江戸暦─水無月の行事 其の弐
江戸と言うよりは地方の農村での行事になります(江戸も周辺では行われていたでしょうが)が、米を主要作物としていた我が国とっては大事な大事な行事でした。
地方によって異なりますが、例年五月末から六月始め頃に苗代から田に苗を移すことを指します。
当時は田植え機などは勿論ありませんでしたから、当然一人ひとりが手で植えていきます。
最近は小学校などで授業の一環としてやったりもしますが、その様なお遊び的なものではなく、本格的な田植えを経験した世代の人には如何に辛い作業かお判りでしょう。
そのため、作業を効率良く且つ苦労を軽減する目的で歌が歌われました。
一番の効用は手の早いもの遅いものの差を無くするために、歌の拍子に合わせて作業出来ると言う事です。
当時の農村は暗く辛いものと思われがちですが、備後の国福山領での風習を紹介しましょう。
苗は前日に苗代より引き抜き、各々の田に配ります。
その内の三把を家に持ち返り、藁一把を横たえた上に置き、菜飯、造酒を木の葉に盛り、苗の上に供えて茅の箸を添える。
翌日、村中総出で田植えを行うのだが、古来、男は苗を引き牛を使い、女は苗を植えると言う役割を担っていました。本来これを早乙女と呼びました。
江戸の頃にはそれが男女混合になって苗を植え、房事淫娯の戯言を言い合い、悪口を言い、歌もどよめき渡ったようです。
また、田の中に立ちながら酒を酌み交わし、菜肴つかみ食らい、あるいは男女で角力をして泥の中上になり下になり、尻をまくられ、泥土打ち合い、苗を打つと言った様々な戯れを行いつつも、如何なることにも罵り合ったりする事は稀であったそうです。
食事は高盛りの碗飯を食らい、ひがな楽しみつつ暮らしたそうです。
(「備後国福山領風俗問状答」より)
この地域が特別という訳ではなく、大方の地域では田植えを吉事として祝いつつ作業を行ったようです。
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