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ミンダナオ島
April 2000

どういうわけかフイリッピンのガイドブックには、子供がカメラに向かって
笑っているこの手の写真が多い。ひとなつっこい子供が多いからだろう。
アラブの国では宗教的な理由からか女の子のこうした写真を撮るのは
難しい。
彼女たちは、英語はまだ学校で習い始めたばかりで、こちらの方がまとも
だった。
日本語をカタコト知っている子が多いので、戦前この地に多くいた日本人
の影響かと思ったがそうでもないらしい。日本に出稼ぎに来ている女性
を家族(フイリッピン的な大家族)に持っていたりすることかららしい。
後進国の子供は概して早熟で、時には自分の仕事を持っていたりして、
子供だと思って油断していると、こまっしゃくれたというか大人びた生活
臭を帯びた質問を投げかけられたりして驚かされる。
江戸時代では十代半ばで元服し、女の子も嫁に行っていたのだから、
当時の同年代の日本人ならこうした雰囲気もあったのだろう。

昼食の準備

この手の写真もよく見る。
犬を桟橋から投げ込んで泳がせていた。犬は直ぐに戻ってくるのだが、
逃げていかないところをみると、いつもの水遊びだったのか。
面白いので眺めていたら、最初の写真のように子供が集まってきた。

海岸からの戻りに人力のトライシクルにのる。
大通りの入り口までしか走らない。その先は交通量も多くてこういうものが走って
いてはマズイのだろう。
昔、ジャカルタでもペチャといったか、大通りから締め出しを食った直後に乗った
ことがあった。

ふたりで営業していた。ひと乗り2.5ペソ(約7円)。3ペソ出すと、つり銭がない
というので代わりに写真を撮らせてもらった。
ミンダナオ
ミンダナオ島というのは日本でいえば北海道にあたる島である。ルソン島についで大きく
(約9万5千Km2、北海道は7万8千Km2)原生林が残るフイリッピンでも開発から取り残さ
れた一番南の島である。
イスラム教徒も多く、ジャングルにはイスラム独立を目指す武装集団が立てこもっている。
シャモ(内地人)とアイヌが勢力争いをしていた江戸時代の蝦夷地のようなものか。
ついでに書けば、スペインがこの国にやってきた16世紀には、ルソン島もイスラム化して
いた土地であったという。それが少しずつ南へとキリスト教が下ってきたのは、かって日本
列島到るところに暮らしていたアイヌ(=縄文人?)が弥生人に追われ、また日本化する
ことで、今は北海道にしか残っていないことと似ている。
ダバオ周辺では、戦前は万を越す日本からの移民がマニラ麻の栽培に携わっていた。
彼らは戦時中、この地に入った日本軍に軍属として徴用されていき、敗戦で財産のみ
ならず、その信用を含むフイリッピンでの活動の基盤をすべて失ってしまう。
一世は日本に引き上げた人も多かったが、二世で現地の女性との混血児の場合は現地
に留まったケースが多い。最近、彼らやその子供が日本国籍の確認を求めて運動をして
いるという。
深田祐介の『炎熱商人』にもフイリピンの二世の問題が取り上げられていた。
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