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仏教の四大聖地

新詳高等地図(帝国書院)
今のインドはヒンズーの国であり、仏教国ではない。ただ、ヒンズーには多くの神がいてある意味で多神教なので
仏教もヒンズーの一支派のごとく見られている。仏教徒はまったくの少数派となっている。
また、イスラムのような平均的インド人から見て敵対的な立場にいるのでもない。
独立時に宗教の違いによって何千万という人間がパキスタンとインドの間で相互に移動した(決して平和的にで
はない)のであるが、インド国内には未だ多くのイスラム教徒がいる。
たとえばカシミール。ここは領主がヒンズーであったため、住民のほとんどがイスラムであるにも関わらずインドに
組み入れられ印パ紛争の原因となっている
頭に白いターバンを巻いていることで知られている、日本ではむしろインド人のシンボル的存在となっているのは
シーク教徒である。仏教徒は彼らほどの社会的、宗教的な影響力はもっていない。
ただ最近は仏教にはカーストがないということから、ハリジャンの階層を主体として仏教へ改宗する運動のような
ものが起こっているという。これを新仏教という。かなり政治的な宗派となっているらしい。
さて、インドには仏教の幾つかの聖地があるのだが、このうち四大聖地というのはルンビニ(生誕地)、ブダガヤ
(悟りの地)、サルナート(ベナレス郊外:始めての説法の地)、クシナガル(涅槃の地)ということになっているらしい。
この時の旅では期せずして、この聖地巡り(巡礼)をすることになってしまった。
☆ ☆ ☆
今もそうだと思うが、よく日本の大学生に出会った。ただ本国の『人類みな兄弟』思想の信奉者が多いらしくて、
飛行機でニューデリーに着いたとたんに、パスポートと有り金全部を持って行かれるケースが結構あるらしい。
ニューデリーの安宿(ハッピーハウスといったか)では大使館から紹介されたといって、そうしたケースの若者が
四人(男三人、女一人)もいた。
話を聞いていると、インド中でそういう話はゴマンとあるようだ。「日本人はとうていインド人にはかなわない」という
のが結論だった。
まあ、そういうことをやる連中はだますのが仕事なのだから、人を信じることを旨としている日本人とはぴったりと
相性が合ってしまい、インドに着いたとたんにこういうことになってしまうらしい。
また、こうした仏教の聖地では仏教系の大学に通っている学生にもよく会った。彼らの中にはサンスクリットが読
めるのもいて感心した。何故か日本の将来は明るいと感じたが、よく考えれば建築科の学生が図面を読め、医学
部の学生が人体構造に詳しい類いであたりまえなのかもしれない。
彼らはヒンズー語で書かれているローカルバスの行き先が、一発でわかるというのが羨ましいかった。ただ、そのた
めにこの文字を学ぼうとまでは思わなかったが。
付け加えれば、鬼子母神や弁財天など日本にもヒンズーの神々がけっこう入って来ているのである。
祇園祭の山鉾などもプーリーだったかの祭りのそれである。
こうしたものはどういうルートで日本に来ているのだろう。
クシナガル

日本寺(入り口に日本語の看板) チャイ屋さん
ルンビニを訪れた後、何故か急に仏教づいてしまいそのまま印度との国境を越えクシナガルへ向かった。ここは
釈迦の涅槃の地であり、市川昆の『ビルマの竪琴』(新旧とも)にも出てくる釈迦の大きな涅槃像の御本家がある
土地である。
インドには幾つかの日本寺がある。クシナガルにもそのひとつがあった。写真の看板には『インド・日本・スリランカ
仏教センター』とある。中には「日本山妙法寺」と書いてあったと記憶している。
毎日散歩ついでにに寄っていた。だれもいないし、誰も来ないので広い入り口土間で、当時勘案だったストレッチ
(股割り)をしていた。
始めて3ヶ月目ぐらいでまだ脚も充分開いておらず、前に倒した胸も敷石につくにはほど遠かった。その後、3ヶ月
ほどして、ある朝突然成功した。
今も逆立ちに始まる、朝の体操のメニューの中に組み入れている。
ここでも仏教寺院の巡礼宿に泊めてもらった。小さな村で近くに食堂らしきものもなく、頼んで寺の前にあった
チャ
イ屋
のおばちゃんに食事を作ってもらっていた。

散歩道
(21Jan00)