(5)

  あれこれ
                      
                    


建国50年

 
北京では今年の国慶節(10月1日)は1949年の建国から50年目にあたるとして祝典が盛大に催された。しか
 し、4000年の歴史を持つといわれている中国で、何故今、建国50年なのかという疑問を持つヒトははあまりい
 ないように思われる。

 日中国交回復当時の興奮はとうの昔になくなっているし、中国にそれほど興味を持っていないのが普通の日本人
 であり、それで当たり前でる。
 むこうがが50年と言っているのだからどれでいいじゃないの、というところか。それでいて、この国では「中国4000
 年の歴史」といった形容詞をつけて、今の中国が語られることが多いようである。


 「中華人民共和国建国50周年」とは文字通り、中国共産党が武力で作った国が建国以来50年を向かえたという
 ことで、中国(
華人民共和)とは若い国なのである。
 
 それはイタリアがローマー建国以来二千**年と言わないのと同じで、今そこにある国が昔その地にあった国と
 の継続性をもたない別の国だからである。


        ☆

 一方、武力で前の政権を倒したという点では似ているが、日本の薩長政権は過去のそれぞれの幕府がそうであ
 ったように維新時においては大陸とは違った答えをだしている。明治政府は徳川幕府が持っていた政権と共に、
 その債務や外交をそのまま引き継ぎ、千数百年来続いてきた日本という国の正統な相続人であるとを内外に宣
 言しているのである。

 明治政府にはこの前政権からの継続性があったから、50年も経つ頃には薩長政府は日本政府へと移行すること
 もできたのだと思う。時の流れと共に薩長政府のもっていた地域性、党派性を超えることができたのだろう。

 あたりまえだが自民党の単独政権が倒れて連立政権ができた時も、新日本国の建国宣言を出すなどということ
 はおこなわれていない。政権のありどころが代わっただけである。

 ところが、中国はいまなお共産党の一党独裁が続いている。それは共産党が即中国政府であり、過去の王朝と変
 わりがないからなのである。政権交代の可能性がもあるかぎり、複数政党制など取りたくもとれないでいる。
  (19Dec99)



 蘆溝橋(マルコポーロ・ブリッジ)  


   

   マルコポーロが世界一美しい橋と誉め称えたことからこの名がある。
   日本人にとっては日中戦争の勃発地としての意味の方が重い。
   日、中
(国民党軍)どちらの方でもなく、どうも共産党が打ちこんだ弾だ
   ったらしい。当時、まだ外国人への開放地区に入っておらず、ローカ
   ルバスにもぐり込んだ。(83年冬) 



 所得格差

 池袋界隈にとどまらず、東京のほんのちょっとしたラーメン屋や料理屋にも中国人がアルバイトなどで入りこんで
 いるのに驚いたことがある。大陸からの密入国者があとをたたない時代である。また就学生や留学生などの、正
 規の身分を得て入ってくるものも多いのだろう。

 日本に来る留学生の出身国のトップは常に中国が占めている。彼らが国外にでる理由もさまざまなのだろうが、
 そのひとつに国内外の所得格差があるように思われる。日本で2年働いて中国に帰ればあとは利息で暮らしてい
 けると、ひところよく言われていた。


       ☆

 アメリカがひとりあたりのGDP金額で日本に追いぬかれた10年程前から(去年は再逆転した)、その影響力下に
 ある世界銀行などがこの数値を購買力平価で捉えるべきだと主張しはじめ、国毎にある補正係数を掛けてこの
 数値を再処理するようになった。

 この方式で計算されると物価の安いというか、通貨の価値が低い中国や韓国などのGDPが補正後に高くなって
 くる。こうして出てきた数字をみて、二十一世紀は中国の時代といわれる根拠のひとつとされている。もっとも、
 十九世紀末にも二十世紀はブラジルと中国の時代と言われていたという記述をどこかで読んだことがある。

 しかし、米の味などの違いを無視して単に米1kgの価格を単純比較して、補正係数がだされていたりするととんで
 もないことになる。
 

      ☆
  
 美味しい米を作るためにはそれだけの研究がなされ、現場(農家)の気遣いや労力も大変なものだろうが、そうい
 った点は考慮されているのかどうか。消費者に渡った米に石などが入らないようにするのにも技術も人件費もか
 かっている。
 
 同じ日本国内でもブランド米と米作りの北限と言われる北海道のそれとは味の違いも大きいが、これを同一に扱
 われたのでは生産者も消費者も救われない。

 汽車の料金なども同じである、最近は変わってきたとはいえ、列を乱すからといって駅員が客を蹴とばしてしまう
 ような鉄道会社のそれと、JRのそれを一緒にしてキロメートル当たりの料金が比較されても変なものである。

 輸入品についても同じことで、なるほど中国向けに少し質の落ちた製品を安く買ってこれることはあっても、同質
 のものを同じアフターサービス付きで購入するには、他国と同じ代金を払わねばならない。

 購買力平価でみるとひとりあたりGDPが中国が2800ドルとなり、日本の22.700ドルの8分の一になるが、現地を見
 る限り単純数値の760ドルの方が現実を表しているようである。なによりも、2500ドルを超えるような豊かな国
 では日本のODAの対象国とならないのではないか?

 日本が4万ドルである。約50倍の差がある。この差が中国人を日本に向かわせている。
 (18Dec99)



 在住外国人のストレス度 
 
 
最新号のReview誌(Far Eastern Economic Review /16Dec99) が届いたので眺めていたら面白い記事があった。
 香港のPolitical & Economic Risk Consultansy (政治経済危機 顧問) というコンサル会社がアジアの各国のさまざ
 まな企業・組織で働く外国人管理職の感じるストレス度を調べた結果を発表したという。

 対象となっているのはアジアの12カ国。ストレスレベルを10段階で示しているのだが、そのトップというか最悪が中
 国で働く外国人管理職のそれで8.0ポイント。
 日々の中国官僚主義との戦いと高まる市場競争にストレスの方も昨年の7.3ポイントから上昇していると説明し
 ている。

 ついでベトナム、韓国、インドネシア、インドと続いている。見ればみるほどなるほどと納得させられる順序である。
 その後に香港、タイ、台湾、フイリッピン、マレーシアと比較的緊張度の低い国が続き、最もストレスが少ないのが
 日本にいる外国人で3.7ポイント。

 昨年の調査では日本での彼等のストレス度は5.7ポイントあったそうで、何故、一年でこう様変わりしたのか理由
 は不明とのこと。他所だって同じだろうに、日本での生活に慣れて来たのだろうと訳のわからないことを書いている。

 ちなみに昨年の5.7という数字は今年の香港とタイの間の位置になるが、昨年の他の国のポイントや各国の順位
 は載っていないのであくまで参考まで。

 それにしても中国である。
 (16Dec99)

                         

                      Far Eastern Economic Review (16Dec99号)

         

 


 中国米飯

 
先日、タイから中国に抜けて香港に出た時、昆明で2泊、列車内で2泊しているので、それだけ向こうの食事をと
  る機会があったわけだが、昆明での最初の食事のときにふと思い出して気をつけたことがあった。が、すぐに、
  「もう、そんな時代ではなくなったんだな」 と気づいてその後の移動中忘れてしまった。

  ひと昔前になったが、80年代は安い飯屋で食事をしたり、列車の車内食堂や弁当を買って食べるとそのご飯に
  よく小石が混じっていたものである。ガリッ、ときてから、「あっ、またやった!」 。

  自分が通っていた範囲では、安心していたのは北京の華僑飯店 の食堂ぐらいしかなかった。このホテルにいた
  時はドミでベッドひとつだけ借りて暮らして(?)いたのだが、ご飯がおいしかったので少々値段が高かったが下
  の食堂によく通ったものだった。外資の入ったところや、偶に行った北京飯店などの一流ホテルなどではこうし
  た石の問題はなかったようだ。(異論があるかも)


  旧満州から日本人孤児(といっても、当時既に中年である)の肉親捜しのための来日が始まった頃の話だが、
  日本政府からおこずかいが出ていたのだろうが、日本での活動を終えた彼らは帰国時には、みんないろいろ
  お土産を買って帰ったようである。ある新聞で、そうした土産の中で最も人気があったのが日本の米だというこ
  とが書いてあったのを読んだことがある。

  去年だったか一昨年だったか、神戸と上海との間の定期航路でも船に美味しい日本の米をお土産として積ん
  で帰る中国人客が多いというコラム記事を読んだことがあるので、初期に来日した日本人孤児にとって、母国
  の米のうまさはまさに驚異に値したのだろう。
  
  ところで、先の記事曰く、この孤児達が帰国前になって土産品をまとめはじめ、その時、宿舎だった代々木の青
  少年会館のホールで新聞紙を広げて買ってきた米を袋から出して何かを選別するような作業をしだしたのだと
  か。

  これを見て彼らを手助けしている日本人のボランテアが不審に思い問うたところ、米に混ざった小石を取り除こ
  うとしているのだとの返事がもどってきて絶句したと。
  
  きっと、当時の中国では米を買ってくると、自宅で小石を除くのがあたりまえのことだったのだろう。
  現在、中国の食堂などで供されるご飯から完全に小石がなくなったとは思わないが、時代は変わりつつあると
  いうことか。
  (11Dec99)




 唐家セン氏

  司馬遼太郎の『長安から北京へ』(中公文庫)という本を手にとって、パラパラとめくっていたら、唐家セン(王へ
  んに旋)の文字が眼に飛びこんできた。ちょと待てよ、これは今の外交部の長官(外務大臣)の名前ではないの
  か。
  
  この本は司馬氏が1975年に井上靖を団長にした日本作家代表団の一員として、中国を訪れたときの印象記
  である。ここに、彼が現長官を、
  
    『唐氏は北京大学で日本語を修めた人で、新鋭の理論物理学者といった感じのひとである。この人が、私
     どもの旅行を通じ、私どもの世話をする工作員たちの責任者で、まだ三十代の若さながら異数なことに、
     もう協会の理事になっているひとだった。
     唐氏は多能なひとのようである。そのいろんな能力の中でも儀典などの指揮をやらせればきっとうまいだ
     ろうと思われるような、そういう意味で固ぐるしさも持っている。・……』(P63〜64)

  と、紹介している。「儀典の指揮」・・・、=外務省の役人。なるほど、さすが司馬先生。人を見る眼は確かである。
  
  それより、この唐氏については、二三ヶ月程前にNHKのインタビューを日本語でやっていたのを見て驚いていた
  のである。ひとつは韓国や北朝鮮の政治家や役人なら絶対にこうした場では日本語など使いたがらないのに、
  中国人はそうでもないのかという驚き。
  
  もうひとつは、この人の日本語が幼い時から日本語教育を受けた人のそれと違って、外国人のそれだとわかる
  にも関わらず非常に滑らかなのである。なんでや〜、と不思議に思っていたのだが、なるほど、北京大学か、
  日本語専攻なのか。
  (08Dec99)

            

                    

   北京大学勺園留学生寮食堂 Jan88           天安門                   天壇 

   知人(撮影者:日本人男性で学者の卵)に会いに行ったときのもの。
   客人用のコーナーなので白いテーブルクロスが敷いてある。
    北京大学の写真はこれしか手元にない。
    外に出たとき、北朝鮮からの留学生が5,6人集団で列を作ってどこかに向かって歩いていったのとすれ違った。