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Pen・Pen D 雑学の森/うんちく編  

10 米谷さんはハーフサイズを選択したが画質への不安は無かったのか?

当時は現代程には35mmカラーフィルムはメジャーな存在では無く白黒フィルムやより大きいフィルムサイズがまだ幅をきかせていた時代であった。当然35mmの半分のサイズであるハーフサイズに対する一抹の不安は存在していた。ただし35mmフィルムが急速に成長していた事を考慮し社内にてある実験を行っている。それはD.Zuiko40mmレンズで撮影した35mmネガの半分を四つ切に伸しその写真を何も知らない同僚に見せてその反応を見たのであった。結果は予想外に良く、優れたレンズで適正露出にて撮影し、良い現像さえすれば十分に実用的な品質が得られると確信を得たのであった。

11 Penの価格設定はなぜ6000円だったのか?

当時の大卒サラリーマンの初任給はだいたい1万円から1万5千円程度だったそうです。一方で当時オリンパスでもっとも安いカメラがなんと23000円。つまりカメラは非常に高価な贅沢品であったわけです。米谷さんは写真という素晴らしい世界を、世間一般の人々にもっと広めたいという思いから、せめて給料の半分でカメラが買えれば、、と考え、無謀にも6000円という価格設定をしたそうです。このことは米谷さんがペンを設計していく上で自身の首を締め付ける大変な前提条件となりました。しかも製造上でも思いもよらない大問題を呼ぶことになったそうです。その問題は、、後で紹介します。

12 Penはなぜ28mmレンズを搭載したのか?

Penの生みの親、桜井さんのお話によりますと「ペンサイズ(ハーフサイズ)に28mmを組み合わせると、画角は54度、これはちょうどダブルフレーム(フルサイズ)に42mm程度のレンズを採用した場合と同等で、準広角と一般的には言われますが、非交換レンズのカメラには最も利用度の多い角度です」との事です(ズイコー夜話より)。今日の目で見ると少々画角が狭いような気もしますが、当時はこの画角が一般的だったのだと思われます。もちろんレンズそのものを非常にコンパクトにできるということもその理由のひとつだと考えられます。

13 Penにおけるコストダウン対策とは何か?

6000円の内のほとんどをレンズに投じた為に他の部分においてコストダウンを余儀無くされたPen。その対策としてはファインダーカバーにモールドプラスティックを使用。ファインダーのレンズにも当時まだ一般的ではなかったプラスティックレンズを採用。そしてなんといってもハーフサイズを採用したこと。また通常百個近くも使用される歯車を徹底的に減らしてなんと二個ですませてしまった事。そしてフィルムの送りに通常のレバーを使用せずに、巻取りスプールに隣接してノブをつけ直接駆動するようにしたこと、等々があります。

14 米谷さんがPenを設計するにあたってこだわった部分とは何か?

6000円でカメラを売るためには、すべてに渡ってコストダウンを余儀無くされる訳で、当然レンズもしかりであった。新人である米谷さんが、先輩に連れられて諏訪工場のレンズ製作担当者と打ち合わせに行った際、レンズ製作担当者(この道ウン十年の超ベテラン)は予算から逆算してトリプレット(3枚構成)のレンズを使用して前玉調節式にすると米谷さんに提案。米谷さんは、画質だけは削らないとテッサ−タイプ(4枚構成)で、しかも全群繰り出しでお願いしますのイッテンバリ。テッサ−を使ったらカメラの他の部分の予算はほとんど無いに等しいぞ、と先輩。他は自分がなんとかするから、レンズだけはテッサ−でお願いします、と米谷さん。もう勝手にしろと先輩たち。米谷さんは「他は自分でなんとかする」とは言ったものの、この時にはとにかくレンズはテッサ−という事だけしか考えていなくて後で大変な事になったと、語っています。しかしこのレンズだけは最高のものを、というポリシーはのちのちPenの繁栄の為の大切な要素となったワケです。

15 Penのボディーのデザインは誰が担当したのか?

当初は社外のインダストリアルデザイナーにそのデザインが委ねられた。ところが設計者である米谷さんはそのデザインが気に入らなかった。6000円のカメラという前提の為か、おもちゃの様なイメージだった。そこで米谷さんは設計部長である桜井さんの所へ直談判に行った。「気に入らないのなら、自分でやれ」と言う部長の一言をもらい米谷さんは自分でデザインしたのだ。そのデザインはすばらしい物であった。カメラらしく、そしてオリジナリティーあふれるPenはこうして誕生したのだそうだ。

16 Penの外部デザイナーによるデザインはそんなにダメだったのか?

Penのデザインは1958年9月に豊口デザイン研究所に依頼された。約1ヶ月後にできたそのデザインは、一般的には「おもちゃのような」と伝えられているが、米谷さんは次の様に回想している。「受け取った3枚のスケッチはいずれもアメリカ的ですっきりしていた。実にモダンで簡潔なスタイル。どちらかというと旧東ドイツのWerraとか、オリンパスシックスVAのデザインに一脈通じる斬新で新鮮なデザインであった。しかしシンプル イズ ベストといったこのデザインは、高級感の漂う高価なカメラでこそ、その良さが生きてこよう。しかし中身までホントにシンプルなこのカメラでは一歩間違うと見るからに6000円の安カメラになってしまう恐れがあった。また当時の日本でこの斬新さがすんなりと受け入れられそうも無い気がした。」思い悩んだあげく桜井さんに相談をして、自分でデザインをやることになったそうである。

17 米谷さんがPenをデザインをする上で配慮した点とは何か?

ハーフサイズを採用している関係でカメラの横幅が短く、一方で同じ35mmパトローネを使う為に、高さと幅はフルサイズカメラとなんら変わり無いPen。必然的にズングリした形になってしまう。米谷さんは高さが低く見えるように、また合わせてカメラの厚みもできるだけスマートにという二つのことを考えたそうです。Penのトップカバーの段絞りは高さを低くまた、上から覗いた時にスマートに見せる為のデザインのひとつだそうです。またファインダーカバーのみを黒くしたこともこの為だそうです。

18 オリジナルPenは一種類だけなのか?

Penを詳細に分類すると三種類あるそうです。軍艦部の側面についている吊り金具が向かって右側にだけついていて、レンズのベゼルにオレンジ色のフラッシュ用表示があるタイプ。これが初代オリジナルPenです。そして吊り金具がひとつで、ベゼルにオレンジ色の表示がないタイプ。これが2代目オリジナルpenです。この後、吊り金具の強度不足に対応したふたつの吊り金具を持つ3代目Penが誕生します。

19 Penの生産は外注だったというのはホントか?

当初、オリンパスPenは生産コスト上の問題から自社ではなく下請け会社で生産された物をオリンパスが買取り、検査をした上で出荷するというシステムであったそうです。もちろんレンズはオリンパスが製造して供給するとともに本体のダイキャストもオリンパスで製造したそうです。オリンパス自体でカメラ全部の生産を手がけるようになったのは、PenSからだそうです。当初6000円という価格設定はやはり常識をはるかに越えた安い価格設定で、計画された月産5000台というペースでは採算がとれなかったワケです。当時の諏訪工場の工場長が、自社での生産では赤字になるとして、首を縦にふらず急遽、外注会社(木村光機を母体とする新会社三光商事)での生産に進路変更されました。オリンパスは過去においてキャノンとの価格競争で苦い経験をしており、量産化及び生産技術の向上に力を注ぎ、Penの好調な売り上げもあってPen Sの生産から自社での生産に切り替えられたそうです。

20 Penの吊り金具は何故ひとつのタイプとふたつのタイプがあるのか?

小形軽量であるオリジナルPenの吊り下げスタイルに関して、設計者である米谷さんは、従来の首から下げるスタイルは似合わないと考えていたそうです。ポケットにも納まる小形なPenに相応しいスタイル。それはポケットにPenを忍ばせ、ここぞという時にサッと取り出してシャッターを切る、というスタイルを思い描いた米谷さんは、金具を右側にひとつとし、小さなリストストラップをつけることにしました。1グラムでも軽くしたいと考えていた米谷さんにとって片側の金具を装備させないという非対称なデザインは理屈にかなったスタイルであったわけです。ところが発売後このリストストラップを手首に巻き付けPenをぐるぐる回す行為が流行り、真鍮の金具が壊れてPenが飛んでいくという事故が多発したそうです。苦情が殺到したオリンパスでは急きょ、金具の材質をステンレスに改め、合わせて金具をトップカバー両側に取り付ける改修を施しました。(クラカメ専科より)

21 米谷さんがPenのシャッターに込めた思いとは何か?

シャッターレリーズボタンはカメラの操作部分でもとりわけ重要であると、米谷さんは考えていた。カメラのブレを抑えつつ、切りたい時にシャッターが切れるという当たり前だが奥の深いこの課題に関して、その理想をライカlllfのシャッターとしていたそうである。指の腹をリングに乗せて、腹を膨らませるとストンと落ちるシャッター。米谷さんが愛用していたライカのサブカメラとしてPenを持ち歩くには、同じシャッターフィーリングが必要と考えたそうで、そのストローク、重さ、堅さには十分な検討を加えたそうです。長方形シャッターボタンという変則的な形も、指の腹でシャッターを切ってもらう為の人間工学的設計の一部だそうです。Penのシャッターフィーリングは、確かに絶品と言えると思います。しかしEEシリーズのフィーリングは、お世辞にも良いとは言えませんね(^_^; (ちなみに、小生はライカのシャッターを切った経験は一度もありません。悪しからず)

22 Penのレイアウトに隠された米谷さんの決断とは何か?

米谷さんはペンを設計するにあたり、ハーフサイズを採用することで同じ構成のフルサイズカメラに比較して横幅が18mmも小型にすることができると考えた。何故ならばハーフはフルに比べフィルムマスクの幅が18mm短いからだ。ところが、これは誤算であったのだ。横幅が短くなりすぎて、レンズシャッターをボディーに納められなくなったのである。何故ならば横幅が短い為に、パトローネ室にレンズシャッターがぶつかってしまうのだ。ぶつからない様にするには、横幅を広くとる必要がある。小型であるとともに、ポケットにスルリと納まる突起の無いデザインを指向していた米谷さんは、ある決断をした。それは18mmの小型化によってレンズがボデーから大きく突き出すよりは、少々横幅が大きくなってもシャッターをボデーのふところに埋め込んで出っ張りを小さくしたほうが、使う人にとって有益であると、、。結果的にはフルサイズ仕様に比較して、12mm短いカメラとしてPenは産まれた。たった6mmの違いにすべてを賭けた米谷さんの決断であったそうです。(クラカメ専科より)

23 Penはなぜグレーの色を基調としたのか?

米谷さんは、日本のカメラの模倣性に常々、疑問をいだいていた。欧米のカメラの模倣では無く日本独自の文化を取り入れたオリジナリティー溢れるカメラの製作を目指していた米谷さんにとって、カメラの色が皆申し合わせた様に黒と銀であることの必然性は感じられず、Penには新たな色を用いることにしたそうである。一般庶民、とりわけ女性層へのカメラの普及を考えていた米谷さんは、軽快さ、そしてファッショナブルな感じのライトグレーを基調とすることにした。社内的には、6000円の安いおもちゃの様なカメラとのイメージで捉えられていた為に、この斬新な色使いに関してとやかく文句もだされなかったそうだ。またPenに明るい色を用いたことは、その後の高性能モデルの黒基調との差別化、イメージ造りにもひと役買うことになった。

24 Penのフィルムカウンターに秘めた策とは何か?

リアーワインディングにより歯車の数を飛躍的に減らし、コスト削減の道を開いた米谷さんであったが、これだけではなかった。カメラの内部メカにおいてフィルムカウンターというものが、これまた歯車のカタマリというのが通常のカメラの実体であった。特にハーフカメラでは撮影枚数が2倍となり、最高72までのカウンターが必要となり俄然、精度が要求されるようになる。設計段階では上手く作動するはずのカウンターもいざ組み立てた後の作動チェックでは、不具合の発生しやすい機構であり、工場における調整にも手間のかかる部分であった。試行錯誤の末に、米谷さんの脳裏に突然の閃きが走ったそうだ。フィルム巻き上げ歯車の上にそれよりも歯が一山だけ少ない歯車を重ねて置くことで、一回転するたびに確実に一山分だけズレが生じる。これによって少ない部品数で、確実かつ調整も検査も不要なフィルムカウンターができることとなった。このアイデアは画期的であり、特許を取ることにもつながった。72コマに秘められた米谷さんの秘策だそうである。(クラカメ専科より)


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