[ 目 次 ]      月刊・お好み書き 2001年2月号


「新成人よ、もっと考えよう」

大阪市鶴見区の「成人の日 記念のつどい」でめでたくくす玉を割った新成人たち。
直前、一人の新成人が壇上に駆け上がり、先に割ってしまうハプニングがあり、「お
めでとう」の垂れ幕やリボンをしまい込んで改めて、の「やり直し」だった。
=1月8日、同区民ホールで

 21世紀最初の成人式が各地で荒れた。私語や携帯電話の蔓延どころではない。おもちゃの鉄砲を壇上に発射したり、会場に一升瓶を持ち込んでラッパ飲みして見せた挙げ句、祝辞を述べる市長に向けてクラッカーを鳴らしたり。新成人の無軌道ぶりばかりがマスコミでクローズアップされるが、当然、大多数の新成人はさようなバカものではない。いっこうに静まらない会場を目の前にして、祝辞を述べる前に“敵前逃亡”した市長もいれば、やじを飛ばす新成人をたしなめて会場から拍手をもらった知事のような大人もいたが、騒ぎ続ける同世代に向き直り、自分の言葉で毅然と語りかけた新成人もいた。大阪市鶴見区で1月8日開かれた「成人の日 記念のつどい」。くす玉割りが“乱入者”によって先に割られてしまうハプニングもあった、それなりに騒がしい各地と同様の成人式ではあったが、そんな中で、新成人代表で「誓いのことば」を述べた振袖の女性が、突然、マイクを取って同世代に話し始めたのだ。「この式のために、たくさんの人が大変な思いをしたと思います…」。彼女の訴えに「しーん」と静まり返った会場の若者たちは何を感じ、それに「びっくりした」(会場スタッフ)大人たちは何を理解し得たのだろうか。鶴見区のつどいの新成人代表本所恵さんに、語り掛けずにはおれなかった心情をつづってもらった。 (編集部)





荒れる成人式 向き直り、語り掛けた振袖の思い

本所 恵(20歳)


 成人式の日、私は振袖を着るために何の迷いもなく式に出るつもりでした。例年その騒がしさが報じられていたのを、実際自分で確かめたかったのもあります。
 式で「誓いのことば」を言うことになったのは、やりたいという冗談を逆手に取った母の悪戯(か勘違いか…)からで、自分自身、言いたいことがあったわけではありません。それでも、式に出るなら何か記念に残ることをして来い、などと父に勧められ(説き伏せられ、かも? 父には弱いのです)他にやる人がいないということもあり、引き受けました。
 けれど、これをきっかけに成人式についてや成人になることについて等、考えることが増え、面白い機会であったことは否みません。


● 形式ばった式辞 その人見えない ●

 式典のスピーチというのはつまらないものばかりで(というのも言葉が形式ばったものに聞こえて、その人が見えないからです)、会場の私語はそのためと思っていた私は、そんなスピーチはしたくありませんでした。


● 式の前後で何が変わるの? ●
 
新成人に地区の婦人会から花束が贈呈された。晴れ着で埋った座席
の間に、「お静かに」のプラカードを持った係員が待機している
 私は無邪気に成人になることを喜んでいるわけでもないし、厳粛な気持ちで成人式に参加するわけでもありません。式の前と後で私たちの何が変わるのか、社会の何が変わるのか、と考えてみても、何も変わりはしないのです。それでも、そんなことを考えただけで十分に、この節目の存在する意味はあるのだと思いました。
 成人式で祝われる立場からのスピーチとして差し障りない程度で思うところを書き、決して明るいとは言えない今の社会ですが、少しでもよくする努力をしたい、と言って、大きな問題なくスピーチを終えました。
 当日は、式が始まっても始まる前と同様に騒がしく、「お静かに」と書かれたプラカードを掲げた人が数人、入って来ました。私は唖然とし、恥ずかしく思いました。街の中で「服を着ろ」「唾を吐くな」とプラカードを掲げるのと同じレベルではないですか。掲げている方も掲げられている方も、恥を知るべきです。
 それでもうるさいまま式は進み、「祝いのことば」もただ虚しく、私の誓いのことばも聞いている人は恐らくいませんでした。私もそれらを聞いてはいなかったし、聞かなくてもいいと思いました。聞いてためになることはあるかもしれないけれど、聞かなければならないことはないと思うのです。他に考えることの方がたくさんありました。前日のリハーサル、当日式典前に見た準備に働く人たち、特に、誓いのことばの内容などで迷惑をかけた担当者さんのいかにも「うるさいなあ」という渋い顔を見て、騒がしいのが嫌に思えてきたのです。
 静かになったところでこの式典がおごそかで高尚な意味をもつとは思わないし、ならば、静かでも騒がしくても、私のみにとってはどうでもいいことなんです。それは、大抵の新成人において同じだと思うのですが、この場を用意した側にとっては、静かな式がしたいのです。ならば、その場を(本来の目的とは違う目的とはいえ、事実上)友人との再会の場として出向いて来たにしろ、その場を用意してくれた人々への礼儀として、45分間だまっているくらいしてあげればいいと思うのです。


● 大勢の人の思い考える心の広さを ●

 区役所の人々だって、現状ではこんな式はしたくないと思っている筈なのに、恐らく嫌でもしなくてはならない状況で、やはり新成人はこの有様で、あまりにもかわいそうじゃないですか。
 だから、(ピンマイクが入っていると思ったら入ってなくて、マイクを借りて)、 「つまらないと思われるかもしれませんが、この式をするためにもやはりたくさんの人が大変な思いをしたと思います。その人たちのために、静かにするくらいの心の広さは持ちあわせていたいと思います」と言ったんです。
 “この式はつまらない”けれど“彼らがかわいそう”というニュアンスは生意気と言われると思いましたが、どうやらそうはとってもらえなかったようです。
 友達に後日、「ただ『静かに』って言うんじゃなくて、とっさにあの文章を思いつくなんてスゴイね」と言われましたが、私が言いたかったのは「静かに」と要約されてしまっても間違いではないけれど、「もっと考えろ」ということの方が近いし、あのように言わざるをえなかったのです。
 私のことばをそんな風に考える人はいないのかもしれないけれど、いつも流しているささいな言葉や行動に立ち止まって、その意味を考えることは結構有意義です。
 くす玉を割りに乱入した彼にしたって、ただの目立ちたがり、式を妨害した迷惑な奴、と片付けてしまうことは簡単です。
 でも、それでは何にもならないのでしょう。
 幼い子が、くす玉への興味からそれを触りに行くのとは明らかに違うんです。彼が何故わざわざ舞台に上り、叫び、くす玉を割り、そして逃げたのか、と私は考えました。彼なりに、成人式を面白くしたかったのだと思うのです。


● 大人を説き伏せる言葉あったら ●

壇上で「誓いのことば」を読む本所恵さん
 でも、怒られるだろう行動でしかそれをできなかった。もしも、彼が落ち着いた言葉で心中を説明して、飛び入り参加代表でくす玉割りに参加して成人式を変えることができるほどの賢明さをもちあわせていたのなら、誰の目にも彼は「スゴイヤツ」ではありませんか? 少なくとも、逃げずに大人たちを説き伏せるだけの言葉をもっていたら、と思うのです。
 彼の行動も結局のところ稚拙なものですが、みんなその行動に批判を向けるだけです。後で「あのひどい人についてどう思いますか」と取材を受けましたが、結局その記者も彼を悪い奴だと思っているだけ。式次第を妨害したという点では私と同じなのに、私の行動と反対だというだけで、彼と私の共通点さえ見ようとしない。彼も友達の中ではいい奴かも知れないんです。なのに、彼の私の行動の表面だけしか見ようとしない人たちの物足りなさもまたひしと感じ、現状はなかなかよくはならないだろうと思いました。



● 自治体主催は不要 小中校区で自主的に ●

 これからのことを言えば、自治体主催の成人式はもう要らないと思います。小学校区か中学校区規模で、新成人主体で(行いたいなら)行えばいいのではないでしょうか。
 新成人の問題行動が今年は警察沙汰になったこともあって、議論は増えていると思いますが、空回りしないことを望みます。自分が今まで当然と思っていたこと(成人式)が本当に当然(式典であるべき)なのか、とか、好ましいこととは一体何なのか(――つまり、静かな成人式に意味はあるのか)とかいった新しい視点で考えてみてほしいと思うのです。


ほんじょ・めぐみ 
80年大阪府八尾市生まれ。
3人姉妹の長女。
京都大学教育学部2回生。
現在、「ゆとり教育」について思案中。趣味は旅行、読書(重松清はぐっときます)、散歩、観劇、日向ぼっこ、等等。特に最近は人との出会いが嬉しく楽しい。ひとりではできないことなので。



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