江戸暦─弥生の行事 其の弐
三月三日は大汐干潟になるので、深川や品川の海上へ汐干狩りに出るものが大勢いました。
早朝から船に乗り、はるか彼方の沖にいきます。
卯の刻(明け六ツ=午前六時半頃)過ぎから汐が引き始め、午の刻には海底が陸地に変わります。
そこに下りて蛤を拾い、砂中の鮃を踏んで驚いたり、引き残った浅汐に小魚を見つけては宴を催したりします。
「三月三日の潮干 潮の来る事、諸処にて不同あり。
時刻たがはず来は、仙台松島より江戸、伊豆、中国にては皆宣し。
薩州並に長崎は少し早し。
月は同じといへども、地勢に依て不同有べし。
北国松前のごときは潮の来る事なし」 『中陵漫筆』より
今では常識ですが、当時でも潮の満ち引きに地域差がある事は良く知られていたようですね。
汐干狩は本来雛祭りと無縁ではありません。
日本には古来から形代流しと言う禊があり、それに大陸から伝わった『上巳』(じょうし)の行事が混合して雛祭りが出来上がりました。
一方、浜辺に近い農漁村では雛遊びに発展する事もなく、形代流しがそのまま残っていて、春先になると家族総出で浜辺に行き、人形(ひとがた)を海に流しました。
そのあと重箱を広げて食事をしましたが、先にも述べたようにこの頃は一年で一番汐の満ち干が激しいので汐の引いた後の浜で浜遊びをしたのが起源と言われています。
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