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回 教
泉 州
泉州に行ったのはひところ「東方見聞録」(マルコポーロ)にはまっていたからで、この本のなかでザイトンと呼ばれ
ているのが泉州である。南宋の時代から世界一の繁華な港と呼ばれており、アラビア商人たちも多く住んでいたと
いう。元朝を通じてこの街にはイスラム寺も数多くあったという。
明末には鄭芝竜がこの街からでている。平戸で日本娘との間でできた子供が鄭成功。近松門左衛門の文楽、『国
姓爺合戦』の主人公。台南にはオランダのゼーランデイア城の跡とともに、それを落とした鄭成功の遺跡が多い。
出来たばかりの徳川幕府は明の遺臣からの援助の要請は彼を含めすべて断っている。秀吉が先に北京を落としに
行って朝鮮でつまずき、それが豊臣家の没落を招いた前例の記憶がまだ生々しかったからでもある。
☆
下にだした写真、「開元寺」に関する記載があるかどうかを確認しようと、本棚を探してみたがこの本が見当たらな
い。何処かで失くしたてしまったらしい。これで2冊目になる。二三の出版社から」文庫本ででていて、手軽に何処に
でも持って行けるので国外にでるとき持ち歩くことも多い。なにかと想像力をかきたてられることも多く、飽きない本
のひとつである。
開元寺にはちょうどアメリカ人のグループが来ていて、ガイドが仏像かなにかを前に説明をしていたようだった。
(23Dec99)
イスラム寺入り口(内部から) 開元寺 五重の塔
(1986)
格子の門扉にイスラムカーブが見える
中国の回教徒
中国には今も800万人の回族(イスラム教徒)がいるという。新彊のウイグル族を除き、彼らは朝鮮族、白族、蒙古
族といった他の少数民族と違いいまでは固有の言語をもたないし、DNA的にもひとつの民族というよりイスラム教
徒であることでひとまとめにされて回族と呼ばれているようだ。
元々は唐や宋、元の時代に中央アジアから入ってきたペルシャ人であり、トルコ系の住民であったり、またアラブ人
であったのだが、1000年後の今ではイスラムを信仰するという点をのぞくとほとんど漢族化してしまっている。また、
漢族であっても、領主がイスラムであった場合などは改宗していったものも多いという。
馬(マ)姓のひとはまず回族だと考えてよさそうだ。モハメッド(Mohamed)からきているのだろう。
彼らが多いのは華北、昔の中原地域、甘粛、新彊、雲南などだが、清真食堂という豚肉を使わない回族専用の食
堂が各地にあるとこからみても、彼らは全国どこにでもいるようである。
自分もよく寄って饅頭や麺を食べることが多い。この11月にも昆明で朝の散歩をしていて、ラーメン屋さんがあった
ので入ったら清真食堂だった。
注文するときに、下手な中国語に海外から来た異教徒だと店の女の子にはすぐにばれてしまったが、ちゃんと朝食
を摂らせてくれた。 しかし、はっきりいって、不味かった。やはり朝食はお粥の方がいい。
(23Dec99)
