることができる。」 
  「玄徳、いつからそこに?まあ良いでしょう。やはり、何か決心したことがあるのですね。それでは、まず、父に
 報告なさい。私は家で待っていますから。」 
  劉備の母は、そう言い残すと劉備を置いて墓地を立ち去った。 
  劉備は、母の姿がなくなると父の墓石の前で跪(ひざまず)き、手を合わせた。 
  「父上、おいらはこれから天下に出て、今の乱れた世を正したい。幸いにして関羽、張飛という天下の豪傑を仲間
 に得ることができた。どうか、この地で息子の晴れ姿を見守っていてくれ。」 
  劉備は父への報告を終え、立ち上がると墓に一礼し墓地の出口へと歩き出した。少し生暖かい風が頬を撫でる。 
  劉備は、何となく気になり父の墓を振り返った。 
  するとそこには片目片足に青い道服を纏った老人が立っていた。先程までは誰もいなかったはずである。 
  訝(いぶか)しく思ったが、何となく超然とした風格に劉備は思わず老人に会釈をし、首を傾げながら家に帰ろうと、
 又、振り返った。 
  しかし、そこに、「お待ちなさい。若き志を持つ者よ。」と、その老人が話しかけてきた。 
  「何だい。おいらのことかい?」 
  「うむ。」 
  劉備の言葉に老人が大きく頷く。 
  「これから、世に立ち上がるのじゃな。ふむ、お主は、二つの強大な力に守られることとなる。」 
  「ああ、関羽と張飛のことかい。」 
  「そうじゃ、あの者達は、それぞれ天の力と地の力に目覚めた。」 
  「天?地?一体何だいそりゃ。」 
  「この世の新羅万丈全ては、天地人から成り立つ。」 
  劉備は、老人の話があまりにも突飛な方向に進んだので、一つからかってやろうと思い、戯(おど)けながら、「そ
 れじゃ、おいらには人の力があるってのかい?」と、言ってみせた。 
  が、老人は動じた様子などなく、さもあり何という表情で劉備を見返す。 
  「全くその通りじゃ。」 
  「はっ。」 
  劉備は老人の言葉に毒気を奪われた形となり、黙って頷くのみとなった。 
  「天の力も地の力も全ては、人の力の恩恵を受けてのことじゃ。お主に出会ったことで、彼らは新しき力を覚醒す
 ることができた。今度はお主の番じゃ。劉備玄徳よ。」
  突然、自分の名前を出されたので劉備は驚いた。関羽、張飛の件といい、突然姿を現したことといい、にわかには
 信じられないが、この老人は神仙の類なのであろうか。 
  「ほっほっほっ。儂が何者なのか疑っておるのだろう?」 
  劉備は、素直に頷いて肯定の意志を示した。 
  「ほっほっほっ。正直じゃの。儂の名は左慈(さじ)。人は烏角(うかく)と呼ぶ者もおるがの。一応、世間では導師
 で通っておる。」 
  「へー、そうかい。じゃあな、爺さん。」 
  先までは、この左慈という謎の老人の正体が分からず、どのように接していいか困惑していたが、相手の素性が知
 れればいつもの底抜けな劉備に戻っている。 
  「これ、待てと言うておろうに。」 
  本当に立ち去ろうとするので、左慈は慌てて劉備を引き留めた。 
  「何だよ。あんたが左慈っていう仙人様なんだろ。分かったよ。」 
  「それを言いたかったのではない。全く何を聞いておるんじゃ。」 
  「あん。あー、おいらに人の何だかがあるってんだろ。」 
  「そうじゃ。それを今から覚醒させてやる。」 
  「いらない。じゃあな。」 
  劉備は左慈の話など気にもしていないという格好で、そそくさと墓地を出た。 
  「こら、いらないとはどういう事じゃ。まだ、信用してないのか。」 
  墓地から出ると目の前に、又、先の老人、左慈が立っている。 
  「しつこいな。あんたが仙人てことは疑ってないよ。」 
  それはそうだろう。まともな人間の足で息も切らさず、劉備を先回りすることなどできない。 
  「では、どうして。」 
  「おいらは、たった今、墓前で誓ったばっかりなんだよ。体に流れる皇族の血と劉の姓だけで天下に出るってな。
 そんな人から授かる力なんか必要ねぇんだよ。」 
  「授けるのではない。元々お主の中に眠っておるのじゃ。しかも、その力を得れば天下に出るだけではない、天下
 を握ることも可能なのじゃぞ。」 
  「ふーん。じゃあ、尚更いらねぇな。」 
  「な、何故じゃ。」 
  先程からの劉備の反応は、仙道を極め、数百年と生きてきた左慈も出会ったことがない。今まで左慈が会った男達
 は、彼らの方から求め、その中で人物と見込んだ者だけに手助けをしてきた。実は、かの高祖・劉邦(りゅうほう)や
 光武帝・劉秀(りゅうしゅう)も左慈が力を授けてきた人物達であった。 
  平素はこれほど取り乱すことはないのだが、今は、昔、人として生きていた頃のように興奮する自分を左慈は感じ
 た。 
  「天下は自分の力で取る。これから、世に出で覇を競おうとする男達に悪いだろ。そんな狡(ずる)しちゃよ。それ
 によ。そんな力が眠ってるんなら、自分でモノにしてみせるよ。」
  「なるほどの。いや、分かった。しかし、益々、お主の力になりたくなったの。」 
  「ふっ、ありがとよ。面白い話が聞けて楽しかった。じゃあな。」 
  立ち去る劉備を左慈は、もう追うことはしなかった。 
  「そう、心配せんでも、あの者は、ある人物との出会いにより導かれるよ。」 
  「まあ、二十年後の話じゃがの。」 
  いつの間にか、左慈の後ろに二つの人影が現れていた。南華老仙と李意其である。 
  「そうじゃが、うーむ。高祖を越えるか、それともただの大馬鹿か。」 
  「楽しみな人物ではありますな。」 
  三人は慈しむように劉備の後ろ姿を見送った。 
  「ほっほっほっ。では、我々も姿を消しますか。」 
  南華老仙の言葉に二人は頷くと、三人揃って姿を消した。近くを歩いていた野良犬が吠えたてたが、左慈達の笑い
 声が響き、驚いて逃げ出した。 
  その様子が余程可笑しかったのか、更に笑い声が響いたが、近くを通った村人は気味悪がり暫く墓地には人が寄り
 つかなくなった。 




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