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創氏改名
韓国人や朝鮮人(北)は知っていてあえて口にしないのだが、戦後になって、総督府の行った悪行のひとつとして
声高に叫ばれているひとつに『創氏改名』がある。しかし、総督府は日本的な『氏』を朝鮮人(当時)に押しつけはし
たが、決して彼らの李や金という『姓』を奪って『氏』に取って代えたというようなものではないのである。
日本では『氏』(うじ)と『姓』(かばね)は古代からその意味するところが変遷してきているが、現代ではその二つを
同一視してして、氏名とも姓名とも同じように使われることが多い。法律上日本にあるのは家(イエ)の記号である
『氏』だけであり、大陸風の血縁集団の呼称である『姓』は存在しない。
過去においては、たとえば源・平・藤・橘の四姓が良く知られている。ちなみに永楽帝より日本国王に冊封された
足利義満は、明への公文書では中国風に『姓』を名乗っている。源義満。
戦争末期に内鮮一体を進める過程で、半島で家ごとに呼び名の異なる日本風の『氏』でもって住民を管理すべく、
創氏事業が行われたのだが、この時、朝鮮の『姓』を無くしたわけではないのは、今も残る半島での当時の戸籍
をみれば一目瞭然である。
所属する血縁集団の『姓』に基づく彼らの冠婚葬祭や秋夕などの習俗も変わらず行なわれていた。また、総督府
が住民の『族譜』を集めて燃やしてしまったなどということも行われていない。
これは、当時、日本の一部であった朝鮮半島で、日本語が国語として使われていたからといって、朝鮮語の使用
が禁止されたわけではないのと同じである。朝鮮人はいつも朝鮮語を話していたし、朝鮮語の新聞も発行されて
いた。
学校でもハングルは教えられていたのである。ただ、内地でも地方の学校では校内での方言禁止運動があり、
『方言札』などさまざまな罰則が設けられていたりしたが、朝鮮でも同様の状況があったという。
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朝鮮人の『姓』は上述したとおり同じ血縁集団をあらわす記号であり、同じ住居に暮らしていても妻や姑は外の異
なった血族の一員であることから夫とは違う出身血縁集団の『姓』を名乗っていたのである。そこに日本的な家を
識別する『氏』の呼称が持ち込まれ、お役所関係では金という家に住む者は全員、妻も姑も世帯主と同じ、たとえ
ば金田『氏』を名乗るようになったのである。これが1939年。
この創『氏』は強制ではあったが、日本風の『氏』を付けることに従ったものは約8割で、従わなかった残りの2割
は朝鮮の『姓』がそのままその家の『氏』として登録されているのである。なお、同じ年に別の政令で日本風の『氏』
に対応する改名が許されることになるが、こちらはあくまで希望する者だけがこれに従った。なお、台湾では大陸
での戦火を意識して、漢民族の彼らの創氏改名は許されなかった。
戦後になってこの創氏改名を騒ぎ出したのは、外から米軍と共にやってきた大統領(李承晩)とソ連軍の戦車に
乗ってきた金日成が共に反日を国是に掲げたことから、流れが変わったことに気づいたこの8割に属する人達の
一部が動いたからであることは言うまでも無い。
☆ ☆ ☆
日本の官僚は戦後、郵政省が自分たちの都合で、それまでの由緒ある地名を、『xx町1丁目』などという単純明
解さだけを求めて町名変更してしまったことがあるが、あの類いなのだろう。最近になって、旧町名に戻す動きも
各地ででている。
こういう事情を知らない戦後の日本人は、例えば敗戦後に米軍が日本人の鈴木や佐藤という呼称を強制的にス
ミスやオークスといったアメリカ風の名前に変えさせるというようなことを、総督府が朝鮮人に対してやったのかと
思ってしまい、ひたすら反省していた。
香港では漢民族に属する現地人が本来の姓名に加えて、例えばアグネスだとかジャッキーとかのイギリス風の呼
称を付けているが、あれを家毎に日本風の苗字を付けたのが創氏なのである。それをお役所がやったのだから、
公的な場所ではこちらが常に使われることになる。そういえば台湾人のテレサ・テン(ケ)にしても、ケ麗君が本来
の呼称である。
☆ ☆ ☆
同じ血縁集団に属することを表す『姓』は、もともと漢民族のそれが朝鮮に持ちこまれたものであり、中国でも結婚
後も妻の『姓』が変わらないことは、日本でも知られ出してきている。子供は同じ血統だが、血液から見る限り妻は
あくまで他人ということである。
日本でも十年程前から、『夫婦別姓』運動のようなものが始まり、当初は中国や朝鮮のそれを先進的と勘違いして
いた向きがあったが、最近はむこうの事情も認識されてきたようだ。
(24/05/00)
