私の手元に一冊の日記があります。表紙はなく、ひもで綴じられただけの、もう黄 ばんだ和紙に鉛筆で書きつけられた文面から、私が尋常小学校三年の夏休み一カ月の
日記のようです。昭和十四年(一九三九)―当時はまだ、太平洋戦争の開戦前で、 「軍国少女」と言えど拙い文章からは戦争一色の様子はうかがえませんが、「兵隊さ
ん」が身近にいたことはよく分かります。日記の一部を紹介させていただくとともに、 私の知人で疎開児童を受け入れた方から聞いた当時の話をお伝えして、この終戦の月、
八月を迎えたいと思います。
(丹羽 保子) |
八月十日 木曜 晴
朝から兄ちゃんのお友だちが大ぜい来て、お庭でせんそうごっこをしてあそんでゐました。しまいにほーすで水まきをして、四郎ちゃんが私に水をあたまからびしょびしょにかけました。
八月二十二日 火曜 雨
けふはひさしぶりの雨です。お百しょうさんは喜んでいらっしゃるでせう。私のお母ちゃんも大喜です。けふの雨は、あまりふりませんでした。支那の天津は大水で「日本の兵隊さんがきのどくだ」と、お母ちゃんがお話して下さいました。
八月二十五日 金曜 晴
けさ勉強を終った所へ大阪のおばさんが石切神社のお詣りのかへり道こられました。おばさんは、私のお母さんの病気がよくなるやうに、石切さんへお願いして下さってゐるのです。大きないちぢくをたくさん、買って来て下さいました。このおばさんは大へんやさしい人で、しらない兵隊さんにも慰問文や慰問袋を百ほど送っておられます。兵隊さんからも、たくさんたくさん感しゃ状をもらってゐます。
八月二十九日 火曜 晴
けさ、兄ちゃんと私と勉強してゐると、大阪のおばさんからお手紙が来ました。お母ちゃんによんでいただくと、おばさんのおうちへ兵隊さんががいせんしてこられるそうです。その兵隊さんは、出征なさる時、二、三日おばさんのおうちへとまられた兵隊さんです。兵隊好きのおばさんは、きっとうれしいことでせう。
写真説明(1面前文あと)=昭和14年8月25日の日記。おばさんは知らない兵隊さんにも慰問袋を送るやさしい人で…
■神戸・大阪から焼け出され■
私の知人の井上重男さん(大阪府堺市在住、70歳)は徳島県麻植郡学島村(現山川町)出身です。井上さんが小学校五年くらいのこと、本土空襲が激しくなる戦争末期、大阪、神戸方面より疎開して来た二十組の人たちを村が受け入れた話を聞きました。
◇
親戚、知人のない人たちは農家の馬小屋や牛舎、木屋(きなや、たきぎ小屋)を借りて住居にしていた。
農家は米、麦は供出に出すので白米だけを食べることは出来なくて、丸麦入りのご飯だった。
*牛馬小屋が住居*
供出には粒の揃った米を出すので、米を作っていても小米しか食べられず、その小米を疎開者に分けていた。
疎開者は山や土手まで、大人も子供も一緒になって開墾していたが、余りよいものは出来なかった。農家は米麦の供出代金と卵を売った収入しかなく、戦争中は苦しいものだったが、野菜なども気持ちよく分けてあげていて、喜ばれていた。
*洗濯は谷の水で*
空襲ですべてを焼け出された人は布団もなく、一切貰い物だった。洗濯石けんもなく、洗濯は谷の水でしていた。
村の人になじめる人は近くの家の風呂に入れてもらえたが、僅かだがなじめない人がいたらしく、その人たちは風呂にも入れなかった。
だけど子供たちは仲が良く、今の陰湿な「いじめ」ではなく、ガキ大将が泣かしたりはしたが、皆で取っ組み合いの喧嘩をしたものだった。
*子供たちは仲良く*
子供たちが食べ物が欲しいと云うと、桑の実を取ったり、畑のまだ小さいさつま芋を掘ってやったりしてよく父に叱られた。
魚が食べたいと言えば池の鯉や沢蟹を取ってやったり水路のドジョウの取り方を教えたりしたものだった。
疎開者の子供たちの学校の成績のレベルは高く、昔の成績表は優・良・可でつけられていたが、殆どが優であった。
服装は村の子供たちは目の粗い木綿の上下でお尻や膝につぎ当てのした物だったが、都会の子供たちの服装は良く、目だっていた。
*手製の藁草履*
靴はなく藁草履で、疎開して来た子供たちも手にマメを作りながら藁草履の作り方を習い、自作のものを履いていた。
この人たちも二年ほどして皆帰って行ったが、慣れない田舎の生活で大変だったと思う。六十年ほどが経っているが、皆さんどうしているだろうか。
◇
私も戦争体験者ですが、疎開者を受け入れた立場の人の話を聞くのは初めてなので、興味深く聞きました。
今年も終戦の八月を迎えます。今の大阪府八尾市に住んでいた私は当時、「きょうの編隊は大きいなあ」と大阪市内の空襲に向かうB29を見上げてはいましたが、実際に空襲を受けたことも家を焼け出された経験もありません。
しかし、私と同年代の人たちの戦争体験を聞くにつけ、戦争のことを語ること、聞くこと、そして伝えていくことの大切さを感じています。
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《係から》ご自身の戦争体験や、お父さんお母さん、おじいさんおばあさんからお聞きになった戦争の話をご寄稿ください。あの戦争を風化させないよう、「お好み書き」紙面でも伝えていきたいと考えています。
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