
来春の閉園が決まった「宝塚ファミリーランド」。全長1キロ、最高時速71キロを誇った大型ジェットコースターも、次々に現れる絶叫マシンに人気を奪われたか。阪急宝塚線と今津線、高層マンション群に囲まれたかつての「夢の国」は90年を超す歴史に幕を下ろす
=園内の観覧車から。写真はいずれも門田撮影 |
兵庫県宝塚市にある「宝塚ファミリーランド」が来春、閉園するという。親会社の阪急電鉄が先月、「神戸ポートピアランド」とともに、遊園地事業からの完全撤退を決めたためだ。宝塚ファミリーランドは1911年、阪急電鉄の創業者小林一三が始めた娯楽施設「宝塚新温泉」が前身で、宝塚歌劇もその出し物として誕生した。遊園地事業は、沿線の宅地開発や百貨店の展開とともに私鉄企業の集客術でもあったが、90年を超える「ファミリーランド」の歴史は、地元宝塚市だけでなく沿線都市をつなぐ地域文化の拠点でもあったはずだ。そして関西、
とりわけ兵庫、大阪で育った子どもたちにとって、デパートの屋上のあの遊戯 コーナーの何百倍も楽しいであろう「あこがれの楽園」「夢の国」だった。それ
が単に、一企業の不採算部門として切り捨てられようとしている。
(庄村有治、門田耕作)
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「宝塚ファミリーランドがなくなる? そんな馬鹿な!」。その真偽を確かめるべく、お好み編集スタッフは急きょ、宝塚ファミリーランドへ飛んだ。
□それなりの「にぎわい」□
暑いほどの陽気だった4月中旬のある日、平日の昼すぎの園内はベビーカーを押した若い夫婦や幼稚園児のグループなどで、それなりの「にぎわい」を見せていた。平日の昼間だから客層も客足もこんなものなのだろうが、昨年度の年間入場者数111万人は、ピーク時の74年度に比べて半分以下(阪急電鉄広報部)というから、往時のにぎわいは今の比ではなかったのだろう。今でも、ゴールデンウイークなど多い日には4万から5万の人出があるということだが…。
伯鶴と門田は銘々、11枚綴りの乗り物券を1000円で買った(入園料は別に1400円)。子どもの頃を思い出してみても、たくさんのチケットを持たせてもらえることはそうなかった。大人になっても、乗り物券の綴りを買うのはわくわくするものだ。とりあえず、ミラクルコースターという小型のジェットコースターに乗った(5枚=500円)。係の男性に「ファミリーランド、無くなるんですねえ」と水を向けると、「マンションになるんですわ」とポツリ。やっぱり新聞報道は本当らしい。
□マンション、商業施設に□
新聞によると「阪急は、約50億円かけてファミリーランドの遊戯施設を撤去。新たに商業施設やマンションなどを建設し、より収益の高い事業に転換する方針」(朝日4月10日経済面)という。
数両編成のミニコースターも乗客は我々2人を含む先頭車両の4人だけ。どの遊具のコーナーにも複数の係員が付いているが、客がいないところの方が多く、手持ち無沙汰で雑談を交わしている。ゲームコーナーは入り口に係員がポツンと座っている以外は人ひとりおらず、パラリラパラリラといったゲーム機の電子音が空しく響いているだけだった。
園を一望しようと、観覧車に乗った(4枚=400円)。フラワーホイールというすずらん型の観覧車は、冷房設備などはなく時代がかっていたが、高さは結構あった。2本のアームに10個ずつのゴンドラが付いているが、こことて10のうち2つ3つ、乗車していた程度だろうか。若い女の子と2人ゴンドラで密室状態ならともかく、男2人にはとても長い時間に感じられた。
最後に乗ったモノレール(2枚=200円)もしかり。1車両を2人で独占できたが、それがなんだ!
「子どもの頃の夢の国」
大阪府池田市・山脇信成
子どものころよく母と一緒に行った宝塚ファミリーランドが閉鎖になることを聞き、
思わずを耳を疑ってしまった。生まれてから阪急沿線を一度も離れたことがない俺にとってはファミリーランドはまさに、子どもの頃の夢の国であった。
5才半で弟が生まれる前は父が夜勤の週は梅田の阪急百貨店と宝塚のファミリーランドには母と頻繁に出掛けたことを微かに覚えている。恐るおそる猿山に近づいたことやいつもゾウのデカさに感動したこと、観覧車に乗って高いところに上がることが子どもの時は大好きだった。いちばん好きな乗り物は名前は忘れてしまったが、ボートに乗っておとぎの国に入って行く物だった。
特に夏は涼しくて気持ちがよかったなぁ。今みたいな口当たりの良いアイスクリームじゃなくてただ甘いだけのアイスクリーム(?)も売店で買うてもらって食べたのも記憶にある。そういう子どもの夢の国が消え行くことはとても淋しい。USJは確かに立派なものだけど、ファミリーランドに求められているものとはかなり別なものだと思う。
百貨店、ファミリーランド、歌劇団。これは、阪急沿線3点セット、と考えている人間は俺だけではないはず。子どもの頃のたいせつな思い出が詰まったものがひとつ消え行く淋しさ以上に、阪急沿線に住みつづけるひとりとして、改めて、現在の不景気を思い知らされることになってしまった。歌劇団は大丈夫なのだろうか。いろいろと不安が募る一方だ。 |
□ゆったり快適空間なのに□
「でものんびりしてていいなあ」と門田。だって、来ている子どもがみんなちっちゃくてかわいいし、若いお母さん方もイイ。悪ふざけの過ぎる中高生はいないし、へんなおっさんもいない(変なのはお前らや、と言われそう)。1時間も並ばないと乗れない遊戯施設を次から次へ走って回らないといけない東京ディズニーランドなんかにくらべたら、愛を語らうカップルや動物たちに見入る幼い子どもたちにとっては、よっぽどゆったりと過ごせる快適空間だと思ってしまう。
「どっかに温泉があった。入った記憶がある」としきりに言う庄村。歩きながら「だいぶ変わってるわ」と探すがそれらしい施設も形跡もない。「ほんまかいな。プールはあるけどなあ」といぶかる伯鶴と門田。それが意外や意外、89年3月まで本当にあったという。阪急宝塚駅からファミリーランドのメーンゲートへ「花のみち」を歩くと右手にある、今の西駐車場のあたりにあったそうだ。まさしく総合レジャーランドだったわけだ。
伯鶴はゾウに声をかけるがケツを向けられ、ガチョウやミニブタにも話し掛けるが通じるべくもない。ただ、伯鶴は園内に667匹いるという大小の動物たちの行く末を案じていた。伯鶴宅には猫が2匹、先住しているが、「虎でも引き取って、柱で爪を研がれたら、いっぺんに家が倒れるわ」。

すずらん型ゴンドラの観覧車。時間がゆっ〜たりと流れ、のんびりとした気分にしてくれる |
□動物の行き先めど立たず□
ファミリーランドの呼び物と言えば「ホワイトタイガー」。1951年にインドで発見されたホワイトタイガーは古くから神の化身と信じられ、見た者には祝い事や幸せが訪れると言われる。ここでは、85年にやってきたつがいのうちの1頭が最古参で、昨年1月に生まれたものまで7頭がいる。それも含め、まだまったく、動物たちの引き受け先のめどは立っていないという。
一角に「昭和十九年七月建立」と記銘された「動物碑」が立っていた。鷲とヤギらしい像が彫られている。年月から、戦争で犠牲になった動物たちだろうか、と思ったが、「そういう話は聞いていません。毎年2月の初午の日に神主さんを呼んで慰霊祭をやるんですよ」と職員の一人。閉園後に行く先のない動物たちのことを思うと、戦時中に薬殺されたという動物たちの悲運と、どうしてもイメージがだぶってしまう。

園内ではヤギやアヒルなどの小動物と触れあって遊ぶこともできる。小さな子どもたちや若いカップルには結構楽しい空間だ |
入園者に話を聞いた。大阪府富田林市から来たというふたりの女性(ともに60代)は、「ファミリーランドが閉園すると知って30年ぶりにやって来ました。確か最後に来たのは、小学生やった息子と遊びに来たときやと思います。独身時代も友達と何度が遊びに来たことがありますし、宝塚歌劇も見に来たことがあります。新しい乗り物がいっぱい出来て園内の雰囲気もずいぶんと変わってしまったけど、ここに来るとなんとなく昔を思い出しますわ」と言うと、もうひとりの女性も「なんか寂しいですね」と言葉も少なめ。
「気にかかる華やかでない動物の行く末」 笑福亭伯鶴
僕は、近鉄沿線に中学1年生まで住んでいた。そんな関係で、僕にとっての遊園地の思い出は、やはり近鉄沿線にあった所になる。
僕の中では、遊園地に上、中、並というランクを付けていた。
なんと言っても上は奈良市内にあるドリームランド。ドリームランドへ連れて行ってもらえるということが分かると、とにかく嬉しくてそわそわした。生まれて初めて海外へ行ったときよりも心がときめいたように思う。園内を1周する2階建てのバスやモノレール。昭和30年代後半である。当時の子供にとって、こんなすてきな、夢のような乗り物はなかった。
そして、世界1周をする船。ハワイアンが聞こえたり、原住民の音楽。ううーん、こんな書き方をしたらどんなものか伝わらない。つまりは、土人の太鼓や歌。今はもう、ステレオタイプをどうのこうのとクレームがついて、この世界1周が出来る夢の船はないらしい。
中は、菖蒲池遊園地。ここのメインは、ジェットコースターとウォータースライダー。小学生にとってはかなりハードな乗り物だったが、当時60歳代後半の祖父と乗っていたのだから、今から考えるとたいした物ではなかったのだろう。
そして、並は近鉄百貨店の屋上。ここのお気に入りは、飛行塔とお猿の電車。動物好きの僕は、運良く運転手のお猿のすぐ後ろに乗れたときは、一生乗り続けていたい気分になった。このお猿の電車も、動物愛護団体からクレームが付いて、今はもうないらしい。世界1周の船といいお猿の電車といい、クレームを付けるほどの問題ではないと思うけどなあ…。
さて、宝塚ファミリーランドには動物園がある。閉園後、猿山のお猿さんはどこへ行くのだろう。こんな経済状態だから、どこの動物園も経営が苦しいらしい。動物を引き取る余裕がないという話を聞いた。しかしまあ、象やホワイトタイガー、ライオンなどはどうにかなるだろう。駝鳥や水鳥、ポニーや山羊など、ハッキリ言って華やかではない動物たちの行く末が気になって仕方がない。 |

人気者のホワイトタイガー。見た人には幸運が訪れるというが、閉園後の彼らには幸せがやって来るのだろうか |
□寂しい、負けず頑張って□
60代女性と30代のその息子の”カップル”。「宝塚市内に住んでいますが、ファミリーランドなんて何十年も来ていません。でも、なくなる前にもう一度見てみようと思い、足を運びました」と母親が言うと、「やっぱり寂しいですね。他の遊園地も経営が悪いって言うし、結局USJの一人勝ち。東京ディズニーランドなども含めて、遊園地までアメリカ資本に負けているみたいで悔しいですよ。ここだけはずっと頑張ってほしいですが」と息子も憤りを交えて話す。
若い子ども連れのカップルにも話を聞いた。日本猿を眺めている大阪市内から来たという20代の夫婦。「私も家内も親に連れられて幼稚園のときに来たのが最初ですわ。なんかワクワクするような楽しい気持ちだったのは記憶にありますね。観覧車に乗ったり庭園でお弁当をひろげた覚えもあるなあ。息子はまだ1歳なんですが、ここがなくなる前に一度は連れてきてやりたいと思い、今日やって来ました。でも、平日やけど確かに人は少ないですね。USJに客を取られているんでしょうね。これも時代の流れでしょうか」と若い父親は話してくれた。

広場では女性スタッフと人気キャラクターの着ぐるみが子どもたちと遊ぶ。笑顔を振りまく彼女たちの活躍の場もなくなってしまうのか |
運営する阪急アミューズメントサービスに電話で話を聞いてみた。応対した男性(31)は、閉園については「残念は残念だが、儲からないというのであればある程度仕方ない部分もある」と諦めぎみに話した後、「今回の決定も阪急電鉄の決定で、私どもは委託されているだけで、これ以上、お話しすることはできない」というものだった。閉園を惜しむ、最後まで頑張ってほしい、という趣旨の取材だったつもりだが、対応のつれなさに意外な感じを受けてしまった。
□時代の新施設、企図言うが…□
親会社の阪急電鉄広報部によると、「今や、レジャーと言えば遊園地、ではなく、旅行やアウトドアなど家族での楽しみ方も変わってきている。そうしたお客さまの動向もにらんで時代に即した、お客さまに喜んでいただける新しい施設に変えていくという狙いもある」と話す。
「お客さまに喜んでいただける新しい施設」って何なんだろう。宝塚にUSJやディズニーランドは要らない。宝塚ファミリーランドは、宝塚ファミリーランドであり続けてほしいと願う。そう願うのは、閉園と聞いて慌てて出かけるような、我々利用者の側の我がままだとは思いつつ…。

宝塚ファミリーランドへ延びる「花のみち」。週末には1日千個のソフトクリームが売れる店もある.。両側の商店街にも、閉園は少なからぬ影響が出そう
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