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  大陸散歩 Nov99


中国入境

ほぼ10年ぶりに大陸に入ってきた。天安門事件後、香港までは来ても国内にはほとんど入らなくなっていた。今回、
使用期限切れの迫ったJALの切符でバンコックまで飛び、一泊後チェンマイまで夜行列車で北上する。

タイではいつもの宿に泊まり、いつもの飯屋で食事。ホテルや飯屋のおねえちゃんやおばちゃん達も何時の間にか
顔見知りになってしまった。知る人ぞ知る、例の名前だけ大げさな「北京飯店」の主、スワニーなどもう十年前からの
知りあいである。もっとも、ここには最近はBKKを訪れてもあまり行かなくなったが、それでも8月に一度顔を見せて
いる。

笑顔で迎えてくれるのもいれば、なかには突っけんどんなのもいるが、顔をだせば、ときには数年も間を空けている
のに、「また来たのか!」 という向こうの気持ちが伝わってくるので、つい知っているところに足がむく。
全く開拓精神に欠けており進歩も発展もないが、こちらは旅行者というよりちょっと散歩に出かけて来ているつもり
なので、それで良しとしている。

チェンマイの中国領事館でビザを取り、昆明にはTG便で飛んだ。雲南には、むかし、三ヶ月ほどいたこともあり、
昆明も知らぬ町ではない。

ここから列車で2泊かけて広州には早朝の到着。あの物凄かった盲流の群れも何時の間にか消えていた。ここも何
度も来た懐かしい町だが、先を急ぐのでそのままバスで珠海に出る。歩いてマカオに入り返還前の町の姿をちらりと
のぞく。そしてジェット船で香港へ。

香港ではもうクリスマスと新年(2000年)の飾り付けが始まっていた。
客足が戻ってきているのか、ホテルの値が上がっていた。
(01dec.99)



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         バンコック ファランポーン駅                     マカオの石畳   


      1) 運河を越えた左後方に最近の常宿スリクロンホテル(京華大飯店)が見える。
        何故かここはチェックアウトタイムがPM6h00なので夜汽車や飛行機の深夜便に乗るのに便利。
        もっとも、もともと安い宿(550バーツ、約1500円)で、必要な時はどこの宿でも超過料金を払っ
        て居座っているのだからあまり意味はない。
        ただ、街でツクツク(三輪車)やタクシーで戻る時、『駅へ』 と言えばくどくど説明もいらないのが
        よい。


      2) リスボンもいかにもヨーロッパの片田舎の国の首都という、少しうら寂びたような風情が悪くない
        街だが、香港の華やかさや騒々しさとは違った、しっとりとした石畳とラテン風の街並に、今回、
        マカオを少し見なおしてしまった。
        12月20日に中国に返還。1557年に明朝がポルトガルに割譲しているからおよそ440年ぶり。
        
        ゴア、マラッカ、マカオと順に東に伸びてきた大航海時代のポルトガルの最後の進出地が平戸
        になる。結果、生まれた日本の切支丹が江戸初期の禁教令で国を追われ、この街に亡命者と
        して逃れてきている。

        後にオランダに取って代わられてしまったがモルッカ諸島の香料貿易も元はといえばポルトガル
        の始めたものであり、スペインと並ぶこの当時の超大国である。今の東チモール問題も当時の
        名残のひとつ。
         また、台湾を『美麗島』というのもポルトガル語のイラ・フォルモサからきているという。
        
(14Dec99)
         



改革解放

昆明は13年ぶり。すっかり華やかになっていた。人民服姿などどこにもいない。街の中心部には高層ビルも林立
していたが、近づいてみるとかなり荒っぽい作りで国際水準にはほど遠い。こうしたビルのひとつに入っている
百貨店をのぞいて見たがデイスプレイもまだまだいただけない。昔の上海しか知らないが、南京路あたりにある
デパートなら今はもう少し垢抜けているのだろうか?

昆明の駅前通り(北京路)も駅に近づくにつれ、通りにたむろする女の子から声が絶え間無くかかるようになる。
「プーヤオ」と断っても、しつこく追いかけてくるのが何人もいる。

どうも平均的中国人に比して少しはポケットが暖かそうだと見られているのだろう。それに、向こうはその道のプロ
であるから、阿保面をした組し易い男であることを一瞬にして見ぬかれているのである。

外人発音からこちらが日本人と分かると、良い鴨と見なしたのか合わせた両手と一緒に首をかしげる格好までする。
未だお天道様が高い時刻である。商売熱心なのは分かるが、この人通りの中である。

闇の両替屋から声が掛かるのも昔から変わっていない。どうして外国人と判るのか、いつも不思議に思っていたこ
とである。プロなんだなあと感心する。

しかし、例えば同じく南の大都市という点からみて、博多の街の駅前通りで昼間からこの種の女性や闇屋のお兄さ
んがおおっぴらに道行く男に声をかけているなどということがあっていいのだろうか。

今まで共産革命、人民解放を錦の御旗に、国共内戦、大躍進、文化大革命などで数千万人もの犠牲者を出してき
たのも、こんな社会を作るため?

これもケ小平のいう「改革解放」の結果だとして・・・、今後、中国共産党はどんな社会を大陸に築こうとしているのだ
ろう。
(01dec.99)

   
            

              昆明の高層ビル 




中国鉄路

昆明で広州行きの列車に乗るべく駅に行って驚いた。1時間も前に着いているのに待合室の座席がほぼ満席にな
っていた。こちらは軟臥席(一等寝台)だから、他にも待合室があるのかと捜してみたがどこにもない。戻ってきて
空いた席を見つけて、やっと一息。

軟臥、硬臥、硬座。全ての席の待合がひとつになっているのである。もちろん遅くやって来た人には椅子は足りない。
しかし、昔は硬座席の乗客に待合室なんてなかったような気がする。2列に並ばされて列車が入ってくるのを待たさ
れ、列からはみ出た乗客など駅の職員から怒鳴られ、蹴飛ばされていたのである。小生もその被害者のひとりであ
る(鄭州83年)。中国も変わったんだなあという気がした。そういえば鉄道料金の外人割増価格もなくなっていた。


車掌の女の子も薄く化粧をしているし、垢抜けしつつある。もっとも、軟臥席は1両しかないが乗客が少なくて四人
席のコンパートメントにひとりでいると、この車掌嬢がやってきて席を移れと言う。
おいおい、それはないだろうと、「為什麼(何故)?」と問い返すと、少し詰まって考えるようにしてから、「便宜管理」
と答える。こういうことを乗客にサラリと言えるのもいかにも中国である。

黙っていると、こちらが日本人だから「管理」の意味が通じないのかと、英語の単語を頭の中で捜す様子をみせる
が、出来ずにコンパートメントから出ていった。
自分たちの都合で乗客の座席を変えてしまおうとするところなど、昔と全然変わっていないのが、何故か少しほっと
させてくれる。

「管理」という単語は「幹部」や「共産主義」、「経済」、「哲学」、「衛生」などと同様、日本から中国に渡ったゴマンとあ
る彼らにとっては外来単語のひとつなのだが、そういうことは教えられていないらしい。

そのうち予想通り熟年(老年?)の中国人がひとり、荷物を抱えてこちらのコンパートメントに移ってきた。
許さん、69歳である。旧満州の奉天(今の瀋陽)産まれの彼についてはまた別の機会に書くこともあるかもしれない。

ついで、車内は日本の鉄道公安官のような『制服』がやってきて身分証のチェック。これがまた若い『制服』で態度が
いかにも中国の官吏らしく横柄なので、対応はすべて英語にする。後進国の役人はどこでも自国民に対して態度が
大きいが中国も例外でない。また中国人は日本人と同様に英語コンプレックスがあるので、付き合いたくない人種と
はこうすると便利なことが多い。

汽車に乗るのに身分証のチェックというのもいかにも中国である。以前もやっていたかな?いづれにせよ、治安が良く
ないことの証拠のひとつ。もっとも、あれだけ貧富の差が大きくなれば、どこの国でも治安も悪くなる。
(03Dec.99)


            
            

                 何処の駅だろう? 

 


  携帯電話
  
  タイから昆明に飛んだとき、昆明空港で三十代(?)の日本人のカップルに出会った。こちらは日本への帰路と
  して中国に入ってきただけなのでガイドブックの類を何も持っておらず、どこに泊まるかと聞かれても、適当なと
  ころにとしか答えようもない。
  『じゃあ、ご一緒しましょう』 と誘ってくれたので、そこで闇両替をした兄ちゃんの車で一緒に市内に入ることに
  なった。

  翌日に大理に向かうという彼らと同じ安ホテル(昆明飯店)に部屋を取り、近くの安飯屋で夕食を共にした。餃子、
  青椒肉糸、麻婆豆腐の三品(いかにも日本人!)が山盛りで出てきて、それに、これも大盛りの白米、そしてビー
  ル1本で計23元(約280円、1$=8.4元)。

  機内で軽食を摂っていたこともあり、三人では食いきれなかった。ともかく、貧富の差が大きくなりすぎて、こんな
  安い店もゴロゴロしているが、一方でひとりで同じか倍ほど掛かる店もあちこちにある。

  ところで、先の闇屋の兄ちゃん、手に携帯電話を持って、こちらとの換金レートのネゴが行き詰まり破談になりそ
  うになるとケイタイ端末をこちらに渡して話をしろといってくる。
  
  空港には銀行がなく、お札を両替してくれるATMとクレジットカードのそれしか置かれておらず、そのレートがまた
  ひどく悪い。1$=約8元だったか。といってもこの国では公定レートは1本しかないはずなのだから、今から思う
  と記憶違いだったかもしれないのだが、何かで1$=8.5元という数字を目にしたような気がしていて、彼のだし
  た数字と折り合わせるのに揉めたのである。
  
  端末の向こうには英語の分かる女の子がいた。最初、この女性がボスなのかと思ってそのように話していたが、
  どうも話が進まない。そのうち彼女は通訳をしているだけだとわかった。
 
 中国にもいつの間にかこういう時代が来ていたのである。闇屋さんの携帯も驚きだが、英語を話せる若い女性を
  雇っているのである。もっとも、よくよく考えると両方ともこの商売には必要不可欠ではある。しかし、10年前には
  北京の中央官庁にも英語を話せる秘書嬢など、そう多くはいなかったのではないか。

  翌日、街にでるとあちこちに携帯片手に話をしながら歩いている若者を見た。公衆電話もけっこう目につく。こんな
  ものも昔はなかった。なにせ話相手となる個人の家に電話などなかったのだから。

  泊まった安ホテルのフロントにも英語を話す女性がひとり座っていた。
  街には厚底靴の女性も歩いていた。
  時代の移り変わりの激しさにおどろいた。
  (07Dec99) 



マカオ返還

メデイアは『ポルトガルの抑圧から解放されたという意識の強い現地では・・・・・』(JNN系)などと嘘ばっかり言って
いる。あれが抑圧なら大陸の人間の大多数は、既に解放されているはずの自分たちの立場を捨てても、今一度
抑圧されてみたいものだと考えるだろう。

現にマカオに渡りたがっている中国人はゴマンといる。そのためにマカオの手前の町、珠海に入る道路で身分証の
チェックまでして一般人の立ち入りを管理制限している。珠海に入れば次ぎはマカオだからである。

自分が広州から乗ってきたきたバスの乗客も、ここのチェックポイントで残っていた内の半数の六七人が検査に
引っかかって下ろされて市内に入れないでいた。周りに何もないところで下ろされて、彼らはこれから何うするのだ
ろうと思ったことだった。

毎日何本もバスが出ているのである。広州のバス会社も切符売り場で珠海までの切符を売るときには住民証のチ
ェックや労働証の提示などを求めればよいのにと思うのだが、売上第一になっているらしい。また、公安もバス会社
にそのむね注意すればよさそうなものであるが、そういう連携は中国人のもっとも苦手とするところらしい。それとも
このご時世のことだから、バス会社からそういうことを言ってくるお役所には袖の下でも渡っているのかもしれない。



1974年にポルトガルに社会主義政権ができたときにマカオを中国に戻したいと申しでたのを、当時は自由マカオを
どう扱っていいのか分からずに、香港問題がひかえていたこともあって、返還を断わったのは中国(周恩来)なの
である。
(インドネシアは、当時のごたごたを利用して東チモールを武力占領してしまっている。)

それに香港と違って、ポルトガルは阿片戦争をおこしてあの土地を中国から奪ったのではない。明朝がそこにポル
トガル人がいることに利点を見出して与えてしまったのである。
(20Dec99)


                 
                    
中国人観光客 Nov99

              
中国人観光客は香港のみならずタイにも多い。
                 チェンマイから昆明へのTG便はタイ観光から戻る中国人で
                 満席だった。
                 韓国もIMF体制に入ってから中国人観光客を受け入れている。
                 日本も団体客に限りツーリストビザを発行することになるという。
               観光産業にとって極東の新たなマーケットととして浮上してきた。