一.皇帝になる男 幽州の州境を二騎の騎馬が走る。都、洛陽からの帰り道、陽も沈みかけようとしていた。 一騎は艶(あで)やかな色調の旅服を着こなし、一方は継ぎ接(は)ぎだらけの旅服を着ていた。 州境を越えると二騎とも手綱を弛(ゆる)める。 そして、二騎は横に並んでいた間隔を詰めた。 「伯珪(はくけい)殿、じゃあ、おいらは、たく郡に戻るから、ここら辺で。」 話しかけたのは継ぎ接(は)ぎを着た男の方で、着ているものこそボロであったが、その中身には底知れぬ風格を漂 (ただよ)わせている。 眉目秀麗(びもくしゅうれい)と言っても良いが何より大きな耳が特徴的だった。姓は劉(りゅう)、名は備(び)、字 (あざな)を玄徳(げんとく)といい、今年、齢(よわい)十六を数えた。 「うむ。玄徳、達者でな。」 一方の男は気品漂わせる出で立ちである。それもその筈で、今回、北平太守の娘との婚儀が決まっているほどの人 物であった。姓は公孫(こうそん)、名はさん、字を伯珪といった。 この二人は、洛陽付近、こう氏県の山中で私塾を開いている廬植(ろしょく)の元で同じく教えを受けた学友である。 出来の方は、公孫さんの方がよく、劉備は勉学よりも遊行に勤(いそ)しむことの方が多かった。 それでいて、一応、廬植の講義についてこれるのだから頭は悪くないようだ。 劉備と公孫さんは二つの分かれ道で、それぞれの故郷へと戻った。 最後、別れ際に兄貴分を自認する公孫さんは劉備の手を取り、困ったことがあればいつでも北平に来いと告げて去 って行く。 この縁が劉備に大きな躍進をもたらすこととなるが、それはまだ先のことである。 公孫さんと別れた後、劉備は小高くなった丘に登り、馬から下りた。 目の前には、沈みかけ膨張したように見える大きな太陽があった。 正に悠久雄大(ゆうきゅうゆうだい)な眺めである。 劉備はこの展望に何か内の底から噴き出してくるような熱いものを感じた。そして、幼かった頃よく聞かされた言 葉を思い出す。 『お前は皇帝なるために生まれてきた男だ。』 これは、初め親族の劉元起(りゅうげんき)が酒の席で言った言葉で、劉備自身もそのことをすんなり受け入れるこ とが出来た。そして、何時(いつ)しか生まれ故郷である楼桑村(ろうそうそん)では村人が口々にそう言うようになり、 最初に言い出した劉元起の援助で廬植の教えを受けることとなったのだ。 劉備は暫(しばら)くその景色を眺めていたが、思い出したように馬に乗り帰路に戻った。 楼桑村までの道のりはまだ長い。どこかで一晩宿を求めなければならない。 しかし、着ている服装から分かるように、あまり懐具合は良くないのでまともな宿など取れようもなく、野宿か運 が良ければ宿の軒下もしくは寺院に泊めさせて貰うしかないのである。 特に最近は野党の出没が著しく、治安は良くない。できれば野宿を避けたい劉備としては、早く今日の宿を探す必 要があったのだ。 一時(ひととき)ほどであろうか、馬を進めていると先に灯りが見える。辺りは、もう夜の闇に包まれていたので、 その灯りは一際目立った。 劉備は馬を急がせ、その灯りの元へと向かった。 そこは寺であり、灯りがあるということは人もいるということである。 この幸運に喜び劉備は、一晩の宿と良ければ水の一杯でも頂こうと、早速、中に入っていった。 しかし、一歩、中に足を踏み入れるとそこには想像もしていない世界があった。 山賊と思(おぼ)しき男達が境内で酒を酌み交わしている。中には近くの村からさらわれたのであろうか、若い娘が 一人、酒の酌をさせられていた。 よく見るとその奥に和尚と酌をさせられていた娘よりも更に若い娘が猿轡(さるぐつわ)され縄に縛られていた。 寺の陰からこの光景を見付けた劉備は、その場に身を潜(ひそ)める。 劉備自身は、山賊達に見付かっているわけではないので、この場を黙って立ち去れば事なきを得るのだが、それが 出来る性格ではなかった。 劉備は両腰の剣に手を当て、呼吸を整える。相手は三人、虚をつけば何とかなると算段し、勇気一躍、彼らの前に 躍り出た。 劉備の持つ二つの剣は、まず、一番手前に座っていた男の利き腕を斬り落とし、その隣に座っていた男を背中から 袈裟懸(けさが)けに斬った。 遅れて、娘の悲鳴がこだまする。相手の態勢が整う前にここまでやれたのは上出来だった。 「てめぇ、何しやがる。」 そう叫んだのは、一番端に座り外傷のない男であった。 「その言葉をお前達が襲った村人に変わって、お前に返してやるよ。」 「何だと。」 劉備の返し言葉に激怒した男は、更に罵声を浴びせたが、劉備はお構いなしに先程、腕を斬り落とした男の首を刎 ねた。 山賊の罵声はただの囮(おとり)で、意識を自分に向けさそうとした作戦だったようだが、劉備は落ち着き、背後か ら襲ってきた男にとどめを刺したのである。 「くそっ。」 男は地団駄踏んだが後の祭りであった。 「おいらは別に正義の使者を気取るわけじゃないし、こんなの見なきゃ、どってことなかったんだが、見ちまった 以上ほっとけないんでね。」 「ふん、それで命を落としてちゃ、世話ねぇな。」 二人は剣先を互いに向け合い、ある程度の距離を保ちつつ対峙する。 ここまでは、劉備の考え通りうまくいった。しかし、最後の一人は剣の技量で倒さなければならない。 ここにきて、喉の奥が乾き緊張感が漲(みなぎ)る。 先に動いたのは山賊の方だった。乾坤一擲(けんこんいってき)の一撃を劉備の頭上に喰らわせる。それをギリギリ で躱(かわ)すと劉備は相手の足を払った。 山賊の男は前につんのめった形になり、劉備に背中を向けた。 この時とばかりに劉備は背後を襲う。しかし、その時、足下で呻(うめ)いていた袈裟懸けに斬られた男が、劉備の 足首をつかむ。 反射的にその手を斬り払ったが、今度は劉備が態勢を崩して倒れてしまった。 それを見た山賊の男は下卑(げび)た笑いを残しつつ、劉備を突き刺そうと刃(やいば)を立てる。 最初の一撃は横に転がり躱(かわ)した劉備だったが、二撃目は頬を掠(かす)める。 劉備絶体絶命と思った時、山賊の男の表情が歪んだ。男の足下に割れた瓶が落ちる。 酌をしていた娘が手にしていた酒瓶を投げつけたようだ。 劉備は素早く立ち上がると今度こそはと山賊の男の体を二本の剣で貫いた。剣を抜くと苦悶(くもん)の声とともに 男が崩れ落ちる。 劉備は剣に付いた血を払うと鞘に収め、腰を落として座り込んでいる娘に手を差し出した。 「助かったよ。ありがとう。」 「いえ、私、つい夢中で・・・・」 まだ、若干の動揺があるのか娘の言葉はしどろもどろであった。 劉備は笑みを浮かべて頷くと娘を立たせてその衣服に付いた埃を払った。埃を払うと案外着ているものが上等であ ることが分かり、村娘というよりはどこかの県令、もしくは大地主の子女と予想できる。 娘がまた何かを話しかけようとするが劉備はそれを制し、後ろを指さした。和尚達の縄を解いてからといった意味 であった。 すると思い出したように娘は年下の娘の所に駆け寄った。どうやら、この二人は姉妹のようだ。 劉備が和尚達の縄を解き、一段落した所で事のあらましが説明された。 この美人姉妹は徐州は東海郡の富豪、糜家の息女で幽州の知人でこちらも大商人で知られる張世平(ちょうせいへい) に会いに行く途中だったそうだ。 ところがその使いの途中で運悪く、先程の山賊達に見付かってしまい、供の者は皆殺されこの寺まで連れてこられ たそうだ。 しかし、疑問だったのは大富豪の娘を使いに出すのに僅(わずか)か三人の賊に殺(や)られる程度の供しか付けない のかということであったが、あの山賊達には、まだ、仲間が大勢おり、今は付近の村に食料を略奪に行っているとい うことを聞いて劉備は納得した。 それならば、何時その仲間が戻ってくるとも限らない。劉備は急いで娘達を連れてこの寺を出ることにした。 その時、和尚も誘うが首を横に振り拒んだ。劉備もあまりしつこく誘わず和尚に一礼をした。劉備が今まで乗って いた馬に娘二人を乗せ、自分はその手綱を掴み、和尚に別れを告げる。 和尚が礼を返し、頭を下げた時、劉備の両腰の剣に目を奪われた。 「もしや、その剣は雌雄一対の剣では。」 「ああ、先祖代々伝わっている剣らしい。古い剣だけど切れ味は落ちてはいないようだ。」 「もう少しよく見せて下さらんか。」 和尚の言葉に劉備は、無造作に腰から剣を取り手渡した。和尚は剣を手に取ると頻(しき)りに唸っている。 「その剣が何か?」 「この剣は皇室に連(つら)なる者しか持てない剣です。失礼じゃが、貴殿のお名前と故郷は?」 「ん、おいら?おいらは幽州はたく郡楼桑村の劉備玄徳だ。」 和尚は、劉備の名を知り、やはり、という言葉とともに頷いた。 「楼桑村に人物ありと聞いたことがありましたが、貴殿のことでしたか。」 「さあ、もう一年近く村を離れてるから、今じゃ何といわれてるか。」 劉備は少し惚(とぼ)けた口調で、そう言うと和尚から自分の剣を受け取った。 「皇室に連なると言ったのに、少しも驚かれた様子がありませんが、既に御存知でしたか。」 「いや、今初めて聞いたけど、別に驚くことじゃない。だって、おいらは、皇帝になる男だから。」 劉備はその言葉を最後に和尚の元を離れ、馬の手綱を引き寺を出た。 和尚は、その後ろ姿を見送り、劉備が言った言葉も強(あなが)ち夢物語ではないように思えた。一瞬、劉備の頭の 上に皇帝の冠が見えたのである。 「いや、世の中は広い。あの鬼部尉(ぶい)の他にこれほどの人物がいようとは・・・・。」 和尚はポツリとそんな独り言を洩らすと一人寺の中へと入っていった。 残ったのは三つの死体と夜の静寂だけであった。