No.63小泉内閣が誕生した4月26日夜の新閣僚の記者会見で、出てくる全員に「靖国神社に参拝するか」と質問していた朝日記者を指して産経は、首相がかねて「公式参拝」に意欲を示していたので、「アホウな質問」で「思想信条の『踏み絵』をさせようとしたのだろう」(5月6日斜断機)と揶揄した。 ◆ 「前倒し」は極めて遺憾 ◇ 「アホウ」の対極は「思慮深い」なんだろうか、首相は思慮を積み重ねた「熟慮」の結果、結局「終戦記念日の8月15日」という言を翻し、13日に「前倒し」して参拝した。献花料を私費で事前に払い、「公式」か「私的」は言わず、「内閣総理大臣 小泉純一郎」と記帳した。85年、当時の中曽根首相が公式参拝して以来、終戦記念日の首相の公式参拝はなく、現職首相の参拝自体も橋本首相以来5年ぶりとなる。 産経は、「これこそが異常な状態」(7日主張)、「国の命によって戦い、殉職した人たちを国の責任として慰霊する」という靖国問題の原点は、「国内外からどのようなクレームがあろうとも、この一点を揺るがせてはならない」(12日同)とし、「八月十五日の靖国神社公式参拝」実現(4月27日同)を主張してきたが、13日の参拝に「きわめて遺憾」「国民の信頼を損なうといわざるを得ない」(14日同)と失望する。 ◆ 責任追及、宿題注文 ◇ 朝日は「熟慮の結果だとして評価するわけにはいかない」「参拝そのものをやめるべきだった」。「『侵略を美化した軍国日本の精神的支柱』とみなす内外の人びとも大勢いる」靖国神社を「『不戦の誓いを新たにする』場としてふさわしいと、首相は真実、考えたのか」、「参拝する自分の『気持ち』を力説する一方で、隣人たちの『気持ち』を思いやる優しさが欠けていた」と批判した(14日社説)。 首相は参拝前、「『熟慮』というのは便利な言葉だなあ」と漏らしたり(15日読売政治面)、環境整備や内外の理解を求める努力については「『参拝してから考える』と認めた」(毎日14日社説)りするなど、およそ思考が働いているとは思えなかった。 毎日は「熟慮は結構だが、熟慮は言葉でするものだ。言葉で考えなければ熟慮は成り立たない」(10日余録)と言い、朝日も「気持ちに思慮と言葉がついてゆかなければ…」と「小泉改革」自体への危惧を述べる(4日社説)。 「首相は参拝をやめるべきだ」(7月12日同)としていた毎日は、「国益を重んじるなら、近隣諸国と友好関係をどう構築するのか」、「重い責任」が課せられた(14日同)と、朝日は「本質を詰めない。そのまま棚上げ」の気配のある中で、「宿題は早く、きちんと片づけてもらわねば」(27日同)と、ともに首相に注文した。 ◆ 宗教色ない追悼求める ◇ 読売が一人、「賢明な判断だった」と評価する。「中韓両国の反発や欧米の批判的な空気など、現下の厳しい国際情勢」を「総合的に考え」て、だ(14日社説)。直前、「首相はもう参拝を中止できない」との社説(9日)を掲げたのは、中国の「外圧」を意識してのことだった。唐外相の「やめなさい」発言で「参拝しないという選択肢は消えた」(14日編集手帳)と言う。 一国の指導者が戦没者を追悼するのがいつ、いかなる方法かは国内問題であり、「他国からとやかく言われる筋合いはない」とし、近隣諸国、特に中国との外交的対応に疑問を呈しながらも、「外国の元首も参拝できる、宗教色のない国立の追悼施設を設けることも検討に値する」(14日社説)とするのは、産経が、A級戦犯は戦勝国側が「根拠がない理由で一方的に決めつけたもの」(7月12日主張)などと感情的な分、妙にまともに響いてくる。 ◆ 敵をも祀る日本の伝統 ◇ 日本思想史の安丸良夫氏によると、「中世の仏教には『怨親平等』思想があり、敵方の死者も『平等』に供養する伝統があった」(8日朝日文化面)。中曽根内閣当時の「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会」メンバーだった哲学者梅原猛氏も、「敵を祀らず味方のみを祀る靖国神道は日本の伝統の宗教から逸脱している」と主張し、学界から出た委員はおおむね反対だったが、官僚出身委員の賛成多数で公式参拝是認の方向が出たという(11日毎日25面深層)。 産経は「戦没者をどのように慰霊するかは、日本の文化」だという(5月16日主張)。そう言えば産経にも注文があった。「なぜ靖国神社なのか? 産経には宿題が残っている」(26日産経、作家有栖川有栖氏)と。
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