四.海賊狩り 朝靄(あさもや)の中、水面に揺れる小舟が一艘、呉郡銭唐(せんとう)の海岸に浮かんでいた。そこには一人の青年 が乗っている。 顔、肩幅、腰とどれをとっても非常に大きい偉丈夫で、太い眉毛に精悍さを感じる。 名を孫堅文台(そんけんぶんだい)といい、かの有名な孫子の著者として知られる孫武(そんぶ)の末裔であった。 その孫堅が櫂(かい)を漕ぎながら、目指す先には、船首に龍神をあしらった飾りを付けている大きな船があった。 それは地元の漁師は勿論のこと、官兵ですら近付こうとしない海賊船であった。 孫堅はその海賊船に近付くと先に鉤型(かぎがた)の金具を付けた縄を振り回し、勢いが衝いたところで甲板へと投 げつけた。 上手い具合に縁(へり)に引っかかったようで、孫堅は縄を軽く扱(しごく)くと、器用に縄を伝って登っていく。 それを遠くから見つめる人間が四人いた。黄蓋公覆(こうがいこうふく)、韓当義公(かんとうぎこう)、程普徳謀 (ていふとくぼう)、祖茂大栄(そもたいえい)といい、孫堅を頭とした自衛団の仲間であった。 彼らは孫堅の提案で銭唐に屯(たむろ)する海賊を一掃するため、呉郡富春(ふしゅん)からこちらに赴(おもむ)いた のである。 そして、孫堅の指示により少し離れた茂みで待機していた。 「大丈夫なのか、一人で乗り込んで。」 「いつも、一人で無茶をなさるからな。見てるこっちは心配で心配で・・・」 韓当と祖茂が顔を寄せ合い、孫堅の安否を気遣った。 「おい、喋っていると合図を見失うぞ。」 二人の間に黄蓋が割って入り、注意を海賊船に向けるよう促した。二人は面目ないと、今度は目を皿のようにして、 何一つ見逃すまいぞと海賊船を見入っている。 黄蓋は、こんな二人にやれやれと苦笑いをした。その後、自分も視線を海賊船に戻し、隣の程普に様子を確認した。 「徳謀、様子はどうだ。」 「気付かれたようだが。まだ、合図はない。」 「そうか。」 黄蓋はそう言うと、目を凝らして海賊船を見るが、ここからでは中の様子は伺い知ることは出来なかった。 一方、その頃孫堅は、甲板の上で海賊どもに囲まれた状況であった。孫堅の足下には二、三人の男が呻(うめ)きな がら倒れている。恐らく見張りで、最初に孫堅を見付けた海賊達だろう。 時が経つに連れて、海賊達の囲みは厚くなり、今は、もう全員が甲板の上に立っていると思われる。 「集まったな。これで全部か?」 数十人の海賊を前にしても怖じた様子もないこの男を海賊の長は図りかねる。 「てめぇ、何者だ。」 「はっはっはっ。恥ずかしいので勘弁してくれ。あんたが長かい?」 「ああ、そうだ。」 孫堅はその返事を聞くな否や、刹那(せつな)の動きで海賊の長の首を刎(は)ねた。 一瞬、海賊達は何が起こったのか理解できなかった。と、いうよりこの光景が信じられなかった。 誰もが恐れて近付きもしないこの海賊の船に、たった一人で乗り込んだ青年に自分達の頭の首が一刀のもとに刎ね られたなどとは・・・ 間髪入れずに孫堅が吼えた。 「てめぇら、一気に滅ぼすからな。」 そう言うと孫堅は、下に横たわる男を担ぎ上げ、海面に投げつける。ドボンという大きな音と水しぶきが立ち上が った。 それが黄蓋達に送った合図で、それを受けた四人は作戦通り朝露に隠れ、銅鑼(どら)を鳴らし鬨(とき)の声を上げ た。 「官兵だ。官兵が来た。」 孫堅の咆吼(ほうこう)に飲まれた海賊は、冷静な判断が出来なくなり、誰知らず一人がそう叫ぶと完全に浮き足立 ち、次々と海の中に逃げ込んで行く。 逃げる海賊を孫堅は二、三人斬り付ける真似をして追い立て、更に混乱を増やす。 そうして、半刻も経つ頃には銭唐の海から、海賊の影一つなくなった。 船上では、孫堅の笑い声がこだまする。 黄蓋達が海賊船に乗り込むと孫堅は朝日を背に出迎えた。 「うまくいったな。」 「はい。しかし、一人で乗り込むなど無茶はよして下さい。」 満悦顔の孫堅に黄蓋は苦言を呈したが、当の本人は気にもとめていないようだ。黄蓋もいつものことなので、それ 以上は何も言わなかった。 「おーい。奥に食糧と宝もあるみたいだぞ。それが、結構な量だぞ。」 やって来たのは祖茂であった。 「騒ぐな。子供でもあるまいし。しかし、どうしますか。」 「んー、そうだな。近くの村長を集めて、被害状況を確認しそれに見合った分配をしろ。義公頼む。」 「はっ。」 韓当は、返事とともに孫堅に一礼し、颯爽(さっそう)と船を下りていった。 孫堅は、朝日を向いてのびをし、首を軽く横に振ると、 「よし、一件落着か。富春に戻ろう。」と、欠伸混じりに言った。 「そうですね。」 近くの黄蓋が頷き、孫堅を先導し船を下りる。 「おい、徳謀の奴はどこ行った?」 孫堅は、船を下りると程普の姿が見当たらないのを黄蓋に尋ねた。黄蓋は、そう言えば見当たらないと首を振るば かりであったが、その答えを祖茂が知っていた。 「ああ、先、あいつが放っていた間者がやって来て。あ、いましたぜ。」 祖茂の指さす方向を見ると確かに程普が何者かと話している。話の区切りがついたのか、程普は孫堅に気付くと早 速、三人の前にやって来た。 「おお、どうした。徳謀。」 「急報です。呉郡の隣、会稽(かいけい)郡で許昌(きょしょう)という者が陽明皇帝を僭称し、反乱を起こしたそう です。その数はおよそ一万。」 「なるほど。世も末だな。こういった馬鹿が後を絶たない。徳謀、ひとっ走り先に帰って、人数を集めててくれ。」 「はい。解りました。」 程普が馬に跨り、孫堅の前を辞すと黄蓋が心配そうな表情を向ける。 「今からでは、集まっても一千がやっとと思われます。」 「いや、五百も集まればいい方だろう。」 一万に対して五百。絶望的な数字の差である。 「そんな顔をするな。官軍を待ってる間に、許昌の軍は膨れてしまう。そうなると罪もない民、百姓の被害は大き くなる。叩くのは早い方がいい。」 「勿論そうですが・・・。これだけは言っておきます。くれぐれも無茶はなさらないで下さい。」 「はっはっはっ。分かった、分かった。しかし、今回はそうも言ってられなぞ。お前にもそれなりのことをして貰 うだろう。」 孫堅は、そう言い愛馬に跨ると鞭を打ち、黄蓋と祖茂を置き去りにする。 「孫堅様、お待ち下さい。」 「何をしている。おいて行くぞ。はっはっはっ。」 孫堅の愛馬は瞬く間に銭唐の野を駆けていった。 「全く、大変な戦だというのに、まるで遊びか狩りに出られるような落ち着きよう。この黄蓋の小さな肝では考え られん。」 「いや、いや。俺達はそんな孫堅様を信じていくだけさ。」 「まあ、そうだ。いつものようにな。」 「おーい、公覆、大栄。早くしろ。兵は神速を尊ぶだぞ。はっはっはっ。」 確かに黄蓋の言うように、孫堅は今回の戦など道端の小石をつまむ程度と考えている。又、それぐらいでなければ、 こらから三十年以上は続くであろう乱世を生き抜いてはいけない。 孫堅の目に映っているのは、目先の戦ではなく、三十年後に天下の覇権を争っている自分の姿であった。 そして、孫堅は有言実行をする。瞬く間に許昌の乱を鎮め、その功で徐州下ひの県令に任じられる。 天下取りを挑む男、孫堅はどのような苦難が立ちはだかろうと闊達(かったつ)に笑うだけであった。