この4月、私は2ヵ月という期限つきでK小学校への代替講師を依頼された。受け持つのは病虚弱児学級。さっそく学校にクラスの状況を聞きに行った。在籍していたのは6年生なったばかりのMちゃんだった。 今から5年前の春、MちゃんはK小学校に入学した。少しおとなしいところはあったが、元気な明るい女の子だった。 ところがその年の夏、堺市に大きな事故がおきた。O157による集団食中毒である。K小学校の児童たちも、たくさんがその犠牲者となり、Mちゃんもその一人になってしまったのだ。1年生のまだ抵抗力の少ない体は大きなダメージをうけてしまった。その時の症状についてはくわしく聞かなかったが、腎臓の機能がこわれ、生死の境をさまよい、一度は医者からもう助からないのではないかと言われたわれたそうである。 約2ヵ月の入院のあと、数ヵ月ぶりに学校へもどってきたMちゃんだったが、後遺症のため以前と比べて疲れが出やすい体になり、学校も休みがち、勉強もすこしおくれてしまった。学校側はMちゃんの家庭と相談をして、学習面や健康面で少しでも配慮ができるように養護学級に入籍するようすすめた。 Mちゃんが1年生のときは、K小学校には情緒障害学級があり、そこに入ることになったが、Mちゃんの支援体制や障害のことを考えて、2年生に上がると同時に病虚弱学級がつくられることになった。普通、入級生が一人では養護学級はなかなか認可されないのだが、Mちゃんのケースでは堺市も全面的に彼女のケアに力をいれなければならないとして、すぐに認めてくれた。 新しくできた病虚弱学級の担任は1年生の時、通常学級の担任だったK先生。Mちゃんが最も安心して体のことやわからない勉強のことなどいろんな話ができるようにという、学校側の配慮だった。Mちゃんが先生とつけた学級の名前は「たんぽぽ」。いつも太陽をむいて笑っているようだからとMちゃんは話してくれた。 2年生以後、体は少しずつ回復してはきたが、抵抗力だけは回復がおそく、体育は参加できないので養護学級の時間にし、クラスの友だちと一緒にやることは少なかった。血尿が出るためプールにも入れず、6年生になった今でも「自分はプールに入ってはいけないんだ」という意識を固くもっていた。遠足や社会見学などの行事にも参加には配慮を要し、それでも行事が終わった後は体力を消耗し、長期に休むことが多かったという。また、体温調節の機能も弱くなり、冬場になると、少しのことで風邪をひき、治るのに一週間ほどかかるということだった。 6年になり、私と初めて顔をあわせたMちゃん、さすがにちょっと不安そうだったが、「優しそうな先生でよかった」と言ってくれたので私もほっとした。 Mちゃんが私と学習する時間は、一週間のうち、算数の5時間と体育の3時間で、合計8時間。算数は計算の基礎である1年生のときの計算力を克服するのに時間がかかり、文章題や難しい公式がでてくる計算は補習がいる。「6年の算数も最初ならわかるから、クラスでも勉強したい」というMちゃんの希望で、月曜日と金曜日は6年の教室で私が横について遅れることのないように助言し、間の3日間は毎日担任に進度を聞きクラスの授業にも遅れないようにしながら、今まで下学年で習得しなければならなかった学習の復習をした。 体育をどの程度参加するかについては、医者から説明を把握してくださっている保健室の先生にも相談して、できるものはクラスの中で参加して、過激な運動を行うときに教室にもどって独自のプログラムを行うことにした。4月当初のMちゃんのクラスの体育は、運動場の2時間は100m走やハードルがおもな授業だったので、準備運動を友だちと一緒に行い、後の時間、私と一緒に運動場を大きく一周回ってプレイルームへ移動、柔軟体操やストレッチ、ボール運動などを行った。体育館での授業はマットと跳び箱の台上前転。「できるところまでやる」というMちゃん。成長の過程でチャレンジ精神もついてのかなとうれしくなった。また、バスケットボールでも息をはずませるほど動くMちゃんを見て無理をさせないようにある程度で制止させなければいけないのも私の仕事だなと思った。 また、彼女の健康管理や自己管理能力をつけさせることも私の仕事だった。少しでも疲れると、後遺症から腎臓の機能が低下し、発熱や血尿がひどくなる。また、まだ子どものMちゃんは楽しいこと、がんばりたいことについつい無理をしてしまいがちになる。自分でセーブする能力をつけなければ中学生になり今までのようにずっと気を配ってくれる大人がいなくなったときに自己管理ができないと命にかかわることも起こりうるからだ。 5月の初め、Mちゃんが月末に転校することを家庭から知らされた。転居先は同じ市内だったので、一人学級で在籍者がいなくなってしまうことや、転居先の学校に病虚弱学級がないことから、学校長や教育委員会がMちゃんの家に出向いて残留や越境通学をお願いしたが、ただでさえ体力のあまりないMちゃん。通学に負担をかけるのはどうかという家族の意見に教育委員会も、受け入れ校の体制をきっちりしようという動きにかわった。 5月の半ば、6年生は合歓の郷に修学旅行に行き、私も付き添った。昼と夜や建物やバスの中と外での温度の差があったり、きついスケジュールの中で体調をこわさないか、夜も気分はどうかなど、四六時中特に気にかけておかなければならなかった。そんな中でMちゃんも、一人になってしまいそうな友だちをみつけては明るく声をかけるなど、優しい面をたくさんみせてくれた。担任の先生もよくMちゃんに「ちょっと○○さんに声かけてくれへんか」と頼んでいる。「体の弱かった時、たくさんの友だちに親切にしてもらったから、私もみんなに親切にしてあげたいねん」前にMちゃんが言ってた言葉をふと思い出した。K小学校でのさいごの思い出をMちゃんは一泊二日でたくさん作ったことだろう。 5月28日MちゃんはH小学校に転校していった。教育委員会が動いて、6月からはMちゃん専任の先生(短期臨時非常勤職員)がつくことになり、それまでの4日間は私がK小学校から出張という形で、進み具合のちがう算数の指導やさまざまな配慮に関する引き継ぎを行った。 先日、別の学校の養護学級に勤務することになった私は、堺市全体の小学校の養護学級児童が集まるレクリエーション大会に行き、久しぶりにMちゃんに会った。「もうすっかり溶け込んでみんなの面倒をみてくれているんですよ」という担任の話にてれくさそうに笑いながらも、「学校、ちょっと慣れたよ。友だちもできたし、楽しいねんで」という言葉に、私も少しほっとした。 (新野 貴子) |