(5)
竹 島 (1)
竹島は韓国では独島と呼ばれているという。『独島はわが領土』という歌までできてるらしい。
日本ではまず大
多数がなんとなくこの島を日本領だと考えているようだが、そうでないと言う人もいるのは尖閣諸島のケースと同
様である。
韓国は自由主義国家ということになっていて、言論の自由が認められているはずなのだが、歴史認識や対日利
害のからむ問題については政府認定の見解が用意されていて、誰も公式の場ではそこから離れることができな
いようである。
この島の帰属に関しても韓国領であることを否定するような見解は、公式の場では言えないような状況になって
いるらしい。どこか中国と似ているところがありそうだが、極東では日本のような、なんでもありの国の方が例外
なのだろう。
☆ ☆ ☆
この竹島、二つの主要な島と周りの岩礁からなり0.23m2、日比谷公園と同じぐらいの面積だという。(『日本の
領土』、田久保忠衛、PHP社)
1952年に李承晩が韓国の大統領であったときに、いわゆる李ラインという一方的な領海線を引き、その時に竹島
もその線の内側に取り込んでしまったことから今日の問題が発生している。
1952年というと、既に膠着状態に入っていたとはいえ朝鮮戦争のまだ休戦協定(July53)も結ばれていない時期
になる。
当時、韓国の半島南部や済州島の沿岸近くにまで、大型船を含んだ集団で押し寄せて近代的な漁法と新鋭船で
魚を根こそぎ獲っていく日本漁船を見て、まだ原始的な漁業しかおこなっていなかった韓国の漁民や、地元民の
憤りが政府を動かして作られたのが李ラインである。
今の釜山のチヤガルチ市場の盛況ぶりなどを見ていると信じられない所もあるが、今の満州の地から下ってきた
騎馬民族の末裔である韓国人は魚などほとんど食べなかったらしい。
ロシア人が本格的に魚を食べだしたのも戦後のことだと聞いた。食料難の時代に動物性たんぱく質の補給の為
に政府の推奨があったという。
さしみなど、魚を生で食べる風習などはまさに倭人のそれであり、日本時代に半島の食文化に取り込まれた海苔
巻きなどと同じく日本の食文化のひとつなのだろう。最近まで「さしみ」と日本語でいっていたぐらいなのだから。
他国の例をみるに「すし」を食べるようになって、生魚への抵抗感が少なくなってからのことだと思われる。
作家の呉善花さんだったろうか、韓国人は歴史的にその政治的、文化的な嗜好から、目はいつも大陸に向いてい
て海になど興味をもっていなかったとどこかに書いていた。
当然、大洋に浮かぶ無人島に関する資料など残されていない。(*) しかし、一度、李ラインの中に取り込んだ島ゆ
え、なんとかそれを理屈つけるものとして古い文献を探したらしい。もっとも、これといったものは当然のことながら
見つかっていない。

新詳高等地図(帝国書院)より
この島の領有に関する歴史的経緯についての日本側の立場について、上記の「日本の領土」では次ぎのように
説明している。
日本では古くから「松島」の名によって今日の竹島が知られていたことは、多くの文献、地図などに
より 明白である。
たとえば、1650年代に伯耆藩(鳥取)の大谷、村川両家が「松島」を幕府から拝領して経営して
いたという記録があり、また、経緯線投影の刊行日本図として最も代表的な長久保赤水の「改正日
本與地路程全図」(1779)は現在の竹島の位置関係を正しく記載している。
その他にも明治に至るまで多数の資料がある。
一方、韓国側は、十五〜十六世紀の古文献に、于山島(ウサンドウ)、または三峰島(サンポンドウ)
と
いう名で竹島の記述があるとする。
(外務省注: 于山島や三峰島が竹島に該当していることを実証できる積極的根拠はない。むしろ、
この文献はそれが竹島でないことを示す)
また、読売のソウル特派員だった宇(うえ)恵一郎氏はその著書、「理解と誤解」(国書刊行会)で下記のように書
いている。
韓国人がその根拠とする三国史記(1145年刊)の巻第44、列伝第4「異斯夫(イサブ)」には、概
略こうあるだけである。
「新羅・智証王13年(512年)、異斯夫が于山国を手に入れようとして獅子の木像で島の人を脅し
て、島人は降伏した」 。
于山国自体がどこを指すのか不明瞭で、のちの高麗史(1452年刊)や、世宗実録(1454年編)
に現われる記述では、鬱陵島(ウルルンド)とその周辺の島の二島を指すと読める。
しかし世宗実録では「異斯夫」の逸話を再録しつつも、「島の中には大きな山があり、山頂から東向
きに海までの距離は一万余歩、西向に一万三千四歩(中略)、村落は七箇所あり」などとあり、
これは明らかに鬱陵島のことで、混乱している。新羅時代に降伏したのが竹島だと指し示す資料は
ない。
韓国政府の肝煎でソウル大学の教授が在ソウルの各国の特派員30人ほどを集めておこなった、「独島問題説
明会」がもたれたときに著者もそこに出かけて行ったという。一時間にわたる教授の「独島」は韓国領であるとの
証左に関する熱弁があり、
勝ち誇った表情でコップの水に手を伸ばした教授に、「日本人特派員だが質問が三点ある」と手を
挙げた。
「まず、新羅時代から韓国領土だったとの根拠は三国史記によるものと思われますが、その中で
は、于山国の領土はどの範囲だと書かれているのでしょうか。独島も含まれているのでしょうか」
質問の深刻さを直ちに了解した教授は、困惑した表情でこう言った。
「きょうは、学術的な論争をする場ではありませんので、その問題は後日にしましょう」
つまるところ、韓国側も、自分たちの主張が依って立つ資料に問題があることは認めているのである。
☆ ☆ ☆
竹島に関して日韓の論点は他に下記の2点があるが、「日本の領土」の記載をまとめてみると・・・、
*
1905年に島根県告示で日本に編入されたことの有効性
韓国:
日露戦争当時の日本の領土拡張欲によるものであり、一地方官庁が隠密裏におこなったも
ので国際法上も無効。
日本:
告示は正式に告示された上、新聞報道もされており、隠密裏ではない。竹島の島根県編入は
歴史的根拠をふまえて近代国家の行政区分に組み入れ、領有を再確認したもの。
*
日本占領及び戦後処理のための諸文書の中での竹島の扱い
韓国:- GHQが1946年に小笠原諸島等の若干の外郭地域の日本からの分離をおこなったさい、竹
島は日本領土から分離され、日本漁船の操業区域を規定したマッカーサーラインの設置にあ
たっても、竹島はその線の外に置かれている。
-1943年のカイロ宣言にある「日本国はまた暴力及び貪欲に依り日本国の略取したる他の一
切の地域より駆逐せらるべし」の規定は、島根県編入という侵略行為によって日本に併合さ
れた竹島にも適用される。
日本:-
対日講和にいたる一連の措置は、いずれも日本領土の最終決定に関するものではないと明
記されており、竹島が日本の領域から除外されたものでないことは明白。
-
もとより日本領土である竹島はカイロ宣言にいう「暴力及び貪欲により略取したる一切の地域」
にあたらない。
日韓国交正常化(1965年)の折にもこの竹島問題は解決がつかず、両政府は「紛争の解決に関する交換公文」
を交わしており、両国間で解決できなかった問題は第三者の調停に委ねることを取り決めている。
この交換公文の規定に従い、日本政府は本件を国際司法裁判所に提訴することを韓国政府に呼びかけている
が、後者は本件はこの交換公文に規定する紛争ではないとして調停に付すことに合意していないという。
しかし、当時、日韓協定を成立させるために、わざわざこの公文を作ってまで問題の先送りをせざるを得なかっ
た紛争とは、この竹島問題だけしかなかったのである。
きちんと明記しておかなかったことが、あとあとまで問題を残した。
・・・どうも、大略こういうことらしい。
韓国でこの島のことに、あれだけ声高に叫ばれるのには、ひとつはいまだ彼らが戦後のナショナリズムの高揚の
中にいるということと、激しやすい民族性ということもあるのだろうが、彼らもどこか自分たちの主張に自信が持て
ずにいるからなのだろう。
実効支配をすすめ、日本の「妄言」に強く反発することで、日本がそのうちこの島のことを諦めてくれるのではな
いかと願っている、というのが本音だろう。
しかし、一見、頑なにみえる韓国だが、漁業協定では日韓両国ともこの島を自国の領土として、そこから200海
里の線を引き重なる部分を、様々な駆け引きがあり一概に両者の真ん中を取ったとは言えないが、なんとか共
同管理区域とすることで合意しているのである。原則ばかりを押し出してくるのではなく、そろばんをはじいて損得
勘定もできる国なのである。
(17Jan00)
PS: (*) 韓国の持っている竹島関係のデータはほとんどが日本のものであるというはなしが、下記HPの
『ある反日サイト』(2月6日付け)とういう項目に書かれてある。
http://chance.gaiax.com/home/azunori
98年に晋州の博物館に行ったときも、「朝鮮の役」に関する展示資料の半分ほどが日本にある
モノのコピー品か日本の博物館に展示されている手紙や本などの写真展示であることに気づいた。
(07Fev00)
竹 島 (2)
ところで、この問題この先どのようになるのだろう。
両者がその権利を主張し、片方がその土地を実効支配しているときに話し合いでその地の領有権が移行するこ
となどまず考えられない。
小笠原にせよ、奄美諸島、そして沖縄についてもアメリカは施政権こそ握っていたが、領有権まで主張していたの
ではないから、結局、日本に戻さざるを得なかったのである。
さもなくば、「大西洋憲章」(1941)やカイロ宣言(1943)で「領土の不拡大」および「住民の意志によらない領土
の変更に反対」という自らが打ちたてた原則に違反してしまう。
もっとも、スターリンは領土欲の前には自分の約束を破ることなど屁とも思っていなかったようだ。
アメリカもあれだけの戦死者を出した沖縄では、当時の国際情勢を抜きにしても基地をも放棄した完全撤退という
形ではその世論の支持を得ることは出来なかっただろう。
戦前、日本が中国から軍を撤退することができなかったのも同じ理由からである。
今から、この島を日本が取り戻すには、韓国と一戦を交える決意が必要だろうが、人が住んでいた北方領土でさ
え、ロシアと戦ってまで取り戻すべしという世論がない現状で、本来無人島であった竹島のために戦争をしようとし
ても世論が許さないだろう。
となると、日本の取りうる選択肢は限定されてくる。
韓国にこの島の管理を委ねてしまうとである。日本領だとみなすなら、本来なら日本政府が先にそうすべきだった
のだが、言い訳はいろいろあろうが、結局は怠慢でそれをしないでいるうちに、向こうが先につばをつけ管理人
(守備隊)をおいてしまったという状態になっている。
ならば、この際向こうに管理してもらえばいいだろう。
日本政府は人件費を含む管理費の負担をしてもいいのではないか。米軍基地に協定外の数千億円もの思いやり
予算などを付けているのである、それぐらいなんとかなるだろう。
島に漂着するビンやプラスチック製品などのゴミ類の清掃も合わせて業務委託してしまえばいい。
島は持って帰れるものではなくいつもそこにあるのである。だいたい、領土だ領海だと騒ぎ出したのもそれほど古
い事ではない。竹島が問題化してからも50年しか経っていない。
100年も経てば価値観の変化があって、日本人も韓国人もあまり領土などにこだわらなくなっているかもしれない。
とりあえずは、管理は韓国に任せ、妄言だとか、侵略主義の復活だと非難されようが、様々な形で領有権を絶え
ず主張していればよいのである。
韓国としても前の大統領だった金泳三氏のようにこの問題で大騒ぎをすればするほど、「独島」は問題を抱えて
いることを自国民と世界に認識させることになってしまい決して得策ではないのだが、今のところ国内のナショナ
リズムの高まりにのみこまれているようだ。
(19Jan00)
