十.はい。 「おい、新入り。そこのバルブを閉めてくれ。」 「はい。」 元気良く返事を返した少年は、狭い隙間に体を埋めて手を伸ばしながら頭の上のバルブを閉めた。 「お前は、こっちだ。」 また、別の少年が呼ばれ、指示された場所に走る。 機関室の中を所狭しと走りまくる二人組はロキとテッパであった。 ポリーブにあの夜、二人は再び点検孔の隙間へと連れられた。そこで次の中継基地に着くまで潜伏しているよう指 示されたのである。 そして、中継基地に着いた際、ポリーブに補給部隊の新人として紹介されたのであった。 そのポリーブの意図は分からないが、とにかくロキの利害には一致している。ロキ達はそのまま境遇を受け入れた のである。 「おい、『マナナン』。」 年長の男が自分の前にいる少年に声を掛けたが、その少年の反応はない。不審に思い、もう一度声を掛けて、やっ と少年は気付いたようであった。 「あっ、はい。・・はい、何すか。」 「何だ。ぼっとするなよ。」 遅蒔(おそま)きに返事を返したのはロキであった。そう、ロキという名前では、ひょっとしたら軍事部の人間に見 付かってしまう恐れがあるので、ロキはマナナン。テッパは『シミカ』という偽名を使う事にしたのだ。 しかし、まだ不慣れのために呼ばれても直ぐに反応出来ないときがある。 ロキは『危ない、危ない』と心で繰り返す。早くこの名前に慣れ、そして、万が一、ロキと呼ばれても反応しない ようにしなければいけないのだ。 この点、自分よりテッパの方が順応性が早いのには驚いた。 この名前に変わって、まだ三日目であるのにテッパは完全に自分のものにしたようで、二人きりの時、誤ってロキ がテッパと呼び掛けたときも反応しないで静かな声で窘(たしな)められた事があった。 「・・はい。で、何すか。」 「いや、取り敢えず、上がりだ。昼食にするぞ。」 見やれば、いつの間にかテッパの姿もなく、周りにはこの年長者と自分しかいない事に気付いた。 「片付けは俺がやっておくから、先に食ってていいぞ。」 「有り難うございます。」 ロキは言葉に甘えて、先に機関室を出た。 この軍事船での食事は、下級兵士や機関士は大きなビュッフェと言えば聞こえがいいが、ようは立ったまま食事を する食堂でとる事になっている。 船内の地理に詳しくなったロキは、その食堂に向かって廊下を歩いていく。 が、その順調に動いていた足が止まってしまった。 目の前に一番会いたくない人物、ザンタとダマトアがいたためである。 この船の軍人でベルボットを除くと唯一、ロキと会った事がある人物達であった。 ベルボットはこの船の責任者であるので、滅多にというより確実に機関士見習いのロキと出会う事はないが、この 二人は別。軍人でありながら、その成績の悪さから、機関士の手伝いをさせられているので、ロキとはしょっちゅう 顔を合わせる事になる。 いつ二人に自分の正体がばれるか、冷や冷やものなのだ。 この危惧をポリーブに話したが、ポリーブは『あの二人の記憶力なら心配ない。もし気付くのなら、あいつらはも っと出世している。』と豪快に笑い飛ばした。 その言葉に半信半疑ながらも、実際に会ってみても気付かれなかったので胸を撫で下ろしたのだが、出来ればなる だけ会いたくない人物達なのである。 ロキは二人の脇をすり抜けるようにして、廊下の端を歩いた。 「おい、ちょっと待て。」 しかし、案の定、呼び止められてしまう。 「何かよう・・ですか」 「何かようですかじゃねぇ。用事があるから呼び止めたんだろうが。」 短気なダマトアが声を張る。ロキはばれたのかと思い、身を竦(すく)めた。 そのまま表情を強張(こわば)らせていると今度はザンタが話し掛けてきた。 「いや、そんな緊張しなくていいんだ。俺達はお前に聞きたい事があるだけなんだよ。」 取り敢えずは最悪の事態は免れているという事だろう。が、その後に続く台詞を聞くのが恐い。 「聞きたい事・・って。」 「お前、あの鬼とどういう関係だ?」 「鬼?」 大きな声で聞き返すと二人は慌てて、ロキの口に手を当てて塞(ふさ)いだ。どうやら、人に聞かれてはまずいらし い。 「馬鹿、大声を出すな。ポリーブの事だよ。ポリーブ。」 「ああ、機関士長の事。」 そう確かに鬼ポリーブと陰で言われている。その事をロキは思い出した。 しかし、そのポリーブとの関係を聞かれても、それはロキの秘密にも繋がるので言えるわけがない。 それにしてもポリーブにはリアとの関係を、そして、今度はそのポリーブとの関係を問われるとは・・何とも変な 気分であった。 「別に何もないけど・・どうして?」 「いや、あの鬼がだぞ。お前達が来てから、カミナリ一つ落とさねぇってのはおかしいじゃねぇか。」 「ああ、おかしい。」 ダマトアの意見にザンタが真顔で相槌(あいづち)を打つ。相手の真剣な表情にどう対処していいのか分からない。 が、自分に悪意がないのは伝わった。 「それはみんながちゃんと働いてるからじゃないかな。」 「はっはっは。そんな訳ねぇだろ。なぁ。」 「ああ。俺達二人がいる限り、そんな事はありえねぇよな。」 二人はそう言うと馬鹿笑いが廊下中にこだました。ロキもこの二人がポリーブの言う通り、噂に違わないと内心笑 いを噛み殺す。 「まあ、何にせよ。俺達にとっちゃいい環境って事だ。なあ、一緒に飯でも食おうぜ。」 何の事はない。ロキを待ち受けていたのは、一緒にご飯を誘うつもりだったようだ。 ロキとしては長い時間をともにしたい相手ではないのだが、無碍(むげ)に断るのも返って怪しまれるだろう。 警戒心はどうしても解く事は出来ないが、ロキは不肖のながらも二人の後を付いていく事にした。 食堂に着くと、その光景を目の当たりにしたテッパが、思わず食べていたパスタを吹き出しそうになりむせ返った。 ロキは二人に気付かれないようにテッパに騒ぐなとサインを送る。そうは言われても、やはり気になるのかテッパ はロキ達三人から目を離す事は出来なかった。 その不自然さに目ざとくザンタがテッパを同じテーブルに招き寄せた。 まさに地雷の密集地に足を踏み入れる感があったが、ここまで来ては腹を括るしかない。 二人はぎこちない笑顔と差し障りの会話を繰り返し、何とかこの会食を終わらせる事が出来た。 一旦、機関士達の休憩室の戻ったロキとテッパの二人は溜息を洩らした。 「ぜんぜん、食った気しない。」 「それは俺もだよ。」 「お前は先にちょっとは食べてたろ。」 「そうだけど・・・。」 どれだけ食べたか量はともかくとして、ただの食事だけで二人は今日一日分の精神力を費やしてしまったのであっ た。 「昼から動きたくねぇな」 「・・・そうは言ってられないけどね。」 「でもよ。テッパ。」 「・・だから、アニ・・・いや、マナナン。」 「ん?」 テッパが途中で呼び方を変えたのは部屋に人が入ってきたためであった。一瞬、疑問の声を上げたロキであったが、 直ぐに対応した。 「あれ、もう休み終わりですか?」 入ってきた男は、先程までロキと仕事をしていた年長の男であった。その男は頭を振ると手を合わせて、ロキに荷 物を運ぶのを手伝ってくれと頼むと部屋の片隅にある二つの段ボールを示した。 あまり、動きたい気分ではなかったが、ここではテッパとともに一番の下っ端である。 大声で「嫌だ。」とは言えず。出した返事はやはり、「いいですよ。」であった。 しかし、ロキには考えがあり、テッパの肩を笑顔で叩く。 「じゃあ、ほら。・・・えーと、シ・・・ミ・・・。」 「マナナン、気を付けてね。」 テッパに押しつけようとしていたのだが、名前の暗記力の差でロキは出し抜かれた格好になった。 押し出されたロキは軽く睨み付けたが、テッパにはどこ吹く風で、手なんか振り返している。 「頼むな。」 そんなロキの心情などお構いなしにその男は段ボール箱を一つ両手で持ち上げると、もう一個の段ボールを顎で示 し、「それだ。」と言った。 ロキは仕方なく、その荷物を持って部屋を出て行く。 「どこまで運ぶんですか?」 箱を持って二つ目の階段を登った所でロキが声をかけた。男は振り返る事なく、簡単な返事を返した。 「もう、少しだ。」 『ふーん。』と心中で頷きながら、そう言えばリアの部屋がこの近くにある事を思い出した。『まさかこんな所で、 ばったりなんて・・・』 流石にそんな偶然などなく、廊下でリアと会うというのは杞憂に終わった。 しかし、心配事は的中するもので廊下で会う事はなかったが、別の所で会う事になるのである。 男の足が止まり、ノックをしたのは何とリアの部屋だったのだ。 中から、「はい。」と、懐かしいと言っていいのか久しぶりに近くで聞くリアの声が聞こえ、そのドアはゆっくり と開かれていくのであった。