江戸暦─水無月の行事 其の六



【朝顔売り】



 江戸の人々は草木が大変好きで、季節季節の草木を楽しんでいました。
 現代では「ガーデニング」などと言って、園芸趣味を逆輸入した形になっていますが、もともと日本人は草木が非常に好きで、何時の時代にも貧富を問わず草木を愛でていました。

 江戸では、徳川家康、秀忠、家光の三代が実に花を好んだ事から広く庶民にまで広まって行きました。
 家康は「御花畑」を作って楽しんでいましたが、秀忠、家光は特に椿を好んだようです。 そのため、江戸府内には椿を植える家が増え、と同時に様々な品種改良も行われて行きました。
 その後、
○正保(1644〜48)、元禄(1688〜1704)  躑躅(つつじ)
○元禄(1688〜1704)〜享保(1716〜1736) 楓(かえで)
○享保(1716〜1736)〜寛政(1789〜1801) 菊
○寛政年間(1789〜1801) 橘
○文化年間(1804〜1818)  朝顔
○文政年間(1818〜1830)  万年青(おもと)、松葉欄
○弘化年間(1844〜1848)  花菖蒲
 と言う具合に時代時代で様々な植物が人気を博しました。
 朝顔は本来熱帯アジア原産で、奈良時代の末ごろ薬用植物として日本に入ってきました。
 その頃は青く小ぶりな花でしたが、江戸時代になって鑑賞用に栽培されるようになり、様々な品種改良がされて行って今のような物になりました。
 朝顔が流行になったのは文化三年に起きた丙寅の大火によって、下谷辺りに多くの空き地が出来て、そこに植木屋が盛んに朝顔を作った事が始まりです。
 もともと下谷御徒町の辺りは朝顔作りが盛んで、特に鉢栽培は徒組屋敷で始まったと言われています。
 これらの屋敷で販売も行う朝顔園を始めた事から大変な人出となり、朝顔屋敷とまで名づけられ、見物人が群がったとの事です。
 さて、朝顔売りですが、概ね五月半ばから八月前まで売り歩きます。
 土焼の小鉢仕立てで浅草辺りの古い溝泥(要するにドブ泥? 現代では考えられない事ですねえ。)を良く乾かしてから鉢に入れ、種を播きつけて花を咲かせました。
 紅、白、瑠璃、浅葱、柿色、縁とり(縁のあるもの)、しぼり等々、様々な花があり、朝顔栽培にかけては現代よりも進んでいたようです。
 朝顔売りは毎朝未明から売りに出て、昼頃には売り切ってしまったそうです。
 一度に担う鉢数は、大鉢で三十四・五、小鉢で六・七十ほどで、強肩の者はもっと担いだようです。
 売り値は客次第で、粋筋には高く売りましたが、売れ残らないように投げ売りもしましたので、庶民も気軽に買えました。

 朝顔と言えば小学校時代の「観察日記」を思い出します。(夏休みの宿題などで出ました) 水さえ毎朝晩揚げていればそれほどの苦労もなく、それなりの花を咲かす事が出来ますのでベランダ園芸でも楽しめるのではないでしょうか。

 もっとも朝顔は蔓性ですので、『朝顔に 釣る瓶取られて もらい水』 なんて事にならないように注意しましょう。(^o^)


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