江戸暦─水無月の行事 其の六
神仏に願を掛けるとき、水を浴びて身の罪や汚れを清め払うことを、垢離(こり)言います。(=水垢離)
相州大山石尊に参詣する者は、大川で垢離を取って禅定しました。
それぞれの手に藁しべを持ち、声高に祈願して水の中に投げ入れます。
流れるのは良いしるし、ただようのは悪い事としました。
これはいわゆる「中人」以下、つまり職人や鳶などの一般に「江戸っ子」と呼ばれる人達の行事で、それ以上の人達は行わなかったようです。
相州(相模の国=現神奈川県)大山寺の石尊大権現には江戸ばかりでなく、全国からの参詣者がありました。
落語の「大山参り」にもみられるように、江戸では頻々に行われていたもので、当初は六根清浄を祈願して懺悔に参ったものが次第に行楽と化してちょっとした遠出の遊山に成り果ててしまいました。
『愚痴拾遺物語』(講談師馬文耕)には次のようにあります。
「さんげさんげとは、以後は悪事は決して致しませんということ。それであるのに石尊大山へ参詣して、言葉にはさんげさんげといって、つまり絶対に悪しき事は致しますまいといいながら、その帰り道には、博打或は遊女買いをして、なんで石尊のさんげさんげにかなうことがあろうか。当世の若い者は、大峰の袈裟をかけ、巻びんにして、大広袖の湯衣を着て、皮の厚い雪踏をはき、さんげさんげとばかり唱え、物見窓から覗き込み、流し目で女子だのをたらしこみ、これでなんの六根清浄ぞや。」
かなり厳しいお言葉ではありますが、何時の時代も変わる事のない風俗ですね。(^_^;)
落語でも、帰り道には酒宴を催して大騒ぎした挙げ句、酒乱が絡んで丸坊主にされてしまいますが、このような風景があちらこちらで見られた事でしょう。
現在は大山参りは多くの場合年配の方が行っており、阿附利神社の下社までは観光バスで行ってしまいます。
上社にもケーブルカーを利用する事で簡単に行けるようになっていまして、江戸の頃のように「六根清浄」を唱えながら苦労して登る事も少ないようです。
私が小学生の頃には毎年夏になると大山登りの行事があり、前日宿入り、翌朝まだ暗いうちに宿を出て、3時間余りかけて頂上まで登りました。(男坂)
下りは女坂を利用するので、大山の裏側、丹沢山塊が眺望できてとても気持ちよかったのを覚えています。
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