江戸暦─卯月の行事 其の壱
四月からは季節は夏になりますので、朔日を更衣として「綿入れ」の綿を抜いて袷にして着用しました。
「四月朔日。更衣と称し、今日より五月五日に至り、袷衣を着す。
因之、今、苗字に四月一日と書て、わたぬきと訓ず也。」(『守貞漫稿』より)
この日より重陽の節句(九月八日)まで足袋は履かないのが習いでした。
但し、単は九月朔日までで、朔日〜八日までは袷を着用し、九日から綿入れを着ました。
また、この日より「単羽織」を着用しました。
現代では衣替えは6月1日となっていますが、例えば今年(平成12年)の新暦6月1日は旧暦の四月廿九日にあたります。
これはおそらく五月五日の端午の節句には袷から単衣(武家は「帷子=かたびら」)に替える事から来ている習慣ではないでしょうか。
因に大陰太陽暦では一・二・三月を春、四・五・六月を夏、七・八・九月を秋、十・十一・十二月を冬、としていました。
だから年賀状に「迎春」とか「新春」「初春」等と書く訳ですね。
俳句の世界で用いられる「歳時記」はこの季節感を基準にしています。
また、江戸の絵によく出てくる「黒襟」(丹前やはんてんに付いているビロウドの襟)についてですが、京坂では礼服や晴れ着のときには用いず、もっぱら普段着のときのみに用いました。
黒木綿は檳榔子(びんろうじ)で黒染めにしたので、檳榔子木綿と言われました。
江戸では礼服には用いなかったものの、晴れ着と普段着には黒襟を用いています。
掛け襟の布地は黒八丈絹を上等とし、黒桟留と言われた黒木綿は下とされました。
男は下着(つまり肌襦袢の事ですね)に黒襟を掛けましたが、女は下着には掛けず、上着に掛けました。
文化文政の頃には男も黒の掛け襟をしましたが、江戸では天保の頃に廃止されました。
ただし、京坂では嘉永の頃にも見られました。
尚、一般に麻布・葛布等の夏衣を帷子と呼んでいますが、元来は裏なしの単を指して呼んだものです。
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