[ 目 次 ]      月刊・お好み書き 2002年2月号


18才若き青年、競輪選手にかける夢

田中 敦子


 私はギャンブルが嫌いです。宝くじすら買ったことは一度もありません。「あなたって夢がないのねー」と言われたこともありますが、「お金はこつこつ働いて稼ぎ、節約するもの」が私の信条。その私が初めて川崎競輪場に足を運びました。それもこれも競輪選手を夢見る18才の若き青年宮原伸矢( みやはらしんや) クンと出会ったおかげです。彼は、自転車の練習をする一方、競輪学校の学科試験に向けて準備を進める毎日。その数学の試験のためのお手伝いをしているのが私というわけです。未知なる世界だった競輪の世界。そしてその選手になる夢に向かって日夜努力している若者の姿をお伝えしたいと思います。

(田中敦子)

 

見よ、この鍛え抜かれた太腿を。日々練習に励む宮原クン(18)。
愛車は昨年自分の体に合わせて特注した。

 

 18才の宮原クンは去年春高校を卒業して、10月に競輪学校の試験を受けた。1000メートルのバンク(自転車競技場)を走るテストで1分11秒2までが合格のところ、11秒5という惜しいタイムで涙を飲んだ。800人中、200位くらいという成績だったので競輪選手は遠い夢ではないという実感を得ることはできた。今、彼は午前に横須賀の実家から大磯まで往復85kmを3・5時間かけて走り、午後は三浦半島南の海岸わき道路を全速力で走り込む一方、2次の学科試験に向けて、数学、社会、国語の勉強に励んでいる。

 

●厳しい実技と学科の選考試験●

 競輪選手になるには、まず競輪学校に入学しなくてはいけない。そして1年間実技や法規等を学んだ後、晴れてレースに出場することができる。選考は全国の志願者から実技と学力テストで70人が、ほか別枠で適性検査・体力テスト(かなりの高いレベル)で5人が合格する。スピードスケート競技オリンピック出場経験者等無試験で合格する場合もあると言う。だから、今度のソルトレーク冬季オリンピックの期待の星である清水宏保選手がスケート引退後に競輪場で走っているということも、ひょっとしたらありうる、ということだ。自転車とスケートの選手の筋肉は似ているかららしい。

 

●迫力ある試合をテレビで観て●

 ところで今私は宮原クンに本人曰く「イチドモ勉強したことがない」という数学を教えている。耳だけでなく顔に2、3個ピアスをして茶髪の毛を立てているのが普通の18才だと思っていたら彼は初めて会う日に短い黒髪で現れた。一昔前のお嬢様にとっては好ましくてさわやかなスポーツ青年という印象。「全然できないっすから」と言う割に、高校受験間近の中学生よりも熱心に勉強している彼を見ていて、そんなに彼が本気でなりたいという競輪選手に興味を持った。
 −何故、競輪選手になりたいと思ったの?
「高校2年の冬に寝っ転がって何気なくテレビ観てたら、競輪の試合をやってたんですよ。そしたら選手の体が格闘技をやってる人みたいにすごくて試合も迫力があってかっこよくて、絶対なりたいと思ったんです。もうオレ選手になれなかったら駄目っすよ。ただのオヤジになっちゃいます。どうしても、あのバンクで走りたいです」。
 「両親の反対とかなかったの?」と神奈川県警に勤めていると聞いていたお父さんのことを思いながら尋ねると「高校3年になってすぐぐらいにはっきりと進路を決めて両親に言ったんですが反対は無かったですね。やるならしっかりやれ、と言う感じで。練習していてタイムが悪いと一日中親父が『ビール取って』しか喋らなかったり、ということはありましたけど」。 宮原君が小学校時代からずっとやっていたスポーツは野球。高校も野球で有名な学校に、推薦をもらって行った。母親の節子さんも認める通り、勉強はもちろん野球以外のことはなーんにもしてこなかった。競輪の選手になりたいと決めてから、選考試験まで1年半ちょっと。高校時代から自転車競技をやっていた他の受験者に比べて,不利だったのは当然だ。それであの惜しいタイムを出せたのだから希望が持てる。

 

午前は横須賀、大磯間往復85kmを3.5時間 かけて走る。
公道を走るために、競輪用自転車にブレーキをつけて。
スピードメーターもついていた。

 

●選手になるにも徒弟制度?●

 去年の4月からは、彼が師匠と呼ぶ森田真幸(もりたまさゆき) さん(31才) の下で毎日自転車の練習をしていると言う。森田さんは自転車競技会というところで紹介してもらった横須賀在住のプロの本物競輪選手だそうで、OKをもらって無償でほぼ毎日のように自転車のコーチをしてもらっているらしい。「競輪の世界も落語みたいに徒弟制度があるの?」と驚いた私はその師匠といっしょに練習している彼を見学させてもらうことにした。

 

●師匠はエリート競技者●

 「森田さんはこわそうな人が多い競輪界では珍しく、温厚でいい人なんすよ」と聞いていた通り、師匠は格闘技系ではなく色白のこれまたさわやかな青年だった。「僕は高校から部活で自転車競技をしてました。自転車で有名な藤沢の高校に行ったわけですが、1年の時から運よくインターハイにも出場。国体にも出れました。その後怪我とか挫折が無かったわけではありませんが、まわりの奴らから競輪選手になったらいいんじゃないかと言われたままになったわけです」と彼が言うのを聞いて思わず「エリートですねえ」と私は声を上げた。宮原クンとの違いを感じずにはいられなかった。

 

殆ど毎日、自転車を全速力で走る稽古をする師匠の森田真幸さん(左)と
弟子の宮原クン。時速60km近く出るという。

 

●19才で1900万円稼げる●

 森田さんから聞いた競輪選手の実態をお伝えする。現在日本全国で選手の数は4000人。一人1年間に30試合、1試合3日間の開催なので年間90レースを走る計算だ。一番気になる収入だが、「僕は競輪選手になって2年目19才の時に1900万円稼ぎました。独身だったし、高級車しか買うものがなくて」と教えてくれる。又年末にある「グランプリ」という4000人の頂点を決めるレースの優勝者の賞金は7000万円だと言う。まあ、それはトップのすごい人だけで全員というわけではないでしょ、と心配する私に、「でもだいたい1000万円はあると思いますよ。それに野球などと比べて結構選手寿命が長くて、40代くらいまでは走れます。怪我をしても1日1万円の補償が出るんですよ」と言う。ほー、そんなにいい仕事とは知らなかった。
 しかし、確かに世間の不況の影響が競輪界にも少なからず出ているらしい。毎年2回あった競輪学校の試験が去年から秋の1回だけに減らされた。年に2回100名ずつとっていた時代もあったことを思うと、今は1年に1度70人だけと3分の1ほどになってしまったというわけだ。また関西の西宮競輪と甲子園競輪は、閉鎖だそうだ。競輪場に足を運ぶお客さんが確実に減っているのだから、仕方がない。賭けるお客さんがいてこそ成り立つ仕事なのだ。

 

●時速60kmで夢に向かって●

 「なぜ宮原クンに自転車を教えようと思ったのですか」と尋ねると「それは、僕自身もちょうどもう一度しっかり気合を入れてやろう、と思っていた時だったからですよ。僕は競輪を純粋にスポーツだと思ってます。彼も真面目で熱心だし、本当に僕にとってもよかったんです」と彼は答えたが、それは宮原クンから聞いている森田さんへの言葉を思い起こさせる言葉だった。宮原クンもいつも、「森田さんが熱心に教えてくれるおかげっすよ。ホント森田さんでよかったです」と言っている。お互いにいい面を出し合って相乗効果を得ている、そういう感じが伝わってきた。「私からもよろしくお願いします。是非、彼を競輪選手にしてやってください」。私は宮原クンの母親になったような気分になって、思わず森田さんに頭を下げていた。 二人で喋っている横を宮原クンが自転車で全速力で駆け抜ける。「今60キロ近くは出てますよ」と森田さん。自転車で生身のからだで時速60キロで走る。風は痛いのだろうか。どんな音が聞こえるのだろう。宮原クンは夢に向かって顔をゆがめ、もがきながら走っていた。

 

●イザ川崎競輪場へ! ●

 さて、その森田さんが昨年12月に川崎競輪場の試合に出るというので見たことがない競輪場を案内してもらうことにした。宮原クンと競輪場の前で待ち合わせ、入場料の百円玉を自動改札機のようなものにすべりこませいよいよ競輪場の中に入る。想像していたものの、やはり中は中年以上の男性ばかりだ。見回すが、本当に女性らしき人は全くと言っていいほどいなかった。

 

●賭け方が分からない! ●

 レースとレースの間は30分間以上あって、その間に車券を買い、賭ける。所々にお立ち台のようなものの上に、年配の男性が立って何か叫んでいた。宮原クンが「予想屋ですよ。あんまり当たらないと、競輪場内で仕事させてもらえないらしいっすよ。ということは当たるんですかね」と小声で教えてくれる。「写真撮らせてもらえますか」と私が言うと「駄目駄目。ここで46年立ってて、週刊誌や何だのが写真撮らせてくれってよく来るけど駄目だね。そうさ、46年、もう71だからね。本当に当たるかって? 当たるさ。バブルの頃は当たるとお祝儀だってうん万円おいてってくれたこともあったねえ」と話はとめどなく出てくる。
 写真をあきらめきれずにいると宮原クンが「じゃ200円ですよね」と小銭を予想屋に渡して一枚の小さな小さな紙切れをもらっていた。宮原クンだってもちろん賭けたことなど一度もないのに。それで、台の上の鉛筆を取りマークシート式の投票用紙とにらめっこする。が、いくら見てもまず賭け方が分からない。「こういう時は聞けばいいんですよ」と彼はさっさと窓口に行き、予想屋から買った紙を窓口の女性に見せ「これどう書けばいいんですか」と聞いていた。
 私たちは客席ではなくて選手のスタートとゴールがよく見える金網によじ登って観ることにした。バンクは両端がすりばち状になっている楕円形のコースだ。選手がちょうど対角線の反対側から、黄色、水色、赤、緑などのカラフルなユニフォームを来て次々と現れる。スタートラインに着くとそれぞれが審判に頭を下げる。意外に礼儀正しい感じ。途端にまわりからヤジが飛んだ。「おーい、がんばれよー」。「隣のお姉ちゃんも、応援してやってよ。ヒガシさーんってさ。声援があれば選手もがんばるってことよ」とはるばる栃木から来たという男性は私にまで頼む始末。しょうがないから、黄色い声で「ヒガシさーん」とやった。「競輪、競馬、競艇。色々やったけどやっぱり競輪が一番だねえ」とその人はしみじみとつぶやいている。
 選手たちは1周400メートルのバンクを5周と25m走って勝敗を決める。3周半までは誘導員の後ろについてゆっくり1列で走っていたのが、残り1周半位で突然後ろの方を走っていた選手が仕掛ける。決まった距離を思いっきり走って速いものが勝ち、というのでなく試合のかけ引きがあるというのがいくら説明してもらってもよく分からない。
 が、勝負をかけてからの迫力はすごかった。全力をふり絞って体を左右に揺らしながら逃げきろうとする先頭選手と後ろから追い込む選手がもつれあう。そして、あっというまにゴールへ。そこでまたヤジだ。「何やってんだよぉ。バカヤロー」。選手と金網にへばりついている私たちとの差は10メートルもないから、きっとこの野次も声援も聞こえているだろう。
 宮原クンの車券の行方は?というと、他の多数の車券と同様ゴミ箱へ。予想屋だって当たらないからギャンブルは面白いんだ。
 さあ次はいよいよ森田真幸選手が登場の第9レース。テレビ画面に映し出されているオッズ表(配当率表で数字が小さいほど人気が高いことが分かる)を見に行く。残念ながらわが森田さんのところは大きい数字が並んでいた。拾った予想紙を見ても、彼の番号の5の上には◎●△のどの印もついていない。でもやっぱり森田さんを買わなくちゃ。そう決めた私は5番と一番人気の1番を合わせて車券を100円ずつ買った。私のギャンブル初体験だ。

 

競輪場内には箱の上に立って予想を売る人達が何人もいる。
小さな紙切れに鉛筆書きの「予想」は2百円。当たれば安い?

 

テレビに映し出されるオッズ表を観るお客さんたちと拾った馬券ならぬ車券

 

第9レース。5番をつけた森田選手がこの後追い上げる。

 

●「早くバンクで走りたい」●

 ゆっくり始まったレースが、一人が勝負をかけた途端、興奮のうずに飲まれる。後ろ7番手くらいにつけていた森田さんが追い上げてきた。あ、順位を上げていく。3位までに入ると、明日の決勝進出になると聞いていた。「キャー、もう少しガンバッテー」と叫んだ瞬間にゴール。1位はやはり一番人気の1番。その後2、3、4位が混戦でほとんど同時なのだが、多分タイヤ差位で3位に入っただろう。「やったねー。3位だあ」と宮原クンと喜び合った。こんな嬉しいことはない。ゴール後軽く1周する森田さんに「おめでとうございまーす」と声をかけると、恥ずかしそうに笑ったように見えた。
 それから着位を確認するため掲示板を見に行くが、森田さんが決勝に進出できることが、ただただ嬉しく興奮していた。すると「連単1−5」と出ているではないか。「じゃ、2位だったのー、信じられない。すご過ぎ」と驚いてもなおまだ自分の車券のことは忘れていた。それからしばらくして「ってことはひょっとして」と震える手
でポケットの車券を見直し、黙って払戻しの機械の前に立った。まだ半信半疑のまま車券を機械に入れる。ザーッと50倍以上のお金が出てきた。ホ、ホントに当たってしまったのだ。
 典型的なビギナーズラックだとは思ってみてもこのワクワクした感覚。きっとギャンブルってこれだから止められないのだろう。のめり込んでしまいそうで自分ながらおそろしい。興奮さめやらない私の横で、宮原クンは金網の向こうを見てこう言った。「こんなたくさんのお客さんの前で走れるって、いいっすよねえ。僕も早くバンクで走りたいっすよー」。
 こんなに心からなりたい職業があるって、ほんとうにいい!




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