二.出会い 天下の往来、しかも橋のど真ん中で堂々と眠る男がいた。 日はもう燦々(さんさん)と照っており、旅の商人や通行人はこの男に不審な視線を投げかけながら、避けるように 橋を通っていった。 すると運悪くそこに、一目見ただけでそれと分かる無頼漢の集団が現れる。 当然、橋を通るにはこの男が邪魔である。先頭を歩いていた男が寝ている男を怒鳴った。 「やい、てめぇ、そこを退(ど)きやがれ。」 「ん?」 怒鳴られた男は、面倒くさそうに顔を一度上げると、又、目を閉じて鼾(いびき)をかき始めた。 完全に馬鹿にさ れたと思い、この集団はいきり立った。 周りにいた商人、通行人は、これから起こるであろう立ち回りに蜘蛛(くも)の子を散らすように逃げ、遠巻きに傍 観している。 「てめぇ、いい加減にしやがれ。」 そう言うなり、最初に怒鳴った男が寝ている男の頭を蹴った。これには、さすがに寝ていた男も目を覚まし、もそ っと起き出した。 男が起きて立ち上がると無頼漢の集団は二、三歩後ずさった。 その男は鬣(たてがみ)のような虎髭(とらひげ)がささくれ立っており、その身の丈は八尺はあろうかという大男だ ったからだ。しかも手には一丈八尺ほどの鋼矛を携(たずさ)えている。 その男の炬眼(きょがん)が欄(らん)と光り、目の前の男達を一喝した。 「てめぇらの方がいい加減にしやがれ。山賊なら山賊らしく、夜こそこそ現れるならまだ可愛いげがあるが、白昼、 堂々と現れるたぁ、どういう了見だ。」 正に虎のような咆吼(ほうこう)であった。 無頼漢の中には既に戦意が喪失している者もいたが、周りの野次馬の手前、引き下がるわけにはいかなかった。 「うるせい、俺達は山賊なんかじゃねぇし、この人数を相手にやろうってのか。」 確かに十数人の集団である。まともに考えれば、無頼漢達に分があった。 しかし、虎髭の男は歯牙にもかけていない様子でにじり寄って行った。 「待てぇ。」 虎髭の男が気合い一閃、鋼矛を振りかざそうとしたその時、遠方から声がかかった。 虎髭の男が声の主を探すと人垣を掻き分けて一人の男が現れる。 その男の風貌は朱顔で鷹のような切れ長の目に二尺ほどの見事な長ぜんがなびいている。虎髭の男と比較しても、 遜色のない偉丈夫であった。 「関兄。」 忽(たちま)ち無頼漢どもはこの男の元に集まっていった。 「そこの男、私の身内に何か?」 「ふん、山賊なら山、海賊なら海で大人しくしていろと言ったのよ。」 この言葉に長ぜんの男の目つきが変わった。 「その言葉、許さんぞ。我々は義侠に生きる青龍団だ。それを賊呼ばわりとは。」 「吼えるだけ吼えておれ。」 虎髭の男は、自慢の鋼矛を振りかざし長ぜんの男の首を祓(はら)おうとした。 しかし、それを長ぜんの男は手にしていた青龍偃月刀で受け止めた。 「ほう。」 この火花が散るような立ち合いにどちらかの口とは問わず、感嘆の声が洩れた。 「なかなかの腕前、一応名前を聞いておこうか。」 「俺は燕人、張飛益徳(ちょうひえきとく)様よ。貴様は?」 勢いよく答えたのは鋼矛を風車のように振り回す虎髭の男の方であった。 「私は河東郡解良県の関羽雲長(かんううんちょう)だ。」 「貴様が関羽か。名前は聞いたことがあるぞ。」 張飛は、そう怒鳴りながら今まで振り回していた鋼矛での攻撃を突きに変えた。 一方、関羽はそれを余裕で躱(かわ)す。 「ほう、それはありがたいが張飛など。聞いたことがないな。」 「ふん、まだ、武者修行の途中だが貴様を倒して、名を上げてやる。」 「張飛よ、私を倒すというのであればこの七十斤の偃月刀の一撃を見事受け止めてみよ。」 今まで防戦に回っていた関羽が初めて攻撃に出た。しかも大地をも砕かんという一撃だ。周りの野次馬は張飛の頭 が砕かれるのを想像して一斉に目を閉じた。しかし、聞こえたのは頭が割れる音ではなく。乾いた金属音であった。 「お見事。」 関羽は素直に相手の技量を褒めた。 「この余裕を見せやがって。」 張飛は頭に血が上れば上るほど、鋼矛が冴えるようだ。さしもの関羽も段々余裕がなくなってきた。 しかし、どちらに軍配が上がるでもなく、二人の戦いは五十合を数えても決着がつかない。周りにいた野次馬もど んどん増えだし、近くの酒屋の親父などはこの人だかりの中で酒を振る舞う商売まで始める始末であった。 そこに一頭の馬に美女二人を乗せ、手綱を引くボロを纏(まと)った男が通りかかる。たく郡楼桑村の劉備と徐州糜 家の姉妹であった。 「劉備様、何でしょうあの人だかりは?」 「さあね、大道芸にしては盛り上がり過ぎだな。」 「大道芸?」 そう目を輝かせたのは妹の方であった。 「少しでいいので見ていきませんか。」 「これ、無理を言うものではありません。」 姉は妹を窘(たしな)めたが、自分自身も見てみたいという響きが感じ取れた。 劉備は笑顔を二人に向けると、 「じゃ、少し見ていくか。但し、見物料を取られない程度でね。」と、言った。 「やった!」 「あ、これ。」 妹は劉備の手に捕まると素早く馬から下りて、人垣の中に入って行った。 「すいません。何分お転婆なもので。」 「あれぐらい元気があった方がいいんじゃねぇの。」 劉備はそう言うと姉の方に手を差し出し、馬上から下ろした。 「劉備様は元気な娘の方がお好きですか?」 「は?」 「いえ、何でもありません。」 劉備は惚(とぼ)けたように笑うと、大きな声で、 「さあ、盛り上がりは最高潮のようだ。おいら達も行こうよ。」と、姉を促した。 劉備達が人垣の中に入って、飛び込んできた光景は二人の壮漢の仕合いであった。 大道芸ではなかったが、そんなものを超越した美しさがあると劉備は思った。 「怖い。」 姉の方には多少、刺激が強過ぎるのか劉備の陰に隠れてきたが、劉備はこの二人の戦いにますます見入っていっ た。 更に数十合撃ち合いが続く中、劉備は、 「竜と虎はどっちが強ぇんだ。」と、思わず呟(つぶや)いた。 「どちらも強いのですから、戦う必要はないと思います。」 劉備の独り言に姉は真面目に答える。続けて、 「いっそのこと、仲良く一緒に戦えば、その方が最も強いのではありませんか。」と、言った。 何気なく、そのことを聞いていた劉備はハッとする。 「そうだ。確かに二人が手を組めば最強じゃねぇか。」 劉備は振り返ると姉の肩を揺すって喜んだ。そして、無造作に二人の戦いの中に入っていく。 周りの野次馬は、又、酔狂な男が現れたと喝采を送るが、姉と姉の元へと戻ってきた妹、徐州は糜家の姉妹は不 安な目で劉備の後ろ姿を見送った。 「おい、そこの二人、それぞれ武器を収めろ。」 「何だ、てめぇは。」 関羽の子分が劉備の胸ぐらを掴んだ。劉備はそれを軽く払いのけるとお構いなしに二人に近付いて行く。 「もう一度言うぞ。武器を収めろ。」 関羽と張飛はこの分けの分からぬ男が近付いてくることに気付いていたが、無視をして戦いを続ける。 「そうかい、そうかい。じゃあ、実力行使に出るしかねぇな。」 「実力行使だぁ。馬鹿じゃねぇのか、こいつ。」 二人の中に割って入ろうとする劉備を止めようとする関羽の子分が嘲笑した。 「おい、笑えねぇ冗談は、いい加減にやめろよ。」 別の子分が後ろから劉備の肩を掴もうとするが、一瞬の差で遅れた。劉備が二人の間に飛び込んだのだ。 それは折しも二人ともそれぞれの武器を振りかぶり、渾身の一撃を喰らわせようとする時であった。 「馬鹿。」 関羽の子分達が一斉に叫ぶ。糜家の姉妹などは見てられなく二人で肩寄せ合い目を瞑(つむ)った。 「痛ってぇ。」 劉備の叫び声が聞こえ、妹の方はショックで気絶してしまった。姉の方は何とか堪えた様子で恐る恐る劉備の方 に目を向ける。 そこには踞(うずくま)る劉備の姿があった。 「劉備様!」 姉は思わず大声で叫んだ。目が涙で霞んで劉備の姿が見えなくなってきた。 「劉備様。」 もう一度叫ぶと、劉備の身体の変化に気付いた。輪郭がぼやけているせいかもしれないが、劉備の身体が小刻み に震えているように見える。 その後、声も変化する。よく聞くとどうやら笑っているようだ。 そして、劉備が立ち上がるのを見ると人波を掻き分けて劉備の元へと走り出した。 「ああ、痺(しび)れた。」 どうやら、劉備は二人の一撃を二本の剣で受け止めたようだ。しかし、さすがに完全に勢いを殺すことは出来ず、 剣を弾かれ手が痺れたようであった。 「無茶をする。」 最初にそう声をかけたのは関羽であった。張飛の方もこの男の登場で完全に毒気を奪われた様子だが、今度は標 的を劉備に変えたようにもとれる。 「無茶をしなきゃ、竜虎の戦いは止められねぇだろ。」 「何故、縁も所縁(ゆかり)もない貴公が我らの戦いを止める。」 「そうだ。この野郎。貴様から叩き斬るぞ。」 張飛は鋼矛の先を劉備に向けて、怒鳴り散らした。一方、関羽の方も返答次第では考えるといった素振りを見せ ている。 「劉備様、御両人に謝って、ここは立ち去りましょう。」 劉備の後ろに隠れている糜家の長女は、不穏(ふおん)な空気に劉備の衣服を引っ張りながら、そう薦めた。が、 劉備は臆することなく、両人の前に進み出る。 「馬鹿野郎、てめぇら、よく考えて行動しやがれってんだ。」 「何だと。」 劉備の言葉に張飛はいきり立つが、それを関羽が制した。 「まあ、待て。まずはこの男の言い分を聞こうではないか。それからでも遅くはない。」 関羽はそう言うと子分達に目配せをし、両方の通路を封じた。これで、劉備に逃げ道はなくなったことになる。 「よく考えろとは、どういった意味かな。」 「へへっ、用意周到だね。ま、いいや。その前に、まずおいらの名前を名乗らせてくれ。おいらは中山靖王 (せいおう)劉勝が後胤(こういん)、たく郡楼桑村の劉備玄徳だ。」 これは全くのはったりであった。しかし、劉勝と言えば沢山の庶子をもうけたことで有名な皇族である。その中 に一人ぐらい落ちぶれて、こんな田舎町にいてもおかしくないと思えただろう。 それについ先日、皇族との血縁があることを聞かされたので、劉備はまるっきり嘘を言っているつもりはなかっ た。 この言葉は効果覿面(てきめん)で、周りの野次馬からは、おおっという感嘆の声が洩れたし、張飛も少しは劉備 の言葉に聞く耳を持ったようだ。ただ、関羽だけは顔色変えず、劉備の顔をジッと見ていた。 「ほんでいよいよ本題だね。おいらが考えろって言ったのは、今の御時世(ごじせい)のことさ。おいら、洛陽か らこっちに帰って来たんだけど。花の都は流石に煌(きら)びやかで活気に溢れてた。でもな、その洛陽を一歩外に 出るとどうだい。飢饉に大地震、天変地異。それに山賊やら盗賊やらがのさばっている。一体、そんなこの世の中 をどう思ってるかって言ってんだよ。」 「むむ。」 関羽は劉備の話術に引き込まれていくことを感じながら、敢えてそのまま身を委(ゆだ)ねてみようという気にな った。張飛の方は、今までそんなこと考えてもいなかったのか、呆然と劉備の話を聞いている。 「誰かが世の中を変えなきゃいきけねぇんじゃねぇのかい。じゃあ、誰だ、そいつは。天子様か?駄目だ。今の 天子様は十常侍(じゅうじょうじ)に良いように操られてるって話だ。それじゃあ、その十常侍か?あいつらも駄目 だ。自分達の権力のことしか考えてねぇ。本当に一体、誰が世の中、変えるってんだよ。」 劉備の言葉に、いつの間にか先程まで騒いでいた野次馬も魅せられ、誰一人声も咳(しわぶき)も出さず、劉備の 一挙手一投足に注目している。 「世の中見渡してみろ。頼れる奴が誰もいねぇじゃねぇか。どうすんだよ。このまま漢帝国が風化していくのを 黙って見てるってのか。おいらは、そんなこと認めねぇし、指くわえて見てるつもりもねぇ。だから、立ち上がる んだよ。おいら達が!」 劉備がそう言い、高々と拳を突き上げると野次馬達や関羽の子分達も一緒になって拳を突き上げる。張飛までも 感化され、同様に鋼矛を天高く突き上げた。 「貴公の御高説は大変ためになった。又、民衆をこれだけ引き寄せる貴公ならば、ある程度のことも成し遂げよ う。しかし、今回、この関羽とそこの張飛の一騎打ちを止めた理由については何一つ聞いていないように思えるの だが。」 沸き立つ周りをよそに一人だけ冷静に見ていた関羽は、劉備の前まで進み出た。張飛もハッとして、突き上げた 鋼矛を引っ込める。 「ああ、そうだったね。おいら二人の戦いを見ていた時、この二人のどちらか勝った方と手を組めば、今の腐敗 した世の中を変えられるんじゃないかとワクワクしてたのさ。でも、途中で考えが変わっちまった。勿体ねぇって 思ったのさ。あのままいけば、どちらかが倒れるか、最悪相打ちってこともないとは限らねぇ。」 「俺様が負けるわけねぇじゃないか。でも、目の付け所は悪くねぇな。」 張飛、一人が満悦顔でそう言った。関羽の方は唸(うな)るだけであった。 「関羽、張飛、最後まで言わせんな。おいらと一緒に世の中ひっくり返そうぜ。この広大な大陸に平穏な日々を 取り戻すんだよ。」 劉備は二人の前に手を差し出した。張飛は一瞬手を出しかけたが、関羽の動向を伺って手を引っ込めてしまった。 「劉備とやら、本当に我らでそんなことが出来るのか?可能なのか?」 「ああ、出来る。おいら達三人が手を組めば。こんな私闘で削る命があるのなら、おいらに預けろ。その体内 (からだ)の熱い血全てを世の中にぶつけようぜ。どうだ、応か?否か?」 「応だ。」 まず、答えたのは張飛であった。張飛は強く劉備の手を握りしめた。 「関羽よ。ここまで言われて応えなければ、漢(おとこ)ではないぞ。」 「誰が、否と言った。劉備、いや劉備殿。この関羽も供に立ち上がろうではないか。」 三人が掌(てのひら)を重ね合っている。周りからは喝采の拍手が巻き起こった。 「よっしゃ。今日は吉日のようだ。」 劉備は満面の笑みを浮かべて喜んだ。 「そのようだが、劉備殿、一つ提案があるのだが。」 「おいおい、堅苦しいことは言うなよ。」 「いや、そうではない。今日我ら三名は、一生の出会いをしたと思っている。しかし、事を急(せ)いては仕損じ ることもあろう。そこで、どうだ。一度、それぞれの郷里に戻り自分を見つめ直し、成すべきことを考えてから、 もう一度集まろうではないか。」 関羽のこの提案に劉備は一瞬、迷ったが結論は直ぐに出た。 「ん、それも良しか。おいらはこのお嬢さん達を運ぶっていう仕事もあるしね。」 「二人がそう言うのであれば従おう。この滾(たぎ)る血潮は何年経っても冷めることはねぇだろうしな。」 「では、再会の期日を決めましょう。」 「丁度、この村の外れに桃林がある。その桃の花が満開になる頃にしようぜ。」 張飛の意見を二人は受け入れた。 「それじゃ、村外れの桃園にて、一年後、花香る陽春の季節に再会ってことにしよう。」 「よし。」 関羽と張飛は供に一礼、互いの非礼を詫び、劉備にも一礼するとそのまま去っていった。 「劉備様、良かったですね。」 「ああ、これから世の中は大きな戦乱の波に覆われる。しかし、あの二人がいれば。」 劉備は遠くを見つめ、そう呟いた。 その目は厳しく、表情は穏やかだが固い決意が感じられた。