江戸暦─皐月の行事 其の壱
五月五日の節句で、別名”菖蒲の節句”とも言い、昔から邪気を除くために菖蒲を軒に差したり菖蒲湯に入ったりします。
男児の居る家では五月人形を飾り、鯉のぼりを立てたりして出世を祝います。 端午の「端」は「始め」を意味し、「午」は午(うま)を示し月の始めの午の日を差します。
古代大陸ではこの日を忌み、邪気を払う行事をしました。
これが、三世紀頃に五月五日になりました。(ちょうど三国志の頃ですね。)
端午の節句には、どの職人も節句休みをとりました。
この日より武家では礼服が帷子になり、町家では単衣を着用するようになります。
家々の軒端には菖蒲や蓮をふき、菖蒲酒を飲みます。
また、武家町家の別なく、ほとんどの子供は男女ともこざっぱりした着物を着て各々の師匠の家に行き祝賀を述べてから菖蒲打ちと言う遊びをしました。
今では郷土の行事でしかお目に掛かれなくなってしまいましたが七歳以下の男児のいる家は、武家も町家も幟(のぼり)を立てて武者人形を飾りました。
この幟は延享(1744〜48)の頃までは紙に丹緑青の絵の具で彩色しました。
題材は石山源太に虎、金太郎、竹ぬき五郎などの武者絵幟。
木綿のものはほとんどなかったようです。
屋内に飾る幟は至って近世のもので、紙で鯉の形を作り、竹の先に付けて幟とともに立てるのも近世の風習です。
また、出世の魚と言う諺から男の子を祝うものとされたこの風習は、東都だけの習慣です。
最近では男女の別なく、生まれた子供が最初の節句を迎える事を「初節句」として特に祝いますが、元々は始めての男子を持った家が行っていたものです。
「七五三」「雛祭」「端午の節句」ともに子供の成長を祝う行事ですが、現代のように医療が発達する以前は子供は生き存える事がなかなか難しく、それだけに節目節目にお祝いをしたのでしょう。
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