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 新大久保事故と強制連行


 1月26日、新大久保でホームから線路に落ちた酔客を助けようとして、線路に下りた二人の乗客を含む三人が
 進入してきた電車に跳ねられて死亡するという事故があった。人助けに飛び下りた二人のうちのひとりが韓国
 人留学生だったこともあり、犠牲者に好意的なさまざまな反響がつづいている。

 亡くなった李秀賢氏の父親が大阪産まれで、1944年に半島に戻る6歳まで大阪に暮らしていたという。また祖
 父が日本の炭坑で働いていたことも明らかにし、この16歳で日本に渡った祖父を追って祖祖父も日本にやって
 きてこの地で病死、四代に渉って日本と縁のある家族だったという。


       ☆

もっとも、朝鮮日報やKBSなどの韓国のメデイアではこの祖父が強制連行で日本に連れて来られたと言ってい
 るのは、今の韓国では戦前日本に来た朝鮮人は公式には全て強制的に連行されたとされているからだろう。

 中央日報では父親の言葉として、「祖父は日本で亡くなり、父は日本の植民地統治時代に炭鉱に徴用されて大
 変苦労した」とはあっても、強制連行されたなどと一言も言っていない。つまり戦争前から内地で暮していた朝鮮
 人家族ということなのである。

 当時の日本人がそうであったように、大阪にいた李氏の祖父が徴用で炭坑に行ったことも不思議ではない。しか
 し1944年には現場を離れ半島に帰っているということは、内地で徴用されたわけでもないようだ。ただ給料が良
 かった炭坑に働きにいっただけなのかもしれない。

 戦前、樺太の炭坑にいた作家の書いた本に、炭坑住宅に暮していた朝鮮人家族についての記載もある。(*)
 樺太=炭坑=『強制連行』(徴用)という韓国で言われている公式だけの世界ではないのである。

 
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 まともに考えると1937年には日本で家庭を持っていた人物が、1939年7月に公布された国民徴用令で朝鮮半
 島から日本に『強制連行』されてきたと言うことの矛盾に気づいてもよさそうな話しである。

 戦前はジャパニーズ・ドリームに憧れて多くの朝鮮人が内地に来ているのだが、彼の祖父もそのひとりだったの
 だろう。


 この『強制連行』という表現も、韓国人が言うなら仕方がないかという気もするが、日本のメデイアまでが使って
 いるの如何なものか。朝鮮人も当時は日本国民であり、内地人と同じように『徴用』されたということなのである。

 『強制』を言うなら、多くの内地の若者は徴兵検査をクリアして、白紙(徴用)ではなく赤紙(徴兵)で戦地に『強制
 連行』されているのである。


       ☆ 

 ちなみに被『強制』連行者の問題も日韓条約で有償・無償五億ドル(当時の日本の外貨準備高の半分)に上る経
 済協力資金で日韓両国政府の間で解決済みとされている。補償が必要な人は韓国政府に請求すべきなのである。
 
 
 付け加えれば、徴兵で大陸や南方に送られた本土の若者が、戦後、日本に戻ってきたのと同様、徴用で日本に来
 た若者も半島の郷土に戻っている。見知らぬ土地で集団生活をしていた若者が、故郷に戻れる機会と手段が与え
 られた時に、生活の手段を持たないままその辛い日々を送った土地に残ろうと考えるのは『ビルマの竪琴』の水島
 上等兵のケースぐらいではないか。

 日本の工場や炭坑で働いていた韓国の若者も、その殆どが家族の待つ故郷にもどっていったのである。今、日本
 にいる在日韓国・朝鮮人は戦前・戦後にジャパニーズ・ドリームを求めて半島から夫婦でやってきて、戦後も自分の
 意志でこの島国に残った人達であり、またその子孫である二、三、四世なのである。
 (29Jan01)
 

 (*) 「北朝鮮の旅」(届かない心) 畑中康夫 (株)技術と人間