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お好み記者独り言67
沖縄の戦後と「特別のご高配」

  夏休み、沖縄家族旅行の一日、豊見城市にある旧海軍司令部壕跡を訪ねた。44年に掘られた海軍司令部で、米軍の沖縄上陸に持久戦を続けるための地下陣地だった。全長450メートルの横穴=写真=に当時4千人の兵士がいて、戦後2400体の遺骨が収容されている▼司令官だった大田實少将は45年6月13日に自決するが、死の直前、海軍次官へ一通の電報を打つ。「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ワランコトヲ」。壮青年の全部を召集に、女性を看護婦烹炊婦はもとより砲弾運びや斬り込み隊にすら捧げ、一木一草が焦土と化し、食糧も尽きるまで献身的に作戦に協力した沖縄への思いだった▼四半世紀を経た77年5月、少将の孫にあたる大田聡氏が本土復帰後の沖縄を訪れ、「この三十年余り『特別のご高配』によって、この沖縄が本当に平和で豊かな島になったとは決して言えません。おじいさまの強く、そして深い意志を実現するのは、むしろこれからだと思います」との言葉を残した▼それからまた25年余り、四半世紀を繰り返し、日本という国は、本土は、私たちは、何をしてきたのだろう。恩納村の青い海で戯れていた私たちの上をも米軍機が幾度となく飛来した。沖縄戦による全戦没者数は、1万2千余人の米軍側死者を含めて20万余と言われる。(門)

 


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