[ 目 次 ]      月刊・お好み書き 2003年12月号


リタイア犬の引退後の
生活の問題を考える


堺・泉北 荒山公園にてくつろぐユキちゃん
(写真撮影 伊藤 雄氏)

 松井ユキちゃん、18歳。18歳とは言っても、ピチピチギャルではない。むしろ、寝たきりのおばあさんだ。ユキちゃんはラブラドールレトリバーの元盲導犬。犬の年にして18歳というのは、人間の年で100歳をとうに超えているようだ。日本の盲導犬の最長寿記録である。今回、この最長寿元盲動犬ユキちゃんを”介護”する松井順子さん宅を訪問。リタイアした盲導犬が抱える問題に迫ってみた。

(文・写真 磯貝圭子)




 本誌7月号で、「盲導犬ポリーの引退」という私の友達の盲導犬の引退記事を書いた。それからしばらくして、本誌スタッフの笑福亭伯鶴が「引退した犬を預かる人は大変なんやで。僕の知ってる人がこの11月20日で、18歳になる引退犬を預かってはるんや。元盲導犬で18歳まで生きた犬はいてへんらしい。もし18歳まで生きたら、盲導犬の最長寿記録らしいわ。盲導犬を作るためには募金やら色んな啓蒙はしてるけど、引退犬のことて全然話題になれへんやろ。今度会いに行くからお好み書きの取材かたがた一緒に行かへんか」と言う。その元盲導犬の名前はユキちゃん。9月28日、伯鶴と大阪市の南、堺市の泉北ニュータウンにほど近い、引退犬ユキちゃんの今のお母さん、松井順子さん宅へ伺った。
 私たちが待ち合わせの泉北高速鉄道線深井駅へ到着すると、松井さんに連れられたゴールデンレトリバーの茶色の犬が待っていてくれた。「まさか?!何でユキちゃんが?」と思ったが、その子はサニーちゃん、1歳10ヶ月。彼女はリジェクト犬。リジェクト犬とは、盲導犬になれなかった犬、因みに引退犬はリタイア犬という。
 駅から徒歩10分一寸で松井さん宅へ到着。リビングの奥にユキちゃんの寝床があった。

 

★ユキちゃんとご対面★

 ユキちゃんはラブラドールレトリバーそのもの。白色に部分的に薄い茶褐色の犬。フローリングの部屋の中に敷物を敷いて貰い、同じ体勢を維持するのは苦しいらしく、ユキちゃんの体がより楽である様に、バスタオルを何枚か重ねて敷いてベッドにしてある。その上に前足を伸ばして後ろ足を曲げた状態で寝ていた。伯鶴は「いつ死んでもおかしない状態らしいで」と言っていたのだが、それほど重体のようにも思えないが、自分で立ち上がることは出来ないらしく、どうにか動く前足だけで少しずつ身体をずらせていた。

 

松井さんとユキちゃん

★松井さんと盲導犬★

 松井さんは1948年生まれの55歳。ご主人はただいま広島へ単身赴任中。息子さん1人との2人暮らし。
 彼女と視覚障害者との出会いは、以前住んでいた金沢から大阪へご主人の転勤で越してきたときから始まる。何気なく見た新聞のカルチャースクールの点字講習会へ申し込んだその日がきっかけだという。
 “点字”が縁で視覚障害者の友人も何人か出来たある雨の日、坂道を下ってくる盲導犬ユーザー(使用者)を見かけた。ユーザーの男性は何かの拍子に足を滑らせて転んでしまった。立ち上がった彼は、持っていた白杖で盲導犬を殴りつけ、叱りつけたという。彼は自分の不注意で足を滑らせただけで、盲導犬には何の落ち度もなかったように松井さんには思えたという。
 松井さんは言う。「今やったら『あなたそれはおかしいですよ』と言えるし、『こんな自分勝手なユーザーがいます。盲導犬のユーザーとしては不適格です』と、盲導犬の訓練所へ伝えることも出来ます。でもあのときは『盲導犬って大変なんやなあ。せめて引退したあとはのんびりとした幸せで健やかな日々を送らせてあげたいなあ!』 と感じた」

 

★寝たきりの犬を預かろう★

 これまた点字が縁で、大阪市西区の日本ライトハウス盲人情報文化センターでアルバイトをすることになった松井さんだが、ライトハウスの盲導犬を支えるボランティアグループ『ライトフレンズ』にも籍を置き、そんな縁で高齢のリタイア犬ユキちゃんの存在を聞いていたのだが、ライトハウスでの仕事もあり、寝たきりの犬にかかりっきりになれる状況にはないので、「私が2003年春にアルバイトが終わった時に、もし、元気やったら面倒見るわ」と伝えていた。そして、休みの日には訓練所の犬の世話をしようと思ったのだが、なかなか現地に足を運べない日々が続いた。しかし、いずれはリタイア犬を預かろうという気持ちを暖めていた。
 「犬を預かるにはお金がいる。おんなじライトハウスの犬を預かるんやったらあと2年間ここで働いてそのお金をここからもらっても間違いやないやろと思って」、2003年春までアルバイトを続けた。

 

★引き取られる迄の日々★

 ユキちゃんは神戸市北区で盲導犬として活躍し、引退後もユーザーが何とか最後まで面倒を見たいと、ユーザーと幸せな日々を過ごしていた(と思う)。しかし、ユキちゃんが高齢化でほとんど寝たきりに近い状態になり、ユーザーも全盲夫妻で寝たきりの犬の面倒を見るには限界もあり、彼女の生まれ故郷、大阪府と奈良県の境、楠木正成でお馴染みの千早赤阪村にある日本ライトハウス盲導犬行動訓練所に引き取られることになった。
 ライトハウス行動訓練所の役割はあくまでも、1頭でも多く有能な盲導犬を作ること。盲導犬との出会いで社会復帰できることを待ち望んでいる視覚障害者に盲導犬を提供するための施設だ。気持ちはあってもなかなか引き取ってきたリタイア犬に手厚い看護の手は回せない。とりあえず、職員室に程近い産室のような部屋に落ち着いたらしいが、前を通る犬を見かけると精一杯の鳴き声を出していたそうだ。やっぱり仲間が必要なのだ。一人では寂しかったのだろう。
 松井さんのアルバイトは続いていたが、相変わらずユキちゃんもライトハウスの訓練所にいた。しかも、ユキちゃんは高齢で寝たきりの犬。松井さんとユキちゃんの時間との闘いがあったが、春が過ぎ、松井さんは仕事も辞め、6月5日にユキちゃんは松井さんの手元にやってきた。

 

★サニーちゃんは介護犬★

 松井さんの家には、今、ユキちゃんの他に2頭の犬(前述のサニーちゃんと、ラブラドールレトリバーのルナちゃん)がいる。松井家は「今まで犬がいなかったお正月はないくらい、ずっと犬がいる生活をしてました」というくらいの犬好きの家族。02年12月に、強度な恐がりで盲導犬になれなかったサニーちゃんを引き取ることになり、何とか犬のいないお正月を回避することが出来た。ルナちゃんは、03年11月に松井家の一員になったばかりだが、まだ1歳未満の遊び盛りの子どもなので、松井家に来るのは、特別なことはしなかったが、ユキちゃんが松井家に来たときは、サニーちゃんが妙齢の雌犬なので、ユキちゃんとの相性がうまくいくかどうか「お見合い」をして、見事に相性バッチリということで、リタイア犬のユキちゃんは松井家の一員になることになった。
 さて、そのサニーちゃん。この子が、松井さん称して「介護犬なんです」と言われるくらいユキちゃんの毎日の生活の中で、重要なポイントを占めている。例えば、サニーちゃんがユキちゃんの周りをウロウロした時に、サニーちゃんの足やしっぽが何気なく(決して悪気ではなく)ユキちゃんに当たることが、ユキちゃんの体を刺激して、それが、リハビリテーションになっているようだということだ。また、傍目に見て、サニーちゃん自身「ユキちゃんは寝たきり」ということが分かっているらしく、決していたずらなどはしない。そういう意味でもサニーちゃんは充分、ユキちゃんの介護を松井さんと一緒にしていると言えるだろう。

 

★食べて寝てそして…★

 ユキちゃんの毎日の生活は、朝7時半に他の犬たちのゴソゴソし出す音で起床。8時半から9時にかけて朝食をとる。食事は基本的に3食同じ。(1)ドッグフード(2)『エスビラック』という犬専用の粉ミルク。この二つをお湯で溶かして(ふやかして)食べる。この基本食の上に、(3)さつま地鶏のミンチ(骨付き)(4)果 物(ラフランスやリンゴ、キーウイ)(5)野菜(茹でたさつまいも・人参・ブロッコリー)を時と場合に応じて、みじん切りにして一緒にトッピングして貰って食べる。食事は、4時間か5時間おきにたべさせることにしている。分量としては、成犬の3分の2程度ということだが、これはユキちゃんの場合、太ってしまうと足や体に体重がかかり、床ずれがおきるというので、この分量になっているようである。
 食事以外のユキちゃんの基本生活は「寝ているか排泄しているか」(松井さん談)。ただ、床ずれからウジがわくと致命的らしく、朝1回熱いタオルでただれないように全身を拭くことと、あと排泄の後、排泄部位を拭くことだけは松井さんが特に気を付けておられる。



自宅でくつろぐユキちゃん

 

★諸費用色々かかります★

 この排泄の度に拭くタオルは松井さん曰く「洗濯出来る量ではないので」使い捨てにせざるを得ないそうだ。このタオルの必要量が生半可な量ではない。体の下に敷いているタオルが、フェイスタオルにして、12〜13枚。排泄用として、フェイスタオルの半分に切った分が、10枚。こうして文章にしてみると、「そんなもんか」と思われるかもしれないが、実際ユキちゃんの排泄の後など丁寧にきれいに拭いてあげている松井さんを見ると、「そりゃ、使い捨てにしてもバチはあたりません」と思う。他にも、必要なものはあって、「紙おむつ」「(ユキちゃんの体の下に敷く)ペットシート」の二つだけで、実は一日500円かかるそうだ。これからの季節には「毛布」が欠かせない。こういうものを松井さんは、引退犬のことを知るユーザーさんや、個人的な知り合いの人から善意で貰っている。
 かかっている「お金」も生半可な金額ではないと思う。
 松井さんに最初に話を聞いた時は丁度冷夏と言われた夏が終わり、暑い秋の真っ最中だった。ユキちゃんは、基本的に室温・湿度が一定の所でないと暮らせない。25度の室温を保つためにこの夏松井家では、ユキちゃんのためにエアコンを買い換えた。
 具体的に例えば、電気代が前年度比16000円以上増、水道代が前年度比3000円から4000円増えた。他にも、前述のおむつ代、一日あたり400円の抗生物質代(これは、ユキちゃんの感染症予防のために飲んでいる薬)。
 医療費は、これとは別にかかる。他にも、前述の食費として1ヶ月あたり4000円のドッグフードとお肉(100グラム300円程度の肉を与えている)。こうするとざっと計算して、6、7万円くらい毎月かかることになる。ユキちゃんの誕生日に伺った11月20日は、「最近は気候がいいので、電気代も思ったほどかかりませんでしたが、これから冬場になると、また夏くらいの電気代がいるかと思うと…」と苦笑いの松井さんだった。

 

ケーキを上から撮った写真。
ユキちゃんの顔がイラストで描かれていて、
「ユキちゃん18歳おめでとう」の文字が
チョコレートで書かれている。

★いてくれて良かった★

 松井さんは、本当にユキちゃんが大好きで大好きで仕方がない。松井さん自身も、「ユキがいてくれてどれだけ私自身も助けられているか」と言われるし、「ユキのいない生活は考えられません。ユキがいてくれてよかったとおもったことは何度もありますが、ユキがいなければよかったのにと思ったことは一度もありません」と断言された。
 ユキちゃんの誕生日に、伯鶴と再訪した私だが、その時に、伯鶴が特注したユキちゃんの似顔絵の入ったケーキ(写真)を持って行った。この時の松井さんの喜びようといったら、”少女のよう”であった。そして、帰宅してみると、「松井順子・ユキ」連名で「18歳になりました」というメールが届いていた。これだけで、松井さんがいかにユキちゃんを可愛がっているか分かっていただけるだろう。しかし、勿論、ユキちゃん一頭だけを特別に可愛がっている風はない。

 

★みんなかわいい家族★

 ユキちゃんの介護をしながら、サニーちゃん・ルナちゃんの散歩をし、遊び相手をし、単身赴任のご主人憲三さんが帰宅しておられる天気の良い日には、ユキちゃんを台車に乗せて自動車で、サニーちゃん・ルナちゃんと一緒に3頭の犬を連れて、近くの公園に遊びに出かける。公園に行くと犬たちが、特にユキちゃんが精神的にリラックスするのか風や草の匂いをかいだり、他の2頭がそんなユキちゃんの周りを走り回っているのを松井さんは幸せに思っている。

 

ご主人に抱かれて車に乗り込むユキちゃん

(写真撮影 伊藤 雄氏)

★全てボランティア任せ★

 リタイア犬を預かるというのは、並大抵のことではない。第一、何の金銭的、物質的、精神的援助もない。「人生の最後を『看取る』」という最も辛く悲しい役目を“ボランティア”が引き受けている。
 2003年10月から補助犬法が全面施行された。あと10年もすれば、盲導犬以外に、聴導犬・介助犬のリタイア犬が出てくる。もちろん、人間同様、動物達も医学の進歩で高齢化が進む。本人(犬)の知らぬところで補助犬になって障害者のために献身的に尽くした犬の面倒を誰が、どうやって見ることになるのか?
 お好み書きでは、引き続きこの問題を追求し続けたいと思う。


 


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