[ 目 次 ]      月刊・お好み書き 2001年5月号


「公害道路いらない」市民連絡会結成

大阪・吹田操車場跡地のトラック基地計画反対に立ち上がる


 JR大阪駅前に「梅田貨物駅」がある。東側にヨドバシカメラのビル(40階建てくらいになるそうな)が建設中で、北側には空中庭園のツインビルがそびえている。その谷間に貨物駅。30ヘクタールほどの「手付かずの一等地」だ。「ここを平地にしておくのはもったいない。高層ビルを建ててもう一儲けしてやろう」。そう考えた関西財界と中曽根内閣は、バブル時代「旧国鉄の赤字解消のため」という名目で、さっさと貨物駅の売却を決めてしまった。しかし梅田は実際に稼働している貨物駅である。どこかに移転させなければならない。白羽の矢が立ったのは吹田操車場跡地だった。
(西谷 文和=くおーたりーSUITA編集委員長)

 住宅密集地に貨物駅とトラックターミナル。吹田・摂津両市は、当初猛反発した。行政のトップとJRの代表とによる水面下での折衝が続けられた。それから15年。バブルがはじけ、当時2兆円と言われた梅田貨物駅の土地は今や数千億円に暴落。「国鉄の赤字解消のため」というそもそもの大義名分が薄れ行く中、「貨物駅の移転計画」だけが粛々と進んで行った。

(写真:現在の吹田操車跡地。ここに貨物駅とトラックターミナルを造る計画がある。周辺には大きな道路もなく、物流には不便だ。)



● 一方的な「5者協定」 ●

 1999年1月、吹田市、摂津市、大阪府、JR鉄道公団、JR貨物の5者が突然「協定書」を発表した。いわゆる5者協定とよばれるこの内容は(1)梅田貨物駅の半分を吹田操車場跡地に、残りの半分は大阪市が引き受ける(2)吹田に来る貨物量は1年100万トン以内、通行する大型トラックは1日1000台以内(3)環境アセスを開き、これ以上環境悪化しないように努力する(4)住民説明会を開き、住民合意を基本とする…。JRという巨大な「国家組織」に、吹田・摂津両市が条件付きで飲みこまれたような「合意」だった。
 一方的に「5者協定」が発表されたが、住民は決してそれを認めたわけではない。1日1000台とはいえ、二酸化窒素(NO2)を大量に吐き出す大型ディーゼルトラックである。ましてや吹田市南部は尼崎や西淀川と同じく、かつての「公害指定地域」で、近年小児ゼンソク患者も増えている。協定が発表された直後こそ住民の間に失望感が広がったが、その後、尼崎公害裁判の勝利、徳島・吉野川可動堰や長野・「脱ダム宣言」、諫早湾の水門開放など、地域から異議申立てをすれば、状況を打開することは可能だ、ということが住民を励ました。


● 「もう決まったこと」 ●
 
 そんな中、5者協定に基づいて99年9月、JRが1回目の「住民説明会」を行った。「もう決まったことですから」を繰り返すJR側の担当者に罵声が飛び交った。各地で反対決議、対策委員会が活動を始めた。しかしながら、トラック道路周辺の、直接被害を受ける地域と、千里ニュータウンなどの地域との「温度差」はいかんともしがたく、吹田市全体の住民運動にはなりきれていなかった。
 私は「くおーたりーSUITA」でこの問題を追いかけた。


● 生死に関わる問題 ●

現在の梅田貨物駅。周囲には人家もなく、高速道路が縦横に走り物流の中心となっている
 まず、永田町で勝手に決められた計画が唯々諾々と通過することに嫌悪感を覚えた。実際に吹田の公害患者を取材した。昭和60年にノドに穴を開けて、以来15年人工呼吸器を離せない方だった。「(呼吸器を)2時間おきに掃除しなくては生きていけないので、ぐっすり眠った記憶がない」と言う。トラック計画道路の沿線に住んでおられ、オーバーでなくこの方にとっては「生死に関わる問題」だと思った。「なんで操車場なんやろ。子どもたちにはきついでしょうね」と、ゼーゼー言いながら取材に応えてくれた姿が、今でも焼き付いている。
 梅田貨物の移転に関わる工事費は、鉄道公団が支払うのではなく、私たちの税金で賄われる(タバコが1本1円値上げされたでしょ)。公害患者への補償を打ちきって、税金で公害道路を作るんかい! 国も吹田市も予算がないのなら、無理して移転する必要はないのだ。
 梅田貨物の写真を見てほしい。周囲には人家もなく、阪神高速が縦横に走り、物流の中心である。一方吹田操車場跡地の周りには住宅が張りつくように建ち並んでいる。こんな所にトラックターミナルを作っていいのだろうか。金がないのなら、無理して開発せずに「そのまま」にしておけばいいではないか。



● 遺跡発掘に公園化の声 ●

 さて、そんな吹田操車場跡地に2000年8月、貴重な遺跡が次々と発掘された。大正時代から100年、ずっと操車場だったので掘れば遺跡がでるだろうと言われていたが、室町時代の井戸、奈良時代の土器、江戸時代の家の柱…。結果、操車場跡地全体が「吹田操車場遺跡」に認定された。
 開発者にとっては頭を抱える事態だ。貨物駅を移転させ、残りの土地にマンションを建てて、それで一儲けしようとした吹田市をはじめ、開発事業者は、今後建物を建てるなら莫大な「遺跡調査費」を支払わねばならない。JRから安く買おうとしたその土地が、実はとんでもなく高くつく、という事態になりつつある。
 私たち住民にとっては遺跡大歓迎。ちょうど、沖縄県名護市海岸に現れてくれたジュゴンのような存在だ。今、操車場跡地は遺跡公園にせよ、という声が高まりつつある。


● 市民シンポ大成功 ●

 どう考えても許すことのできないこの計画を白紙に追いこむためには、吹田市全体を巻きこむような住民運動を起こさないとダメ…。そう考えて、くおーたりー主催で「公害道路いらない。貨物駅移転問題を考える吹田市民シンポジウム」を4月11日に開催した。当日は350人が参加し、地域の代表として30近い自治会長が参加した。
 シンポは大成功で、会場で「公害道路いらない。貨物駅移転反対吹田市民連絡会」が結成された(会長・釣りサンデー小西和人さん)。右も左もなく、「イヤなものはイヤ」と感じる人は誰でも参加できるゆるやかな組織だ。


● 大阪発 住民運動の流れを ●

梅田貨物駅が吹田に来れば、このような巨大なトラック専用道路が造られる(吹田市内の風景に尼崎の阪神高速の写真を合成)
 今年11月、JRによる環境アセスが終了する。その後、JRはすぐに「準備書」を作り、その「準備書」に基づいて2回目の住民説明会を行うことになっている。その時が勝負だ。1回目の時は「寝耳に水」という市民が多かった。「市民連絡会」もできてはいなかった。2回目は違う。計画の内容を知れば知るほど、みなさん反対の声を上げておられる。
 今は住民への「出前学習会」や署名、反対決議運動、公開質問状などを考えている。吉野川の徳島や産廃の御嶽町、原発の巻町などこれまで地方が活躍してきたが、今度は「大阪発」でこの流れを受け継いでいきたいと願っている。




にしたに・ふみかず
1960年京都市生まれ。85年より吹田市役所で勤務。趣味は海外一人旅。93年PKO法で揺れるカンボジアでポルポト派の支配地域へ突入。96年、ボスニア停戦直後のサラエボで「瓦礫の街」を取材。99年、NATO空爆直後のコソボへ。空爆の爪あとと、内戦による悲惨な「民族浄化」を取材。現在、タイ奥地カレン族の村にホームステイした記録を、「くおーたりーSUITA」に連載中。普段は天六の居酒屋、吹田の雀荘などに出没しているが、人知れず役所の仕事と雑誌の編集をしているらしい、というウワサも。著書に「南ア、ボスニア、カンボジア。ナニワの公務員ドキドキ一人旅」(かもがわ出版)がある。



*くおーたりーSUITA 2年前、吹田の街ネタ、素朴な疑問、阪神タイガースから横山ノックまで柔らかい記事と、平和、環境、暮らしなどの硬派な記事をミックスした雑誌を始めました。吹田市内の書店、スーパーでも売っていますが、ハッキリ言って売れてません。売れてないのに5月号から定価を300円に引き下げ、やぶれかぶれの「吉野家、マグド商法」に生き残りを賭けています。「お好み書き」と合わせて読んでいただければ現代のトレンドが見えてきます(笑)。ぜひ一度読んでみて下さい。A5版、120ページ。2、5、8、11月発行


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