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知ってもらいたい扶桑社版 『歴史・公民教科書』のこわさ!(上) 一貫した皇国史観 「ひめゆり部隊の少女たちまでが勇敢に戦って…」 |
よくよく聞いてみると、なんと点字本一冊を新しく作るとすれば、最低でも2〜300万円かかるらしく、改訂版なら4〜50万円で済むという。5人の子どもがいれば、一千数百万円か2〜3百万円という一千万円以上もの差がつくらしいのです。それで、やっと、納得できたのです。 しかし、もし、「つくる会」教科書を採択したいけど、盲学校まで採択してしまうと「予算が掛かり過ぎる」、それなら「点字本のいらない養護学校だけ採択しよう」というのなら、「教育より銭」という「銭勘定」で教育を考えている人たちが教育委員ということになる。なんと寂しいことではありませんか。
一、教科書も教材の一つ 教科書といえば、長い間「教科書を教える」のか「教科書で教える」のかという論議があります。しかし、「教科書も使って教える」ことが、基本だと思います。 子どもたちの興味関心や理解度は、単元(学習内容の一まとまり)ごとによっても、クラスや年によっても大きく変わるのが当たり前です。 そのような子どもたちに関心を持たせ、意欲をわかせ、理解を深めさせるのには、その子たちに応じた教材を作り提示していかなければなりません。目の前の子どもたちに合った教材でなければ、授業が成り立たないとも言えるのです。 教科書が、メインの教材としていいときもあれば、相応しくないときもあり、補助教材として使う場合もあります。授業はある意味で、生き物なのです。往々にして、多くの人に、「教科書を教えるのが学校」という思い込みがありますが、子どもたちの実態、興味を無視して、教科書を暗記させるようなことは、もはや通用しない世の中になっています。 教師の中にも、「教科書を教えていれば事足りる」と思っている人がまだまだいるのは現実ですが、教科書は、それまでの学習が身に着いているとして作られているため、一つ間違えれば、どんどん子どもたちを「落ちこぼし」て行くことにもなりかねないものなのです。 そういうことからも、生きた授業には、子どもたちの実態を踏まえ、「教科書も一つの教材」という思いで、授業を組み立てていく必要があるのです。
二、基本的な問題点 「つくる会」教科書には、教材として見て、大きな問題があります。それは、大上段に振りかざした紋切り型の記述であるということです。 今日の学習では、暗記型の学習ではなく、「自ら学び考える」力をつけていくことが学習の大きな目標の一つになっています。そのため各教科とも、「学習の動機づけ」(導入)や、「調べ学習」へのアイディアが重要視されています。しかし、「つくる会」教科書では、それらの項目での創意工夫が余りなされていないと言わざるを得ません。 つまり、説教調で書かれているので、考え方、学び方の幅が余りにも少なく、「教科書を教える」という古いやり方には、適していますが、今日の学習では、学ぶ側にも教える側にも使いにくい教科書であるといえます。 また、ルビの打ち方がおかしい、というより、無茶苦茶なんです。中学校では、小学校と違い漢字の配当学年が決められていないので、国語の教科書によって学ぶ学年が違っています。そのために、国語以外の教科書には基本的なルビのルールがあり、「小学校で学んだ漢字にはルビはつけない」「その教科書での初出箇所にはルビをつける」「常用漢字以外には必ずルビをつける」ということが行なわれてきています。 ところが、「つくる会」教科書は、この基本的なルールすら守れていないのです。「歴史教科書」の6ページから17ページまでの間(13ページは除く)で、なんと50ヶ所以上のルビの間違いがあります。全編だと数百ヶ所の間違いがあると言ってもいいでしょう。 それと、ページ数が多いこともおかしな点です。来年度から授業時数が減る中で、他社よりも2〜3割もページ数が多いのです。ページ数の多い教科書を使い、その上に「調べ学習」を入れていくことは、ほぼ不可能としか言いようがありません。使う子どもたちのことを全くと言っていいほど考えていないことが火を見るより明らかです。
三、「歴史」の問題点 余りにも問題点が沢山ありすぎるので、一部になりますが、書いていきたいと思います。 (1)国際公約違反 まず、はじめに、この教科書は国際公約違反なのです。 日本は、1982年に教科書検定基準に「近隣諸国条項」を設け、その後も93年細川首相「侵略戦争」発言や95年アジア諸国に謝罪した「村山談話」で15年戦争・植民地支配の総括を行ってきました。特に98年10月8日の「日韓共同声明」で小渕首相と金大中大統領は、「両国が過去の不幸な歴史を乗り越えて和解と善隣友好協力に基づいた未来志向的な関係を発展させるため(中略)両国国民、特に若い世代が歴史への認識を深めることが重要」と約束しました。 侵略戦争や植民地支配を美化し、戦前の「国史」教科書にできる限り近づけようとする「つくる会」歴史教科書はその点から合格させてはならなかった教科書なのです。 (2)「神話」を史実のように 史実と史実以外の混在です。堂々と「神話」が8ページも載せられているのです。これらのページには「神武天皇が進んだと伝えられるルート」の地図(この地図には建国記念の日の由来を記すという念の入れようです)や「日本武尊の東征したと伝えられるルート」の地図が堂々と揚げられています。おまけに「日本武尊」「黄泉比良坂」「天の岩屋戸」「スサノオの命」の絵を挿入して、あたかも実態であるかのようにイメージさせるのに役立たせています。 オオツゲヒメの食物発生神話のところは、神話の意味することを読み解くと言う視点から記述されていますが、残りの7ページ分のところではこうした視点では書かれておらず、神話をそのまま史実のように理解させようとするものになっています。 また、「アメノウズメの命が乳房をかき出して踊り、腰の衣のひもを陰部までおしさげたものだから、八百万の神はどっと大笑い」という古事記の内容を記載しています。中学校の歴史教科書で、神話の扱い以前に、果たしてこのような表現の引用が不可欠のものだったのか疑問です。 (3)女性や子供の記述少ない 「女性」や「子ども」の記述がきわめて少ないのも問題です。他の7社は「青鞜社」を取り上げていますが、扶桑社版は取り上げていません。婦人参政権についてもわずか1行にも満たない記述が2ヶ所にあるだけです。 与謝野晶子の記述はありますが、「あーおとうとよ、君を泣く、君死にたまふことなかれ」に対しては、「戦争そのものに反対したというより、弟が製菓業をいとなむ自分の実家の跡取りであることから、その身を案じていたためだった」と反戦詩ではないとしたり、「大正期の平塚らいてうらの婦人運動を当初支持したが晶子の人生観や思想そのものは、家や家族を重んずる着実なものであった」などと、家制度を尊重していたと強調したいらしい。ここまで捩じ曲げるかと思える部分です。 (4)少年少女が勇敢に戦う… 琉球王国と薩摩藩、琉球処分―沖縄県、戦場となった沖縄戦、戦後の基地復帰―など沖縄の記述については、他の7社に比べて、圧倒的に記述量が少なく内容も乏しいものです。他社では「写真で見る沖縄の歴史」(4ページ分・年表付き)や「江戸時代の琉球王国」で2ページ分取り扱っているなど、豊かな「沖縄」が展開されています。 沖縄戦では、扶桑社版は、「鉄血勤皇隊の少年やひめゆり部隊の少女たちまでが勇敢に戦って…」とびっくりする表現ですが、他社では「集団自決」やスパイ容疑についても言及しており不充分ながらも沖縄戦の実相を伝えようとしています。 アイヌ民族についても同じです。他社は近世シャクシャインの乱から最近の「アイヌ文化振興法」までの記述になりますが、「つくる会」教科書は記述量も少なく(全部合計しても10行分)、近代では、驚くべきことに「アイヌの人口約二万人」の記述がすべてという状況です。 他社では、アイヌ民族への同化政策や運動家の違星北斗・ユーカラの知里幸恵も紹介するなどアイヌ民族の文化や解放運動にも言及しています。 (5)皇国史観と天皇制賛美 先に述べた「神話」の復活をはじめ、「つくる会」教科書は他社に比して「大和政権成立過程」の記述が極めて長くなっています。長くなった分はすべて朝鮮、中国に対する「日本」の優位性を証明するための「ひたすらな言い訳と曲解」、そして天皇政権の「絶対性」を植え付けるための「強弁」に費やされています。その反面、朝鮮・中国との豊かな交流の証拠である「高松塚古墳」も「難波の宮」も記述されていないのです。 中世でも鎌倉時代の守護・地頭の設置について、「つくる会」教科書のみ「朝廷の承認を受けて」と書いています。もちろん、史実は「朝廷にせまり認めさせた」ものです。 また、天皇と武士の関係では、頼朝の権威には「清和天皇の血統を受け継いだ源氏の出身という要素も影響していた」としています。さらには、「頼朝は…朝廷をうやまい、天皇を重んじる姿勢を変えなかった」と書き、「こうした態度は後の武家の権力者の態度にも影響を与え、朝廷と幕府の関係の基本となるあり方を、長く規定した」としています。 これに対して、「天皇の権威への挑戦」をした足利義満は、「急な病気にかかって、むなしく世を去る。その後、代々の将軍から義満のまねをしようとする者はあらわれなかった」というのです。足利義満は明への朝貢(服属)を行ない、そして天皇の権威に挑戦しようとした道義にはずれた武家なのであり、そのために急死したというのです。ここで強調されているのも天皇の権威です。 近現代においては、「五箇条のご誓文」の「広く会議を興し」を「議会」と解釈し、立憲政治が意図されていたと美化しています。 大日本帝国憲法にかかわっては、華族制度(皇室の藩塀)の整備に触れず、憲法の原文も資料に示さず、主権が天皇に存することも言わず、内閣は天皇に責任を負うことを言わず、天皇に統帥権の存することが後に軍部の横暴を許したことに触れず、勅令の存在に触れず、国民ではなく臣民であることを言わず、貴族院が皇族を中心に互選され、衆議院と同等の権利を有し、結果、藩閥政府の独裁制を擁護したこと(例・地租改正法案の否決)に言及せず、臣民の権利が「法律の範囲内において」という条件がどういう効力を持つものかを言わず、むしろ「各種の権利を保障され」と強調されています。 また、教育勅語を「近代日本人の人格の背骨をなすものとなった」と評価し、日本の侵略・植民地支配と軍国主義を支えたことは当然示されていません。 さらに、「新聞、雑誌などのジャーナリズムでは、自由な言論が活発に行われた」としています。讒謗律、新聞紙条例、集会条例、出版条例、治安警察法はなかったというのでしょうか! 最悪は、昭和天皇の「聖断」です。彼の「聖断」によって悲惨な戦争が終わったとして、その偉大さが称えられているのです。しかし、1944年、当時の近衛首相の「戦争を止めよう」という進言に対して、「もっと戦果をあげることはできないのか」として戦争を続行させたのは、紛れもなく昭和天皇その人なのです。彼の「遅すぎた聖断」のため、沖縄での地上戦、東京・大阪等への大空襲、そして、広島・長崎への原爆投下があったのだということを私達は忘れてはなりません。 (6)侵略・植民地支配を歪曲 「つくる会」歴史教科書でもっとも問題な部分です。中国政府の修正要求はすべてこの部分ですし、韓国政府の修正要求もこの部分で多くなされています。 朝鮮半島を「大陸から突き出た一本の腕」「日本を攻撃する基地となるおそれ」という見方は、「その前に日本がとらねばならない」という論理を導くためのものです。朝鮮半島を「大陸から突き出た一本の腕」という見方があるのは驚きです。 韓国併合では、「イギリス、アメリカ、ロシアの3国は…異議を唱えなかった」と、あたかも国際的に認知されたかのような、しかも合法的なものとして書いています。 「韓国の国内には、一部に併合を受け入れる声もあったが、民族の独立を失うことへのはげしい抵抗がおこり、その後も、独立回復の運動が根強く行われた。韓国併合の後、日本は植民地にした朝鮮で鉄道・灌漑の施設を整えるなどの開発を行ない、土地調査を開始した。しかし、この土地調査事業によって、それまでの耕作地から追われた農民も少なくなく、また、日本語教育などの同化政策が進められたので、朝鮮の人々は日本への反感を強めた」と、植民地支配の経過や支配政策をこのように強制や侵略行為でなかったように書いています。 韓国が「歴史の歪曲」と言うのは当然です。日本へのはげしい抵抗、独立運動があったことは書いていますが、そのことに関する資料も写真もありません。搭載されている写真は朝鮮総督府の建物と韓国服姿の伊藤博文で、安重根も柳寛順も名前さえ出ていないのです。 朝鮮の「三・一独立運動」は、「アジアの独立運動」の小見出しで、ガンジーやネルーのイギリス支配下でのインドの自治要求と並列して、簡単に触れているだけです。しかも、「それまでの統治の仕方を変えた」という文化統治論を持ち出し、本質的には何ら変更のない力による植民地支配を、あたかも政策変更したかのように合理化しています。 同項では、中国の「五・四運動」も書かれていますが、単に日本がドイツ権益を受け継いだことだけに原因があるように書いています。別ページで対華「21か条要求」は確かに言葉として出されていますが、本質的な理解からはほど遠い記述のため、五・四運動の意味が読み取れなくなっています。 南京虐殺事件では、「12月、南京を占領した。(このとき、日本軍によって民衆にも多数の死傷者が出た。南京事件)」とだけの記述で、戦後の極東国際軍事裁判の項目で「この東京裁判では、日本軍が1937(昭和12)年、日中戦争で南京を占領したとき、多数の中国人民衆を殺害したと認定した(南京事件)。なお、この事件の実態については、資料の上で疑問点も出され、さまざまな見解があり、今日でも論争が続いている」と書き、日中戦争時の戦争犯罪ではなく、アメリカと中国によって過度に強調された、いわばデッチあげの戦争犯罪という印象を強調した形にしています。 また、アジア太平洋戦争のことをあえて「大東亜戦争」と言い、「大東亜共栄圏」を建国するための戦争と位置付けしています。ここにこの本のもう一つの目的があるといえるのです。 太平洋戦争のところは、批判も比較もいらないほど「怖い」部分です。一度、全文を見ていただきたいので、ここでは書きません。立ち読みでもいいので、ほんと、是非とも読んでみてください。(つづく) 次回は「もっと怖い『公民教科書』」について書きます。執筆の参考にした文献、ホームページ等については、次回にまとめて掲載します。
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