No.61成人式が荒れた。各地の新成人の行状を取り上げ、「聞きたくもない祝辞を聞かされるほどつまらないことはない」「成人していない大人だって多いぞ」との言い分にも「三分程度の理はある」とした朝日の天声人語(10日)にすぐさま、「落胆した。もっと毅然とした見解を示すべきだ」と読者からお叱りの声が寄せられた。 ◆ 黙っていてはけじめが ◇ 高松市では、祝辞を述べる市長にクラッカーを発射、一升瓶を持ち込んで騒ぐグループの様子がテレビなどで大々的に報じられた。その場で不問に付した当の市長には「なぜ何もしないのか」と批判の電話が相次ぎ、助役ら幹部と協議の末、「黙っていては行政としてけじめがつかない」と、事件から二日後に告訴に踏み切った(山陽10日、朝日23日検証)。 彼らの逮捕には賛否両論あったが、逮捕の翌十二日までに同市のホームページに寄せられたメール七百件の九割が、告訴・逮捕を支持するものだった(読売13日)。ことほど左様に、今回の荒唐無稽は同世代の支持をも得られなかったが、成人式を考える、という意味ではよいきっかけでもあった。 各紙成人の日には、毎年のように社説で新成人に期待を寄せてきたが、単なる偶然か今年は朝日、毎日、読売、産経とも、成人の日の社説を掲げなかった。そして皮肉にも、荒れた成人式をたしなめる社説を掲載する羽目になる。 ◆ 家庭、学校何しとる ◇ 読売は「官製の旧態依然たる式典への批判はあるとしても、傍若無人のふるまいや反社会的な行動が許されるわけではない」「刑事責任を追及されて当然」「家庭でどうしつけられ、学校で何を学んできたかと、思わざるを得ない」と憤懣やるかたない(12日)。 毎日は「人々の気持ちを踏みにじる行為は断じて許されない」とし、「友人が羽目を外し、乱暴を振るっても止めようとせず、薄ら笑いを浮かべて見守るだけ」の「寒々とした若者気質」を指弾し、やはり家庭のしつけと学校教育にその原因を求めた(10日)。 産経は加えて、学校の入学式や卒業式を生徒がやり方を決め、先生と子どもが同じ目の高さで向かい合う方式が「一部マスコミにもてはやされている」が、「子供の権利や自由を過度に強調してきた戦後教育のつけ」極まれりとし(10日主張)、「クラッカー騒ぎを醸成したのは、戦後教育と進歩派マスコミと人権派たちなのだ」と断じた(11日産経抄)。 高松の式典で取材中の記者が暴行を受けた山陽新聞は、八日当日の社説で「皆さん、おめでとう」と書きながら、二日後には「とても大人としての行動とは思えない」と同じ社説で言わなければならなかった。九日紙面では、三十人の晴れ着の新成人を、カラーのポーズ写真付きで紹介する全面特集まで作ったのに、である。 産経の言う「一部進歩派マスコミ」とは、荒れる新成人を社説で叱らない社のことなのだろうか。朝日は冒頭の天声人語で「成人式だけを問題にしても、解決策はなかなか見いだせまい…新旧の成人がそれを話し合うことから始めなければ」とした後、「強がっていても、どこか寂しい若者たち。その精神風景を見せてくれたという意味で、荒れる成人式も無駄ではなかった」(13日夕刊・窓)と意味付けした。 ◆ 逮捕に驚き1面トップ ◇ しかし、新成人逮捕には、新聞も一様に驚いた。被疑者が特定されていない段階の出頭であること、逃亡の恐れのないことなどから、逮捕する必要性に疑問があったからだ。それも含めた驚きではあるが、産経、毎日は一面トップ(山陽も)、朝日は一面肩、読売は社会面の扱いだった(12日朝刊・大阪紙面)。毎日以外は実名も出している。 実名報道は議論もあろう。微罪か否かは逮捕段階では感じ方の問題で、匿名にする理由はない▽一般に、実名を報道することで社会的責任を追及するのもマスコミの使命▽みせしめや懲罰的意味合いが強い逮捕は、実名で追い打ちをかけるまでもない、等々。 写真週刊誌フォーカスが、「××クン」たちの顔写真を並べ、連行写真まで付けた(1月24日号)のは、さすが、少年犯罪に厳しい新潮社サンだけあった。 ◆ 社説読まない世代にも ◇ その後、威勢のよかった新成人が、各地で謝罪に役所を訪れた。産経は「いい意味でショック療法になった」「償わせるのも教育の一環」(18日主張)と大得意だ。朝日が成人の日に「社説を読まない若い世代へ」(89年)と呼びかけたのは十年も前のことだが、したり顔をするよりはまず、社説をとまでは言わないが、新聞読んでもらわないと、ね。
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