[ 目 次 ]      月刊・お好み書き 2001年6月号


最初で最後の大銀杏

部屋の板間の断髪式、「7年間、お疲れさま…」

北勝峰の門出に私もハサミを入れた


 東京・両国国技館で夏場所後、6月2日の元関脇琴錦、3日元前頭北勝鬨、6日元関脇水戸泉と、かつて土俵を沸かせた関取たちの引退相撲が行われる。命を賭けて戦った土俵から、土俵を去っていく男たちの新たな人生が始まるのだろうか。引退といえば、私が一番仲良くしていた八角部屋の北勝峰が、3月の春場所後に引退した。最高位幕下2枚目。もう少しでお関取ってとこまで頑張っていたが持病の腰痛に悩まされ、気力が無くなったとのこと。場所前から、なんとなく感付いてはいたが、本人の口から「辞めます」って聞かされても、「お疲れさまでした」としか言ってあげられなかった。「気力が無くなった」と言えるまで、私には想像もつかないくらい悩んだんだろな…。お関取経験のない彼の断髪式は、国技館のような大きな会場ではなく、大阪・羽曳野にある八角部屋の広間で行われた。(堀井 美加子)
女人禁制の土俵上での断髪式とは違い、私もハサミを入れることができた

 3月26日月曜日、北勝峰の断髪式は2時頃からだというのに、「最後やから大銀杏を結うとこから写真撮ってやー」と彼に言われた私と友人は、会社を休んで昼前からかけつけた。


● いつもの場所後の光景 ●

 春場所千秋楽翌日の八角部屋は、いつもの場所後の光景だった。バスタオル一枚でウロウロしている力士。寝転んで漫画を読みふけっている力士。勝ち越したので昨夜は飲み明かし、二日酔いで寝込んでいる力士。中学を卒業したばかりで、まだまだ子供のようにじゃれ合っている新弟子たち。北勝峰が今日、ここで断髪を行うとは、私にはまだ信じられなかった。
 断髪式というものに初めて行ったのは、平成5年1月30日、『横綱北勝海(現・八角親方)引退襲名披露大相撲』だ。会場は国技館。友人の紹介で受付をさせていただいた私は、来場されるお客さんの多さに、まず驚いた。そして、来るわ来るわのお関取衆や有名人たち。分厚くなったご祝儀袋もたくさん受け付けた。土俵上では幕内力士の相撲があり、横綱も、仲良しでライバルだった寺尾関と最後の一番を取った。そして、多くの方たちが土俵上で横綱の髷にハサミを入れた。
 お関取を務め上げ、お客さんを呼ぶことのできる力士は、このように国技館で華々しく最後を迎えることができるが、北勝峰の断髪式は部屋の土俵上ではなく、土俵の上に張った板間の上であった。
 お昼頃、八角部屋の広間へ北勝峰が現れた。八角部屋には床山さんがいないので、東関部屋の床泉が髷を結ってくれる。幕下力士でも十両で取組がある時は、関取に敬意を示し大銀杏を結って相撲を取る。彼も何度か大銀杏で相撲を取ったことはある。が、今日は、彼自身のために結う最初で最後の大銀杏。アタマをやってもらってるあいだ、彼はどんなことを考えていたんだろうか。
 結い上がった最初で最後の大銀杏は、とても立派なものだった。


● 八角親方の留めバサミ ●
 
八角親方の止めバサミが入り、式は終わった
 広間に集まったのは部屋の親方衆、おかみさん、力士たち、行司。お客さんは大阪後援会の方々、そして私と友人3人。八角親方の「早過ぎる引退を自分も残念に思うが、今後の彼も応援してあげてください」との挨拶のあと、お客さんからハサミを入れていく。女人禁制の土俵上での断髪とは違い、私もハサミを入れることができた。
 部屋の力士たちにハサミをいれてもらい、声をかけてもらってるうち、彼の目から涙があふれる。彼の旅立ちを祝う日だから、泣かないでおこうと思っていた私も我慢ができなくなり、カメラマンという立場も忘れて泣いてしまった。
 部屋の仲間達も涙ぐんでいた。日頃はベタベタすることもなく、我関せずって感じの男の子達の、友情というか戦友のようなものが感じられて、また泣いてしまう。 八角親方の留めバサミが入り、式は終わった。涙でグシャグシャになった北勝峰の顔が忘れられない。
 「7年間、おつかれさまでした」
 私が北勝峰と最初に出会ったのは、彼がまだ髷も結っていない新弟子の頃だ。友人を介して八角部屋へ何度か寄せていただくうちに、何故かしら、彼と仲良くなった。筋肉質のがっちりした体格で、一見したところイカツク見えていたが、話してみると気の優しい「エエオトコの子」だった。


● 気の優しいエエオトコ ●

 大阪場所だけではなく、国技館をはじめ地方場所から巡業まで観戦に行く私たちと、彼は時間を割いて会ってくれた。自分の相撲だけでなく、雑用や後援会者とのつきあいで疲れていただろうに、相撲のこと、おもしろかったこと、彼女のことなど、いっぱい話をしてくれた。
 北勝峰の相撲は、師匠譲りの気風のいい突き押し相撲。相撲ぶりだけでなく、風貌も北勝海に似ているとよく言われていた。そして、いつの頃か、腰痛まで師匠から譲り受けてしまった。腰が痛くて稽古も出来なくなった彼は、八角親方も現役時代にされていた『冷凍治療』を受けるため、新潟まで何度か足を運んだ。『冷凍治療』とは、マイナス120〜130℃の冷凍室内に入り神経を麻痺させ、そのあいだにトレーニングを行うというものらしい。力士が2人で冷凍室に入ったときは、彼らの体温で、室温が20℃ほど上がったそうだが…。


● 勝ちっぱなしのビデオ ●

 幕下以下の力士は、15日間で7回相撲を取る。4回以上勝てば勝ち越しだ。毎日取組があり、新聞に取組が載るお関取とは違い、次の相撲がいつなのか一般人にはわからない。北勝峰が幕下に上がった頃から、BS放送を録画・編集し、『今場所の北勝峰』ビデオを作り始めた私のため、彼は次の割り(取組)がわかると「明日は○○と取組です。がんばります」と連絡をくれるようになった。
 平成11年九州場所で彼は幕下全勝優勝を成し遂げた。土付かずの勝ちっぱなしの『北勝峰』ビデオだ。編集したビデオはもちろん彼にも送ったが、見終わった彼は実家へ送っていたようだ。
 北勝峰から引退することを告げられたのは、春場所も始まってからのことだ。初場所後、腰痛がひどくなった彼は自分の中で葛藤した。今までにも「辞めたい」と思ったことはあるかもしれない。でも今回は「気力が無くなった」と言う。引退を決心するまで座っていることもできなかった腰痛が、決心をして親方に話をした後、嘘のように痛みが和らいだらしい。肩の重荷がとれたのだろうか。


● 整髪、シ、シブイっす ●

断髪後、整髪し、シブいスーツ姿になった北勝峰と私
 断髪後、近くの床屋(月曜日で、床屋を探すのに苦労したらしい)で整髪をし、スーツ姿になって広間へ戻ってきた彼を部屋の力士たちが取り囲む。整えられ過ぎた髪型を見て「シ、シブイっすね」と声が掛かる。皆が彼の第二の人生に贐の言葉を贈り、温かい拍手で見送った。
 今週末(5月26、27日)、私は東京へ行く。大相撲夏場所千秋楽観戦も目的ではあるが、一般人になった北勝峰、いや元・北勝峰に会うためだ。相撲を辞めた彼は実家のある京都へは戻らず、東京で仕事を見つけて頑張っている。力士のときより早寝早起き、もちろん昼寝もせず、体力の要るハードな仕事だが毎日が充実していて楽しいと言う。新しい世界でも大丈夫だろう、相撲の世界で最後まで自分と戦ってきた彼だから。
 シブすぎる髪型になったあと、改めてカットをし直したらしい。チョンマゲに着物姿というイデタチから、今時の若い男の子に変身した彼と会えるのがいまから楽しみだ。







ほりい・みかこ
大阪府堺市在住のお好み読者。ネット年齢24(ほんまは38歳になってしもた!)。相撲取りから「相撲好き〜」と呼ばれ、相撲取りから「朝乃翔に似てる」と言われたオンナ。きれいな40歳を目指し、ダイエットとリバウンドを繰り返す…。

北勝峰和夫
本名・西辻和夫。177センチ、119・5キロ、22歳。京都府相楽郡出身。平成6年3月西辻の名で初土俵、出世、平成7年5月西辻改め北勝峰に。平成11年九州場所幕下優勝。最高位幕下2枚目。平成13年春場所を休場して場所後に引退。
(写真:眼光鋭く、相手をにらみつける北勝峰)




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