江戸暦─長月の行事 其の五



【神田祭】



 山王祭とともに将軍家上覧の「天下祭り」です。
 また、神田祭、山王祭、根津祭は江戸の三大祭りと呼ばれました。

 神田明神祭は丑、卯、巳、未、酉、亥年の九月十五日に行われます。(つまり隔年)
 本祭の翌年には「陰祭り」がありますが、軒提灯を吊るす程度のもので、俗に提灯祭と呼ばれます。

 大伝馬町から鶏の楽車(だし)、南伝馬町からは猿の楽車が出て、一番二番と渡ります。
 神田明神では大己貴命(おおなむちのみこと)と平親王将門の霊を祭神として祭っています。
 祭礼には氏地の町々から、俗に「出し印」と呼ばれる三十六本の楽車が出ます。
 桜馬場〜お茶の水〜湯島を経て各町を回ります。

 第一番は先にも述べた大伝馬町から出ますが、雨などで出せない場合には後日に順延しました。
 また、氏地を神幸して同日に帰社する神輿(みこし)二基は、町役人や若者達のほか、下谷、神田小川町などの諸侯から飾り馬や長柄槍の行列が出て警衛しました。

 祭礼では、神主が第一の神輿に大己貴命の神霊をうつし、第二の神輿には浅草時宗日輪寺から来た多数の僧が大般若経を転読して将門の霊を祭りました。


 この祭礼の起りは太田道灌が江戸に居留していた頃、疫病の鎮護のために神田明神で神事能を行ったことから始まります。
 これはかつて京都で疫病が流行したときに賀茂神社で神事能を行ったところ、疫病が治まったという事から来ていますが、江戸でも同じ様に治まったので、以後、毎年九月十五日に神事能を行ったとの事です。

 関ヶ原の合戦の折り(1600年)、徳川家は例年通り祭礼を行う事を許可したのですが、祭礼の最中の九月十五日に東軍の勝利となった事から吉事とされ、以降、徳川家代々断絶してはならないと家康公からの達しがあったそうです。

 以後、祭礼の神輿が巡行の際には吹上げの馬見所(俗に御上覧場と言う)で将軍家も拝礼しました。


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