江戸暦─文月の行事 其の壱
迎え火七月十三日、送り火十五日
真宗は魂祭の行事はしませんが、他の宗旨は武家、町家を問わず、魂棚を飾ります。
先祖代代の精霊や有縁の霊以外にも、無縁の霊までも供養する事は家のある人々の当然の努めでした。
身分の高い武家や節目の正しい町家では魂迎えをするために十三日の夕刻から各々の檀那寺へ行きます。
墓前に灯火をささげ、礼拝をして家の定紋のついた弓張提灯で道を照らしながら家まで迎えます。
これは今も行っている地方も多々あるのではないでしょうか。
実際、妻の実家でも十三日の夕刻に、近くの山中にある墓まで行き、小さな提灯を持ちながら案内してきます。
ちなみに私の実家ではお墓までは行きません。
ただ迎え火を灯すのみ。
一般の町家では主人が着流し羽織姿で家の者と一緒に玄関までお迎えをします。 その際に間口で焙烙の上に苧殻(おがら)を乗せて焚きます。
これを【迎え火】と言います。
私の実家はこちらの方ですね。
十六日の夕刻には【送り火】を焚きます。
迎え火から送り火までの間を俗に「盆中」と言います。
この間には多くの托鉢僧が来ました。
また、盆前には進物として『刺鯖』等の贈答があり、町家では麺類を贈りました。
いわゆる『お中元』の事ですね。
もともと中元の習慣は大陸から来たもので、正月十五日を『上元』、七月十五日を『中元』十月十五日を『下元』、合わせて三元として金品をささげて贖罪をする日とされていましたが、いつの間にやら『目上の人や縁故者、恩人等に贈り物をして日ごろのお礼心を表すと言う行事になりました。
従って、本式の『お中元』は旧暦七月十五日に贈るのがもっとも正しく伝統に則ったものと言えるんでしょうね。
我が家は良く素麺をお中元に贈りますが、町家と考えた場合これはまことに持って正しかったわけですね。(笑)
江戸では十五日の夕方から十六日にかけては「お迎えお迎え」と呼びながら、魂棚から取り去った供物を貰いに来る者がいます。
担った籠が一杯になると海岸へ持って行き、貰い物を分別して再利用しました。
多くは芝浦の海辺に集まったので、貰い物で大きな山が出来たそうです。
また、小さな船に乗せて川や海に流す習慣も各地に見られます。(精霊流し)
白土三平氏の劇画「カムイ伝」には、これらの供物を集めて漬け物を作り、大儲けをするエピソードがありました。
福神漬けの起源とされていましたが、まあ、これもひとつの説と言う事で。(笑)
盆提灯は、江戸では本来「白提灯」を下げましたが、文政の頃から様々な物が用いられるようになったようです。
現代では回り提灯等も多く用いられるようになり、ずいぶん華やかになりましたね。
また、盆提灯は七月の一日から晦日まで灯します。
【お願い】 各地方毎に様々な盆行事があります。
良かったら皆さんの地域の行事を教えてください。
現代に伝わる行事として掲載して行きたいと思います。
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